旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

ユーコン川へ、出発だ!!

棚を開け、静かに眠っていた分厚いアルバムを取りだし、1ページ、また1ページと開いていった。僕がまだ物心つく前の赤ン坊の頃から、小学高学年位までの写真が順々に張ってあった。僕の回りには、いつでも自然が写っていた。 親に連れられて、僕は幼い頃から自然と戯れてきた。夏になれば北海道や離島等へキャンプ道具を積んだ車で行き、森のなかでキャンプしながら旅をした。週末は毎週のように秩父の川に行って魚を釣って焚き火をし、冬になれば雪山でスキーをしていた。

幼稚園は“鴻巣ひかり幼稚園”という所へ入り、様々な体験を積んだ。ひかり幼稚園というところは、野性味溢れる動物園の様な所であった。男女関係なく皆すっぽんぽんに、或いはパンツ一丁になって泥の中で遊び、イナゴや銀杏等を採取して焚き火で焼いて食べ、ガチョウ・鶏・兎・ヤギなどと戯れ、何メートルもの高さの木に猿のようにのぼって、尾瀬等の山で登山をした。 記憶を遡ると、自然のなかで過ごしているとき僕はいつでも楽しいとはまた違う、途方もない満足感・解放感に満たされていた。
今思えば、幼い頃のこういった経験が今に繋がっているのだろう。僕は自然が、大大大大大すきである!!

3年前のあるとき、風呂に入っていた僕はふと思った。これまで生きてきた21年間、体を洗う石鹸で僕は、どれだけ僕の大好きな自然を自ら痛めつけてきたのであろうか・・・、そしてこれから生きる何十年で一体どれ程痛めつけてしまうのだろうか・・・と。それから僕の日常から石鹸は消え失せた。いつでも湯か水で体を流すのみになった。髭も水のみで剃るようになった。不思議と体臭は無臭で、痒みなんかも全く出ない。肌はスベスベになり、強くなった。何より僕は、心地よかった。それから1ヶ月前から僕の生活からシャンプーが消えて、歯磨き粉(重曹にとってかわった)が消え失せた。ここ1ヶ月、物凄く心地よかった。草木や小虫達に喜ばれている気がした。 もっともっと地球の自然を感じたい!!それをかなえるため、僕は今日、ユーコンへ向い、家を出た。

これから10月まで僕は自然にどっぷり浸かって生きていく。カナダ・ホワイトホースを源流とし、アラスカ・ベーリング海まで3000キロ程の長さで流れる大河、ユーコン川。源流にカヌーを浮かべ、ベーリング海を目指して荒野の中で生きていくのである。川には数多くの魚がヒレを振るわせて泳ぎ、ハーブやベリーが数多く自生する。魚を釣り自生する植物を採取し、その地の生きた水を飲む。体の細胞殆どをユーコンの荒野と一緒にし、自然に溶け込むのである。靴を脱ぎ捨てて野山を裸足で駆け巡り、川で沐浴し、天上の星達を眺めながら眠る。ベーリング海を目指すといってもそれはただの薄っぺらい目標であり、別にたどり着かなくても全くいい。気に入った場所があればそこで長期間滞在し、その場をとことん満喫しようと思う! だけども、初めて足を踏み入れるユーコンの自然、そこに対して恐怖心がある。だから僕は牙をむかれないように子ネズミのように縮こまり、謙虚に大人しく生かさせて頂こうと思う。自分なりに、自然へ出来るだけ負担をかけないよう生きてきたこれまでの24年間の人生、そして自然を愛する心、それらをもって自然は大いに僕の味方をしてくれるものと確信している。全く根拠は無いのだが・・・ とにかく、行ってきます!!!! こんなに自然を愛するように育ててくれ、そして自分の道を歩かせてくれている両親に、物凄く感謝!!すっかり忘れ去られた頃にひょっこりと何の問題もなく帰ってくるので、安心して気楽に待っててくれれば良いと思う。めっっっっっっっちゃくちゃユーコンの生活を楽しんでくる♪

ブログを変更

1月6日からスタートした雪かき東北縦断の旅

これとは別にブログを作って、そこで記事を更新しているため、このブログはしばらく休みます!

http://yu-ma.hatenablog.jp
雪かき東北縦断の旅
で検索すれば出るかと思いますので、そちらの方をどうぞご覧になってください!
よろしくお願いします

最大の不安は・・・グリズリーである!

 

 ユーコン川を下るにあたり、僕にとっての最大の不安はカヌーの転覆により川に投げ出されることでも、襲い来る蚊の大群でも,気の遠くなるほどの孤独でもない。

最大の不安はそうグリズリー…体重が僕の5倍以上にもなる大型の熊だ。f:id:Yu-Ma:20161217075916p:plain

ユーコンに限らず、シベリアやアラスカ、カナダを舞台に描かれた伝記を読んでみると、グリズリーに対し皆神経を尖らせている。

僕も以前グリズリーに対する恐怖感を抱いたことがある。

それは今から3年前、余りにもずさんな計画により、カナディアンロッキーの山の中で1人野宿をしていた時のこと。

テントも寝袋も持っていなかった僕は、吹き荒ぶ山風に煽られて身を震わせながら眠れぬ1夜を過ごした。

姿こそ見なかったが、その野宿で僕は生まれて初めてグリズリーに対する恐怖感を抱いた。

直ぐ傍の暗闇からグリズリーがこっちの様子を伺っている…かもしれない、食い物の臭いを嗅ぎ付けてこっちにまっしぐらに向かってきている…かもしれないなどと好き勝手に膨らむ恐ろしい想像、あの恐怖感は今でも忘れることはない。

しかし今回の旅は1夜どころではない。グリズリーがそこいらにいる荒野で数か月間もキャンプをするのである。

ユーコン川を下ろうと決めた日からグリズリーが、のっそのそと分厚い筋肉を揺らしながら僕の頭の中を徘徊しているのだ。

3年前のあの時は正露丸を身の回りにばら撒いて、気休めの防御網を張ったのだが、今回はそういう訳にはいかない。

法律で銃を持って行くことも難しいし…。槍を作り、最悪の場合クマスプレーと槍を片手に原始人の様に果敢に挑むか…どうするべきか…僕はずっと悩んでいる。

そんな時に前回のブログでもあげたジョンタ―クのノンフィクション冒険記「縄文人は太平洋を渡ったか」を読んでいると、僕は度々触れるアイヌの文化に関心を引かれた。

熊を山の神と呼んで敬っていたアイヌの人々、あらゆるものに魂が宿っていると考えていたアイヌの人々、僕は自分の考えがどこかアイヌの文化に似ていると感じ、もっとアイヌの文化を知りたくなった。

アイヌ人の信仰を学べば、グリズリー対策のヒントが何か得られるかもしれないと思ったのである。

僕はそれからアイヌ文化の本を数冊軽く読んで、すぐさま北海道の役場や案内所等に問い合わせた。

「信仰を守り、今でも昔ながらの生活をしている人や、アイヌ文化に詳しい人が居ましたら教えてください!僕はこれからグリズリーが沢山いる所に行きます。それでその前にアイヌの方に、クマに対する考え方を聞きたいんです。アイヌ文化を知りたいんです!」と。

しかし電話口の相手はとんでもない馬鹿な奴が来たと思ったのだろうか、皆面倒臭そうに応対し、「そういう人はもう居ないです」と返してくるばかり。

何件も問い合わせたが結果は全て同じであった。

僕は途方に暮れた。やっぱり本で読むしかないのか…生で話を聞くことはもう出来ないのか…と。

そして半ば諦めの気持ちと微かな望みをかけて知床のあるツアー会社に問い合わせてみた。

すると・・・

「あ、いまOOOさんていうアイヌの方が伝承話や文化を残して行く為に、ガイドとして活動してますよ!今、アルバイトも募集してますから、ガイドとして手伝いながら色々と聞いてみてはどうですか?」と明るい返事が返って来た。

僕の心は踊り弾けた。

ただ1月~2月の2ヶ月間、僕はある旅に出る為に尋ねることは出来ない。

ので、3月に入ったら知床へ行き、直でアイヌ文化を学ぼうと思う。グリズリーに対し、今はただ恐怖心しかないのだが、なにか考え方が変わるかもしれない。

何だか楽しくなってきた!!

思わぬ出会いを与えてくれた、ジョンタ―クさんに感謝である。

ユーコン近づき難し

 

今日は情報収集の日。ユーコンに関する本を読もうと図書館へ行った。約100年前のゴールドラッシュ時代に金に惹かれ、北米大陸ユーコンへ渡った人々の事やアメリカの不況が当時どんなものであったのかが知りたくなったのだ。

手にした本は20世紀のアメリカ人作家・ジャックロンドンの生涯を描いた「馬に乗った水夫」。

f:id:Yu-Ma:20161211201652j:plain

ジャックロンドンとは「海の狼」、「極北の地にて」、「野生の呼び声」などの作品で当時のアメリカ文学に強烈な衝撃を与えた大作家だ。

彼はまた青年時代に一攫千金を夢見てユーコンに渡った、夢追い人の1人であった。そんな彼の一生涯が書いてあるこの本を読めば、その当時ユーコンに渡った人々やアメリカの状況がどうであったのかを少しは知ることが出来るだろう、と思ったわけである。

 

 僕はソファに腰掛けてページをめくっていった。450ページにもなるぶあちぃ本で、冒頭は両親の生い立ちから、まだジャックが生まれる前の話で始まった。

それは僕にとってあまり面白みが無く、読むペースはノロりと緩やかなものであった。やがてジャックが生まれると、いきなり面白みが出てきた。極貧生活を強いられた幼・少年期、そしてその極貧生活から抜け出す為に船を買い取って海賊となり、牡蠣養殖場を荒らし回る青年期。

読んでいる内に僕は、自分自身とはかけ離れた波乱万丈の人生に魅せられ、本に夢中になっていった。

そして・・・あと少し、あと少しでジャックは金を求めてユーコンへの旅が始まるかもしれない!!ついにユーコンへの旅が始まるんだ!読むにつれてそんな高揚感がブクブクと泡立ってきていた。

しかしその高揚感は突然消えてなくなってしまった。

プーンとなにか腐ったような、生臭い臭いが鼻に付いたのである。くさい‼何だこの臭いは‼僕はハッとなり、隣を見た。すると僕のすぐ隣で、わんぱく小僧がきゃっきゃと数体のウルトラマンのフィギアで遊んでいたのである。

よく見ると、靴も靴下も履いてない足は古ぞうきんの様に茶色く汚れ、その足を僕に向けており、臭いはその足から漂ってきていた。

その臭いにより、僕のか細い集中力はいとも簡単にプツンと千切れてしまった。

この小僧は何処から、何故靴を履いていないのだろうか。

臭いと言えば、俺のランニングシューズ。このひと夏ですっかりと臭くなっちまったな・・・そういえばあの靴洗って外に干したままだった、しまわないと。ジャックロンドンの足も臭かったのだろうか?海賊として船に乗っている間、一体どんな臭いがしていたんだろうな・・・。などと臭いにまつわる思いが次から次へと生まれてくる始末。僕はすっかりと上の空となり、心は何処かとんでもない所へ行ってしまった。

だめだ、止めだ!僕は本をぱたりと閉じ、気分を一転する為に全く別のジャンルの本を開いた。

ジョンタ―クの「縄文人は太平洋を渡ったか」という本で、筆者・ジョンタ―クがカヤックで北海道からアラスカを目指し、大陸伝いに太平洋を3000マイル航海する航海記だ。アメリカの西海岸で発見された人骨化石が、日本の縄文人のものではないかという学説が出るや否や、縄文人が日本から本当にアメリカまで行ったのかどうかを自ら実証したいと思いに駆られて冒険に出たのである。

昨日、「今テレビでジョンタ―クって冒険家が出てるんだけど、友磨おまえみたいな奴だな」そう親に言われ、ジョンタ―クとは一体どんな人なんだ?と気になってしまったのだ。

足の臭いは相変わらず漂ってきてはいたがそれにも慣れ、ジョンタークの冒険の放つ魅力に引き込まれていった。気がつけば図書館の閉館時間が迫っていた。

結局本来の目的であったユーコンに辿り着くことが出来ず。足の臭いごときで途切れるか弱い集中力をどうにかせねばと悔い改め、ユーコンにはまだまだたどり着けそうにないなと思う一日であった。

 

1枚1円の名刺

 

 雑誌の編集者と打ち合わせを行うにあたり、直前で僕は大事なことを思い出した。

名刺が無い・・・

会社を退職して世を徘徊するハイエナ・・・いわゆるフリーになったはいいが、まだ名刺を用意していなかったのだ。

何とかして早く作らなければ!!そう焦って今頃急いで外注した所でもう間に合わない。

こうなったら自分自身でこしらえるしかない。

僕は飛び上がって家の中をガサゴソ引っ掻き回し、何か使えそうなものは無いかと血眼になって探した。

幼い頃に毎日毎日草むらに入って昆虫採集をしていた僕は、昆虫を探す目が鍛えられていたのかもしれない。ものの数分でいいものを発見した。

モンベルの紙袋である(昆虫ではなかったが)

丁度よい固さに、しなり具合、色も野生ぽくて、見た途端これにしようと即決した。


f:id:Yu-Ma:20161207205618j:plain

そういう訳で急遽僕は肩書をとりあえずはフリーライターにし、名刺作りをした。

ほんの一時間前のことである。

手順は以下の通りだ。

 

①慌てふためきながら、ワードで名刺のテンプレートを作る

②コンビニへ駆け込んで、A4サイズの普通用紙で印刷する

③手をベタベタと汚しながら、糊で紙袋に張りつける

④指をちょん切らぬよう慎重に、切る

(総計は10円(白黒プリント代一枚分)だ)

 

f:id:Yu-Ma:20161207211014p:plain

 

 

いらぬ言葉を加えたことで、一見複雑そうに見えるのだが・・・

実際は実に単純で簡単なものであった。しかも1枚あたり、1円というなんともお財布に優しい値段なのである。

ただ、一枚作るのに時間がかかるのが難点ではあるのだが。

作っている最中、受け取った人の事を考えると嫌でも丁寧になり、少しの緊張感が帯てきて、それがなんだか楽しかった。

 営業時代は会社に頼めばいくらでも簡単に何枚でも名刺が手に入り、一枚の名刺の重みなど微塵も感じなく、あげなくてもよい人にまでやたらめったらバカみたくばらまいていた。(元上司の皆さん、これ見た時には怒ると思いますが・・・、ごめんなさい)

だけど今はそんなことは決してできない。

自分で時間をかけて作ると気がついた。

名刺一枚にしても、丁寧に一枚一枚作るとこんなにも情が移るのか・・・と。

一枚の重みがあの頃と比べ数十倍にも増していた。

気がつくのが遅過ぎである。

これは名刺に限った事でないであろう。

 

これから日々生きながら考えて、もっともっと面白い名刺を作っていこうと思う。

版画の名刺もなんか面白いかもしない!

自ら文明に逆らって、これからは時間がいくら掛かろうと、どんどん時代を逆行して行こう!!!!

 

 

 

 

便所の中の戦い

 彼(以後K)がなんと言おうと、僕はそれに従うしかなかった。
その空間はKの支配下にあり、不動の権力を有する王の下、僕は小さな下人。
だからKの言いうことには決して逆らえないのであった。
そこはKのアパートであり、僕は彼に1晩泊まらせてもらっている身であったからだ。
そんなKに謝らなくてはならないことがある。
 
 その日東京に用があった僕は、夜遅くに満員電車の中帰るのが億劫だったので、その晩泊めてくれとKにお願いした。
Kは快く受け入れてくれた。
 その夜、そんなKが僕にある一冊の本を勧めてきた。
原田マハさんのスピーチライターを題材にした小説「本日は、お日柄もよく」だ。
なんだこれ?ほんとに面白いのか?手渡された瞬間に疑念が渦巻いた。
どうせまた教育関係の本だろう・・・学校の教員をしている彼が読む本はたいてい教育関係の本であり、それらの本は僕の興味を全く引かない。
それでも勧められたのだからとりあえず手に取ってみた。
じろじろと表紙を眺め訝しむ僕に、Kはこう言った。
「今まで読んできた本の中で、その本は10本指に入るよ!」
へぇそうなんか。その言葉に背中を押され、ようやくページをめくった。
テンポと切れが良い文体に、すらすらと活字が頭に入り込んでくきた。
教育関係の本では無く、読み始めて数分後、ユーモアあふれる文章にやられ、読む前に抱いていた疑心はすっかりと消え去り、気持ちはすっかり愉快になっていた。
次はどんな展開が来るんだろう!ようやく気分が弾んで来たと思ったその時、絶対的な権力が猛威を振るった。
Kはとろんとした目をしながら、夢中で読みふける僕にこう言ったのである。
「もう寝ようかな」
まだ読み始めて間もなく、20ページ程しか読めていなかった。まだあと350ページ程残っている。
自ら勧めといて、その直後褒美を取り上げるかのように、こんないい所で中断しろというのか?
その部屋の電気は天井に付いているそれのみで、卓上電気は無なかった。天井の電気を消したら部屋の中は真っ暗になるのである。
本など読めるわけがない。それでも彼に従うしかない。
蟻の様にちっちゃな身分の僕が、部屋の主であり絶対権力を持つ王であるKに逆らうことなど出来やしない。
僕はKに合わせ、電気を消し、読みたい気持ちを無理やり抑え込み、眠ったのである。
夜の10時半であった。

 なんの前触れもなくパッ目が開き、僕は目覚めた。
「あぁいつものあれか・・・」目覚めた瞬間僕は思った。
癖である。なにか面白い事があると興奮して夜な夜な目が覚めてしまう癖を僕は持っていた。
昨日読みかけていた本に共鳴してその癖が顔を出したのである。
しかし電気を点けられないので、読むことは出来ない。
時計を見るとまだ3時半にもなっていなかった。
おいおいなんて時間に目が覚めるんだと・・・その恐ろしい事実を知り、もう一度眠ろうと目を閉じるが、エンジンがかかって火照った心がそれを許さない。
この興奮を静める為には体を動かす他に方法は無い。
よしっ‼と意気込んで僕は再び目を開け、体を起こして部屋を見渡した。
暗くて殆ど何も見えない。近くでスース―とKの寝息が聞こえてくる。
Kを起こさぬようソロソロと部屋を抜け、僕は太陽がまだ眠る冷え切った外へ飛び出した。
何処かへ行く当ても無く、ふらふらと東京狛江市の住宅街を歩きだす。
街は寝静まり人っ子一人いない。道路の至る所にぼんやりと外灯が灯り、いくつか星が輝いている。
何処からかピューと寂しげな音が聞こえ、風が吹きつけて来ては鳥肌を立たせる。
この物静かな世界で、素っ頓狂な僕の興奮だけが猛っていた。
僕はとりあえず走った。走っては歩き、また走り出し、猛りを発散するしかなかった。
 そうして1時間程経った頃、ぼんやりと輝く外灯を見てある考えが頭をよぎった。
「この外灯の光で本を読めばいいんじゃねぇか!!」
画期的な発想に気持ちが弾み、僕は一目散にKの眠る家に帰った。
時間は4時半、Kが家を出る6時半まで2時間はある!
2時間で350ページ読めるだろうか・・・?いや流し読みしてでも読んでやる!
僕のエンジンはさらに熱くなっていった。
しかし本を持ち出して、部屋を出ようと廊下をソロソロと歩いている時だった。
さらに素晴らしい考えが閃いた。
「便所の中で読めばいいんだ!!」
外よりも暖かく、そして安心して座れる。今の状況でこれ以上の条件は無いであろう!
早速僕は便所に滑り込んで便器に座り、悔しくも昨日読めなかった本の続きを読み始めた。
あと1時間半、読め読め読みまくれ!!僕は全力で活字を頭に突っ込んでいった。

 30分程経った頃、僕は大学時代に友人から何気なく聞いたある言葉をふと思い出した。
「知ってたか?洋式の便器に長く座ると腸に負担がかかるんだってよ!」
なんでそんな言葉を思い出したのか・・・恐らく普段決してしない便器に長時間座るという珍奇な行為が、過去の苔むしたどうでも良い記憶を呼び起こしたのだろう。
僕は便器に座りながら心の中でこう呟いた。
腸耐えてくれ、あと1時間ほど。負担をかけちまうだろうけれど・・・我慢してくれ。
自らの腸にわびを入れ、再び気を取り直す。
普段の何倍もの速さで読むものだから、目は疲れ、頭がフラフラしてきた。
それでも負けじと活字をさばいていく。
あと180ページ・・・150ページ・・・100ページ・・・50・・・目が熱くなっていた。
鶏もまだ目をこする早朝から、便所と言う狭苦しい空間で僕は1人懸命に戦っていたのである。
 突然壁を通してやかましい機械音が鳴り響いてきた。
Kの目覚ましだった。気がつくと既に時間は6時を過ぎており、Kが起きた。
僕は負けた。残り40ページを残して本を読み切ることが出来なかった。
はぁ~とため息をついて目を本から離した。一気に力が抜け、痛快な脱力感が全身隅々まで染み渡る。
狭い便所から抜け出した時にはまたそれをさらに上回る快感が襲ってきた。
便所から出た僕は何事も無かったかのようにおっすと挨拶し、眠たそうにそれに答えるK。
外に出ると眩しい陽射しが降り注でいた。これから世界では新たな1日が始まろうとしている。
早朝から1人バカみたく熱くなって・・・なんだか得をしたような気分になっていた。
今日絶対に何かいいことがある!!そんな気がし、今日の僕の1日はすこぶる爽快に始まっていったのである。
 
 Kと別れるまで僕は言えなかった・・・からここで謝ろうと思う。
本を便所に持ち込んですまん。

雪山の毛虫

 その夜、空に雲は無く、近くに夜の輝きを霞ませる人工光も一切なかった。

透き通った空気の中、無数の星々が夜空一面をびっしりと覆い尽くしていた。

時々吹く微風が笹の葉をカサカサと揺らし、山の稜線の窪みに張られた小さなテントの中にスー…と入り込む。

ボーボーと音をたてて吹くバーナーの火がゆらりと微かに傾く。

バーナーの上にはコッフェルが置いてあり、キムチの香りを漂わせながらグツグツと具が煮えている。

僕らはそれを囲って箸で突きながら、静かで心地よい夜を堪能していた。

雪山の装備の点検と、雪山トレーニングでの谷川岳・西黒尾根のことだ。

 

「うちに来るなまはげは皆よぉ、足がフラフラしてて酔っ払ってんだ」

なまはげを一度も生で見たことの無い僕にとってその言葉はとても新鮮で、現地に生きた人だからこそ言える重みがあった。

へぇ―――・・・と相槌を打ちながら、僕は頭の中でべろんべろんに酔っ払っているなまはげを思い描いていた。

「何でなまはげが酔っ払うんですか?」

「それはな、なまはげは訪れる家々で酒を飲んでけと言われるんだ。だからよ、家を回るたんびになまはげって奴ぁは酒を飲んでんだ。酔っ払ってても小さかった頃の俺にとっては恐ろしかったがな」

なまはげだけでは無かった。貧乏だった青年時代、無賃乗車で必死に駅から脱走した話、雪山で一夜にして1mの大雪に降られ、山に3日間閉じ込められた話、蟹族と呼ばれていた話・・・刺激的で心を躍らす話が次から次へと火を噴いていた。

なんたって、僕以外の3人は皆もう60歳を超えており、僕の3倍近くも生きているのだから。人が生きてゆく中で他の人と同じ人生など1つもあり得ない。人が生きた数だけ、この世の中には多彩な人生があるのである。僕は3人の口から出てくる物語にジッと耳を傾けていた。

    そして数時間にも及ぶ会話が落ち着いた頃、テントの外に顔を出して、ふと上を見上げてみた。

暗闇の中ぼんやりと聳える谷川岳の背後から、夜空に弾ける様に星が散らばっていた。僕はしばらくの間、滅多に見られぬその星空に見入り、その後テントに戻って眠りについた。

 翌朝(今日12月4日)は晴れ渡った空から、さんさんと陽光が降り注いでいた。

f:id:Yu-Ma:20161204203334j:plain

暖かい太陽に恵まれて意気揚々とテントを畳み、下山しようとしたその時である。

足元の真っ白く傷の無い雪面に、黒くて枝の様なものが目に入った。

黒糖かりんとうを持ってきていた僕は、初めそれを見た時、「かりんとうを落としたんかな」と思った。しかしそんな所でかりんとうを開け覚えも無く、ましてやそこでザックを広げてもいなかった。

一体何だろう、なにかのうんこかな?と顔を近づけて見てみると、その黒い物がウニリッと動いた、かと思うと、一うねり、二うねりとうねって雪面上を移動していくのである。

毛虫だった。真っ黒い毛虫が、冷たい雪の上を這っているのである。

毛虫??毛虫が・・・こいつはなんでここにいるんだ・・・?

そう疑問が浮かんだ瞬間、僕の頭の中で想像が四方八方に弾け飛んでいった。

 

 毛虫は繭を作ってサナギで越冬し、次の年に成虫の蝶となって空を飛び回る。それが定められた毛虫の運命である(※全部が全部ではないが)。しかしそいつはそんな決められた運命に逆らい、蝶になる事を捨ててまで大冒険に出たのである。何百といる兄弟の中でまだ誰も行ったことない、足を踏み入れたことも無い谷川岳の頂だ。食べる葉も無く、大雪が降り積もる中で越冬する事など不可能である。そこへ行くことは毛虫にとってはつまり死を意味する。それでもそいつはありきたりの運命に逆らって命を捨ててまで冒険に出たのである。まだ見たことの無い世界に対する強く熱い念望に動かされて。秋、そいつは繭になることはせず、ずっと機会をうかがっていた。誰かが自分の傍に腰を下ろすのをジッと待っていた。しかし時は流れ、冷たい雨が降り、その機会は一向に現れず、刻一刻と寒くなる空気の中、柔らかく黒い身を丸めて震わせて、自らの命の限界が近づいていることをひしひしと感じていた。今日明日、もう来なかったら死んでしまうだろう・・・そう思った時、僕らの誰かがそいつの傍に腰を下ろしたのだ。そいつは“今だ!”と意気込んではっしとザックの布にしがみ付き、僕らと一緒に山の上へ上へと登っていったのである。今まで見慣れた生い茂る草木の景色は変わってゆき、ついには白銀の世界が辺り一面に広がったのである。

 

 どこへ向かっているのやら、ウネリウネリと小さな体をうねらせて、そいつは僕の足元の冷たい雪面を這っていた。僕はそいつをそのままいじくらずにそっとし、山を降りて行った。いじくることも何もできなかった。そいつの思うがままにしてやろうと。決まりきった運命を変えてまで冒険したのかもしれない、そいつに何だか親近感が湧いてしまったのだ。

そいつは恐らくもう間もなく死んでしまうことだろう。そして虫社会では今頃、山の頂へ旅立った、ある若い一匹の毛虫の話題で持ちきりだ。

 

※毛虫の物語は四方に飛び散った妄想の一欠けらである