旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

氷は消え、ついにカヌーを浮かべるときがやって来た

パラパラと降っていた雨は止み、それに代わるように風が吹き始めた。風は徐々にその強さを増していった。全てを吹き飛ばすかのように荒れはじめた。僕は堪らず岩影に身を隠した。風は土埃を舞いあげ、木々をユサユサと揺らし、湖の湖面上に大波を生じさせていた。湖に浮かぶ氷は大波によって亀裂が生じ、どんどん崩れていった。風は朝まで止むことなく吹き続けた。
早朝、目覚めていつものように湖を眺めた。昨日まで半分以上湖面を覆っていた氷は跡形もなく消え、山影から差し込むオレンジ色の朝日がキラキラと水面に光輝いていた。美しかった。そして、それは出発の合図でもあった。
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僕はサッと荷物をまとめてキャンプ場を後にし、ヒッチハイクで町へ出た。
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到着初日から色々とお世話になっているカヌーショップ“カヌーピープル”へ行き、扉を潜ると、薄暗い店内からいきなり声が聞こえてきた。
「オーーーーユーマ!森から出てきたか!!元気だったか?!俺は今日出発するぜ!!」ホワイトホースに到着した初日に出会ったイングランド人のハンターという男だった。彼も僕と同じ、ユーコン川を1人アラスカのベーリング海を目指してカヌーで下ろうとしている。明日、最終準備を整えて明後日出発する予定の僕は、のんびりと話ながら彼の準備を見守った。
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閉店間際、オーナーと店員、ハンターと僕で旅の出発を祝って乾杯!
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その後、ハンターは店の裏を流れるユーコン川の水にカヌーを浮かべ去っていった。
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僕の出発地点はユーコン川の支流、テズリン川(ジョンソンクロッシング)だ。この川を1週間程かけて下り、後にユーコン川へと合流する。(1週間氷の溶けるのを待ったラバージ湖は通らないのだが・・・)相当な事がない限りこれ以後、道中ハンターと出会うことはないだろう。それを思うと、川に流されてどんどん小さくなってゆく彼の後ろ姿を見ながら、何だか寂しさが滲み出てきた。ハンター、無事を祈る!!そして最高の川旅を!!!



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PS キャンプ中、不発だった魚の代わりに自生するワイルドオニオンを採集!

森の中で待つ

短い夜が明け、樹上から鳥達の鳴き声が響き渡る。それを聞いて僕は目を覚ます。テントを出、すぐ目の前に広がる湖へと歩いて行く。凍てついた水のなかに入ってゆき、そして顔を洗う。冷たい水をかぶり、目が一瞬にして覚める。そして顔をあげ、広大な湖すを見渡す。湖の表面にはまだ氷が張りつめていた。それを見、僕は思う。まだだ・・・と。


 1週間程前、ユーコン川の玄関口ホワイトホースに到着した僕は現在、町から車で30分程離れたラバージ湖の畔(レイクラバージキャンプ場)にキャンプを張っている。毎日、湖に張った氷の状態を観察し続けている。時たまブラックベアーやきつねが顔をだす森の中に、パリパリと響き渡る氷の割れる音を聞きながら本を読み、食べられる野草を勉強し、時々執筆しながら、僕は待っている。湖の氷が溶けたらカヌーを水に浮かせ、いよいよ旅立つのである!!それはあと1週間~10日程      

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森の中に出来上がった最上の僕の巣

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日々の日課、薪割り

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ヒッチハイクで乗せてくれたおじさん

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町に行くとき以外、靴は基本的に履かない

ユーコン川へ、出発だ!!

棚を開け、静かに眠っていた分厚いアルバムを取りだし、1ページ、また1ページと開いていった。僕がまだ物心つく前の赤ン坊の頃から、小学高学年位までの写真が順々に張ってあった。僕の回りには、いつでも自然が写っていた。 親に連れられて、僕は幼い頃から自然と戯れてきた。夏になれば北海道や離島等へキャンプ道具を積んだ車で行き、森のなかでキャンプしながら旅をした。週末は毎週のように秩父の川に行って魚を釣って焚き火をし、冬になれば雪山でスキーをしていた。

幼稚園は“鴻巣ひかり幼稚園”という所へ入り、様々な体験を積んだ。ひかり幼稚園というところは、野性味溢れる動物園の様な所であった。男女関係なく皆すっぽんぽんに、或いはパンツ一丁になって泥の中で遊び、イナゴや銀杏等を採取して焚き火で焼いて食べ、ガチョウ・鶏・兎・ヤギなどと戯れ、何メートルもの高さの木に猿のようにのぼって、尾瀬等の山で登山をした。 記憶を遡ると、自然のなかで過ごしているとき僕はいつでも楽しいとはまた違う、途方もない満足感・解放感に満たされていた。
今思えば、幼い頃のこういった経験が今に繋がっているのだろう。僕は自然が、大大大大大すきである!!

3年前のあるとき、風呂に入っていた僕はふと思った。これまで生きてきた21年間、体を洗う石鹸で僕は、どれだけ僕の大好きな自然を自ら痛めつけてきたのであろうか・・・、そしてこれから生きる何十年で一体どれ程痛めつけてしまうのだろうか・・・と。それから僕の日常から石鹸は消え失せた。いつでも湯か水で体を流すのみになった。髭も水のみで剃るようになった。不思議と体臭は無臭で、痒みなんかも全く出ない。肌はスベスベになり、強くなった。何より僕は、心地よかった。それから1ヶ月前から僕の生活からシャンプーが消えて、歯磨き粉(重曹にとってかわった)が消え失せた。ここ1ヶ月、物凄く心地よかった。草木や小虫達に喜ばれている気がした。 もっともっと地球の自然を感じたい!!それをかなえるため、僕は今日、ユーコンへ向い、家を出た。

これから10月まで僕は自然にどっぷり浸かって生きていく。カナダ・ホワイトホースを源流とし、アラスカ・ベーリング海まで3000キロ程の長さで流れる大河、ユーコン川。源流にカヌーを浮かべ、ベーリング海を目指して荒野の中で生きていくのである。川には数多くの魚がヒレを振るわせて泳ぎ、ハーブやベリーが数多く自生する。魚を釣り自生する植物を採取し、その地の生きた水を飲む。体の細胞殆どをユーコンの荒野と一緒にし、自然に溶け込むのである。靴を脱ぎ捨てて野山を裸足で駆け巡り、川で沐浴し、天上の星達を眺めながら眠る。ベーリング海を目指すといってもそれはただの薄っぺらい目標であり、別にたどり着かなくても全くいい。気に入った場所があればそこで長期間滞在し、その場をとことん満喫しようと思う! だけども、初めて足を踏み入れるユーコンの自然、そこに対して恐怖心がある。だから僕は牙をむかれないように子ネズミのように縮こまり、謙虚に大人しく生かさせて頂こうと思う。自分なりに、自然へ出来るだけ負担をかけないよう生きてきたこれまでの24年間の人生、そして自然を愛する心、それらをもって自然は大いに僕の味方をしてくれるものと確信している。全く根拠は無いのだが・・・ とにかく、行ってきます!!!! こんなに自然を愛するように育ててくれ、そして自分の道を歩かせてくれている両親に、物凄く感謝!!すっかり忘れ去られた頃にひょっこりと何の問題もなく帰ってくるので、安心して気楽に待っててくれれば良いと思う。めっっっっっっっちゃくちゃユーコンの生活を楽しんでくる♪

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1月6日からスタートした雪かき東北縦断の旅

これとは別にブログを作って、そこで記事を更新しているため、このブログはしばらく休みます!

http://yu-ma.hatenablog.jp
雪かき東北縦断の旅
で検索すれば出るかと思いますので、そちらの方をどうぞご覧になってください!
よろしくお願いします

最大の不安は・・・グリズリーである!

 

 ユーコン川を下るにあたり、僕にとっての最大の不安はカヌーの転覆により川に投げ出されることでも、襲い来る蚊の大群でも,気の遠くなるほどの孤独でもない。

最大の不安はそうグリズリー…体重が僕の5倍以上にもなる大型の熊だ。f:id:Yu-Ma:20161217075916p:plain

ユーコンに限らず、シベリアやアラスカ、カナダを舞台に描かれた伝記を読んでみると、グリズリーに対し皆神経を尖らせている。

僕も以前グリズリーに対する恐怖感を抱いたことがある。

それは今から3年前、余りにもずさんな計画により、カナディアンロッキーの山の中で1人野宿をしていた時のこと。

テントも寝袋も持っていなかった僕は、吹き荒ぶ山風に煽られて身を震わせながら眠れぬ1夜を過ごした。

姿こそ見なかったが、その野宿で僕は生まれて初めてグリズリーに対する恐怖感を抱いた。

直ぐ傍の暗闇からグリズリーがこっちの様子を伺っている…かもしれない、食い物の臭いを嗅ぎ付けてこっちにまっしぐらに向かってきている…かもしれないなどと好き勝手に膨らむ恐ろしい想像、あの恐怖感は今でも忘れることはない。

しかし今回の旅は1夜どころではない。グリズリーがそこいらにいる荒野で数か月間もキャンプをするのである。

ユーコン川を下ろうと決めた日からグリズリーが、のっそのそと分厚い筋肉を揺らしながら僕の頭の中を徘徊しているのだ。

3年前のあの時は正露丸を身の回りにばら撒いて、気休めの防御網を張ったのだが、今回はそういう訳にはいかない。

法律で銃を持って行くことも難しいし…。槍を作り、最悪の場合クマスプレーと槍を片手に原始人の様に果敢に挑むか…どうするべきか…僕はずっと悩んでいる。

そんな時に前回のブログでもあげたジョンタ―クのノンフィクション冒険記「縄文人は太平洋を渡ったか」を読んでいると、僕は度々触れるアイヌの文化に関心を引かれた。

熊を山の神と呼んで敬っていたアイヌの人々、あらゆるものに魂が宿っていると考えていたアイヌの人々、僕は自分の考えがどこかアイヌの文化に似ていると感じ、もっとアイヌの文化を知りたくなった。

アイヌ人の信仰を学べば、グリズリー対策のヒントが何か得られるかもしれないと思ったのである。

僕はそれからアイヌ文化の本を数冊軽く読んで、すぐさま北海道の役場や案内所等に問い合わせた。

「信仰を守り、今でも昔ながらの生活をしている人や、アイヌ文化に詳しい人が居ましたら教えてください!僕はこれからグリズリーが沢山いる所に行きます。それでその前にアイヌの方に、クマに対する考え方を聞きたいんです。アイヌ文化を知りたいんです!」と。

しかし電話口の相手はとんでもない馬鹿な奴が来たと思ったのだろうか、皆面倒臭そうに応対し、「そういう人はもう居ないです」と返してくるばかり。

何件も問い合わせたが結果は全て同じであった。

僕は途方に暮れた。やっぱり本で読むしかないのか…生で話を聞くことはもう出来ないのか…と。

そして半ば諦めの気持ちと微かな望みをかけて知床のあるツアー会社に問い合わせてみた。

すると・・・

「あ、いまOOOさんていうアイヌの方が伝承話や文化を残して行く為に、ガイドとして活動してますよ!今、アルバイトも募集してますから、ガイドとして手伝いながら色々と聞いてみてはどうですか?」と明るい返事が返って来た。

僕の心は踊り弾けた。

ただ1月~2月の2ヶ月間、僕はある旅に出る為に尋ねることは出来ない。

ので、3月に入ったら知床へ行き、直でアイヌ文化を学ぼうと思う。グリズリーに対し、今はただ恐怖心しかないのだが、なにか考え方が変わるかもしれない。

何だか楽しくなってきた!!

思わぬ出会いを与えてくれた、ジョンタ―クさんに感謝である。

ユーコン近づき難し

 

今日は情報収集の日。ユーコンに関する本を読もうと図書館へ行った。約100年前のゴールドラッシュ時代に金に惹かれ、北米大陸ユーコンへ渡った人々の事やアメリカの不況が当時どんなものであったのかが知りたくなったのだ。

手にした本は20世紀のアメリカ人作家・ジャックロンドンの生涯を描いた「馬に乗った水夫」。

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ジャックロンドンとは「海の狼」、「極北の地にて」、「野生の呼び声」などの作品で当時のアメリカ文学に強烈な衝撃を与えた大作家だ。

彼はまた青年時代に一攫千金を夢見てユーコンに渡った、夢追い人の1人であった。そんな彼の一生涯が書いてあるこの本を読めば、その当時ユーコンに渡った人々やアメリカの状況がどうであったのかを少しは知ることが出来るだろう、と思ったわけである。

 

 僕はソファに腰掛けてページをめくっていった。450ページにもなるぶあちぃ本で、冒頭は両親の生い立ちから、まだジャックが生まれる前の話で始まった。

それは僕にとってあまり面白みが無く、読むペースはノロりと緩やかなものであった。やがてジャックが生まれると、いきなり面白みが出てきた。極貧生活を強いられた幼・少年期、そしてその極貧生活から抜け出す為に船を買い取って海賊となり、牡蠣養殖場を荒らし回る青年期。

読んでいる内に僕は、自分自身とはかけ離れた波乱万丈の人生に魅せられ、本に夢中になっていった。

そして・・・あと少し、あと少しでジャックは金を求めてユーコンへの旅が始まるかもしれない!!ついにユーコンへの旅が始まるんだ!読むにつれてそんな高揚感がブクブクと泡立ってきていた。

しかしその高揚感は突然消えてなくなってしまった。

プーンとなにか腐ったような、生臭い臭いが鼻に付いたのである。くさい‼何だこの臭いは‼僕はハッとなり、隣を見た。すると僕のすぐ隣で、わんぱく小僧がきゃっきゃと数体のウルトラマンのフィギアで遊んでいたのである。

よく見ると、靴も靴下も履いてない足は古ぞうきんの様に茶色く汚れ、その足を僕に向けており、臭いはその足から漂ってきていた。

その臭いにより、僕のか細い集中力はいとも簡単にプツンと千切れてしまった。

この小僧は何処から、何故靴を履いていないのだろうか。

臭いと言えば、俺のランニングシューズ。このひと夏ですっかりと臭くなっちまったな・・・そういえばあの靴洗って外に干したままだった、しまわないと。ジャックロンドンの足も臭かったのだろうか?海賊として船に乗っている間、一体どんな臭いがしていたんだろうな・・・。などと臭いにまつわる思いが次から次へと生まれてくる始末。僕はすっかりと上の空となり、心は何処かとんでもない所へ行ってしまった。

だめだ、止めだ!僕は本をぱたりと閉じ、気分を一転する為に全く別のジャンルの本を開いた。

ジョンタ―クの「縄文人は太平洋を渡ったか」という本で、筆者・ジョンタ―クがカヤックで北海道からアラスカを目指し、大陸伝いに太平洋を3000マイル航海する航海記だ。アメリカの西海岸で発見された人骨化石が、日本の縄文人のものではないかという学説が出るや否や、縄文人が日本から本当にアメリカまで行ったのかどうかを自ら実証したいと思いに駆られて冒険に出たのである。

昨日、「今テレビでジョンタ―クって冒険家が出てるんだけど、友磨おまえみたいな奴だな」そう親に言われ、ジョンタ―クとは一体どんな人なんだ?と気になってしまったのだ。

足の臭いは相変わらず漂ってきてはいたがそれにも慣れ、ジョンタークの冒険の放つ魅力に引き込まれていった。気がつけば図書館の閉館時間が迫っていた。

結局本来の目的であったユーコンに辿り着くことが出来ず。足の臭いごときで途切れるか弱い集中力をどうにかせねばと悔い改め、ユーコンにはまだまだたどり着けそうにないなと思う一日であった。

 

1枚1円の名刺

 

 雑誌の編集者と打ち合わせを行うにあたり、直前で僕は大事なことを思い出した。

名刺が無い・・・

会社を退職して世を徘徊するハイエナ・・・いわゆるフリーになったはいいが、まだ名刺を用意していなかったのだ。

何とかして早く作らなければ!!そう焦って今頃急いで外注した所でもう間に合わない。

こうなったら自分自身でこしらえるしかない。

僕は飛び上がって家の中をガサゴソ引っ掻き回し、何か使えそうなものは無いかと血眼になって探した。

幼い頃に毎日毎日草むらに入って昆虫採集をしていた僕は、昆虫を探す目が鍛えられていたのかもしれない。ものの数分でいいものを発見した。

モンベルの紙袋である(昆虫ではなかったが)

丁度よい固さに、しなり具合、色も野生ぽくて、見た途端これにしようと即決した。


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そういう訳で急遽僕は肩書をとりあえずはフリーライターにし、名刺作りをした。

ほんの一時間前のことである。

手順は以下の通りだ。

 

①慌てふためきながら、ワードで名刺のテンプレートを作る

②コンビニへ駆け込んで、A4サイズの普通用紙で印刷する

③手をベタベタと汚しながら、糊で紙袋に張りつける

④指をちょん切らぬよう慎重に、切る

(総計は10円(白黒プリント代一枚分)だ)

 

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いらぬ言葉を加えたことで、一見複雑そうに見えるのだが・・・

実際は実に単純で簡単なものであった。しかも1枚あたり、1円というなんともお財布に優しい値段なのである。

ただ、一枚作るのに時間がかかるのが難点ではあるのだが。

作っている最中、受け取った人の事を考えると嫌でも丁寧になり、少しの緊張感が帯てきて、それがなんだか楽しかった。

 営業時代は会社に頼めばいくらでも簡単に何枚でも名刺が手に入り、一枚の名刺の重みなど微塵も感じなく、あげなくてもよい人にまでやたらめったらバカみたくばらまいていた。(元上司の皆さん、これ見た時には怒ると思いますが・・・、ごめんなさい)

だけど今はそんなことは決してできない。

自分で時間をかけて作ると気がついた。

名刺一枚にしても、丁寧に一枚一枚作るとこんなにも情が移るのか・・・と。

一枚の重みがあの頃と比べ数十倍にも増していた。

気がつくのが遅過ぎである。

これは名刺に限った事でないであろう。

 

これから日々生きながら考えて、もっともっと面白い名刺を作っていこうと思う。

版画の名刺もなんか面白いかもしない!

自ら文明に逆らって、これからは時間がいくら掛かろうと、どんどん時代を逆行して行こう!!!!