旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

鹿狩り

朝、突然携帯が鳴り響いた。
金山町のヒーロー昭夫さん(マタギ)からだった。
「今から山に行かないか?」
「行きます!」 寸秒たたずの即答だった。
マタタビ細工の予定が入っていたのだが、山に一瞬のうちに押し潰された。 

1月には珍しいという冷たい雨のなか、静かな木々の間、深い雪の上をかんじきで歩いてゆく。 
前にあるのはライフルを抱えた昭夫さんの偉大なる背中。 
神経を周囲に傾け、会話は一切ない。 
それは今までの登山とは、全くの別物であった。 
森のなかには鹿の足跡が縦横無尽に伸びていた。 

仕留められた2頭の内、一頭を解体する。 
崖っぷちでの解体だった。 
脂肪の無い引き締まった筋肉の塊だった。 もう一頭はロープを結び、急斜面を引き上げ、森のなかを引いていった。

 母なるの大地の命を見た。 

山を森を駆け回り、多くの葉を食らい生きてきた鹿!
 鹿は大地の生命の凝縮だ! 
動く大地そのものだ! 
一体どれ程の命が集まっているのか・・・

肉を食べると直ぐに体が熱くなった。 

強すぎるエネルギー。
肉は多く食べるものでは決してないと改めて思った。

 昔、狼を絶滅させた僕ら人間。
 今、その反動で鹿等が増えすぎ、山が泣いている。 

今に生きる皆よ、外部から持ってきた飼料を食べさせ、肥やした不自然極まる豚や牛を味に騙され食べている場合じゃないぞ♪

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今年は鮭が高くて買えない!
という話をちょくちょく耳にする。
スーパーに行かない(そもそもスーパーが無いので行けない)ので全く分からないが・・高いのだろうか?

ユーコン川を旅してる時、命を燃やし、3000キロの川を遡るなん十なん百匹もの逞しい鮭達を見てきた。
何も食べず、傷だらけになりながら泳ぐ鮭達。
その生き様に惚れ惚れした。
鮭に見習うべきものがあった。

その鮭を捕らえ、命の糧にしているものたちがいた。
インディアンやエスキモー等の原住民、熊やカワウソ、鳥等の動物、そしてハエ等の虫達、そして草木、森・・・僕も旅の間、鮭を食らって生きた。
鮭は子孫を残すためだけに川をのぼってるのではなかった。
海より集めたその命を広大な大地に広げていた。
一匹の鮭で、一体どれ程の生命の波紋が広がるのだろう。
鮭は海と地を繋ぐもの。
その命は重い。

鮭は安いもの?そんなことはない!
鮭は、いや、鮭に限らず、食べ物は全て決して安いものではない!!!

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福島県の奥の方にある集落暮らし1週間目

会津の、奥の奥の方にある小さな集落で家を借り、住みはじめてそろそろ1週間がたつだろう。

昨日、朝起きると世界がえらいことになっていた。

一夜にして雪が、すべてのものを覆っていた。
道も庭も車も・・・・前日は何ともなかったもの全てが雪で覆われていた。
すげえぇぇ・・・僕は感動した。

でも雪が多すぎて車が出せない。
それどころか外にも出られない。
僕はシャベルで雪をかいた。
とにかくかきまくった。
そのうち体は暖まり、汗が出てきた。
爽快だった。
早朝の白銀の世界は美しく、その世界でかく汗は爽快すぎた。

埼玉や東京に住んでいた頃、朝起きると散歩やランニングをしていたけれど、それがこっちでは雪かきに代わっただけ。
それも東京や埼玉では見られなかった幻想的な雪景色を眺めながらだ。

火照った体に流し込む汲みたての湧き水が何とも美味しいこと。

バイト(廃校を使って農業をやってる会社で、空いたときに働かせて頂いている)に行く前に温泉に入った。
もう・・僕は幸せだった。
源泉湯に浸かり、意識が遠のく中、もう何もいらねぇ・・と思った。

そんな感じで日々楽しく生きてます♪

1週間たって思ったことがある。
「人が住むのに、こんなにでかい家はいらない」
ということ。
一階と二階合わせて一体何部屋あるのか・・・・とにかく家がでかすぎる。
昔は家の中で馬を飼い、冠婚葬祭なんかもやったそうで、大きな作りなんだと近所のじいちゃんが言っていた。
でももう時代は変わったのだ。
人が住むのに必要最低限の大きさとは、どれくらいなのか・・・・何となく掴めてきた。
昔はとにかく大きな家に憧れを抱いていたこともあるが、それは間違っていた。
これから作る丸太小屋もそれなりに大きなものを作ろうと意識していたが、それも間違っていた。
小さくていいんだ。
大きければ大きいほど、雪や家の管理に時間も労力も気持ちも奪われ、本当にやるべきことに手が回らなくなってしまうだろう。
目的は家を作ることなんかではないのだから!

「あんちゃん、何故こんな真冬に来た!!」等と多くの村人に笑われたが・・・・良かった!

PS 雪国を舐めすぎて両足しもやけになった
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「漂流者の仮住まい」

 
 
車のドアを開け、薄く積もる雪の上に降り立った。目の前に建つのは僕の体の100倍~1000倍位大きな一軒家。古く、中に入るとずっしりと年季の入った息が吹きかかる。整然とした室内。1人の男が住むには十分すぎる、いや広すぎる位だ。

そこは、これから僕の仮住まいとなる場所だった。

 どこまでもどこまでも、果てしなく広がる大海原を、流れゆく僕は筏の漂流者。
いつの日か、巨大な海流に飲み込まれてしまった。
何だかよく分からないが気がつけば、福島県の奥の方にある小さな町・金山町に漂着していた。

 こんなこと母ちゃんの腹から飛び出した時には想像すらしていなかったことだ。

 というわけで、とんとん拍子で仮住まいも決まりました。
家賃は月10万円。漂流者には高すぎると値切ると、月1万5千円に下がった。町から月5,500円分の商品券が貰えるそうなので、実質9,500円。

 雪がどかどか降り積もってきっとこのでっかい家の中に閉じ込められるだろう。
静かな雪の世界で週に40時間位僕はぐっすり眠り、存分に夢の世界を飛び回ろうと思う!

 丸太小屋作りは、まだ土地選びに時間がかかりそうなので、じっくりと4年5年を見て金を貯めながら進めていきます♪

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小屋を建てる地

 

 僕は自転車から降りて辺りを見回した。滅多に車の入らない地は静けさに満ちていた。川の流れる音が絶えず響き渡り、気分を静めてくれる。この場所を訪れるのはこれで3度目だった。訪れる度にこの場所が好きになってゆく。  


 そこは、部落から100m程離れた山に囲まれた地。かつてそこではイワナの養殖を行っていたそうだ。もう使われなくなった古い小屋が寂しそうにポツンと建っている。僕は佇み、この場所にどういう空間を作ろうか・・・想像を膨らませた。  

 すぐ近くには澄みきった水を湛えた川が流れ、その川から引かれた水が小川となって荒れ地を流れている。川にはイワナがいるそうだ。小屋を解体し、荒れ果てた地を整備。白樺にブナの木を植えて森を作り、木々の間に小川を流せば面白そうだ。森のなかを流れる、木漏れ日に輝く小川。木には沢山鳥の巣箱を取り付けて小鳥を呼び込むのはどうだろうか。鳥の鳴き声に満ちた森。小川が流れる森のなかに建つ丸太小屋!畑も蜜蜂も勿論、木こり仕事で木材を引く小さな馬も飼えそうだ。少し手で掘れば湧き水も出ると言っていた。温泉へも歩いて10分位の距離。今一番の候補地♪  

 

 でも、1つだけ気がかりがある。日当たりがあまり良くないということ。ただそれだけ。 今は除雪車が入らないと言うが、僕が後継者のいないという除雪車のドライバーになって交渉してみよう。 土地の持ち主のおじいちゃんも、小屋でもなんでも好きに建てて良いと口頭で言ってくれている。良い流れ、絶好調! f:id:Yu-Ma:20171119153742j:plain 昔のイワナf:id:Yu-Ma:20171119153658j:plain イワナの住む川 f:id:Yu-Ma:20171119153829j:plain f:id:Yu-Ma:20171119153855j:plain

地球と大地

大地
 
荒野の旅で僕は靴を脱いだ。僕は大自然の中で常に裸足だった。

幼少期、僕はいつでも裸足で過ごしていた。
小学校に上がると、僕は靴を履くようになった。
それ以降24歳まで、僕は靴を履き続けてきた。
僕は幼少期の自然体に戻りたかったのだ。
靴を脱いで外で過ごすことは20年ぶりの事だった。

脱いで初めの頃、足の裏は傷つくばかりだった。
藪の中に入ればバラや松ぼっくりの棘がグサグサと刺さり、鋭利な石で切り傷を負ったりと、なかなか痛い思いをした。
それでも一晩寝ればほとんどの傷が治った。
体こそ万能だった。

日が流れるにつれて、日々、歩き方が変わっていった。それに伴って傷を負うことが減っていった。

どこを歩いても大丈夫だという信頼も待つようになった。たとえ岩場だろうが、藪の中だろうが、森の中だろうが、どこを歩いても大丈夫だという足の裏に対する信頼感。
それでいて出来る限り傷つけず、大事にしようという愛情も芽生えた。
足の裏に対するこの感情は生まれて初めての事だった。
一歩一歩が慎重な足運びとなった。
靴を履いて歩く時よりも時間はかかるけれど、ゆっくり歩くことで見られるものが多くあった。
 
 大地は生命で満ち溢れていた。
 芽吹いたばかりの小さな草
 長い年月をかけて作られた小石や流木
 静かに生きる苔
 川の中を歩けば、風と波が作った隆起が川底にある。
 
靴で大地との繋がりを遮断せず、裸足だからこそ、感じられるものが多くあった。
陰で湿った地は冷たく、キンと冷え、その後で太陽に照らされて渇いた地を踏んだ時の喜び。
森の地面を覆う、厚い苔を踏んだ時の気持ちよさ。
尖った石の上を歩いた後に、柔らかい土を踏んだ時の安心感。
地球は裸足を介して感情を揺さぶってくれる。
大地に平らな所などどこにもなく、どこもデコボコしている。
そのデコボコ、どんなに小さなデコボコにでも物語が詰まっている。地球が作った物語だ。 

岸辺はどこも動物の足跡だらけだった。
熊に狼、キツネにムース・・・中には小さな可愛い子供の足跡もある。
彼らは輝く夕日や朝日を見ながら歩いたのだろうか。
真っ暗闇の中、星やオーロラを見ながら歩いたのだろうか。
いつの日か、彼らが歩いた道を僕は歩いてゆく。
足跡を辿りながら歩いていると、すぐ目の前に、歩く彼らが見える様だ。

ふと僕の足が止まった。狼や熊の足跡に苔や草が生えているのだ。
他の地には生えていない苔が、足跡に寄り添うように。
その足跡を見て、僕は映画「もののけ姫」のあるワンシーンを思い出した。
シシ神様が森の中を歩く時、足を着けた瞬間にその場所から草木がニョキニョキと生えてくるワンシーンだ。
苔の生えた足跡は、川に沿って岸の上をどこまでも、はるか先までずっと伸びていた。
まるで動物達が大地に生命を吹き込んでいるかのように・・・

僕はハッとなって振り返った。大地には僕が付けた足跡が続いていた。
いつでも動物達の足跡は美しいと思っていた。
人間の裸足の足跡も美しいとその時初めて思った。
いつの日か僕の足跡にも苔が生え、草が育つのだろうか。
日本から海を越えて遥か遠くの地、ユーコンの荒野に付けた生命の足跡。

僕は裸足で大地を踏むとき、それがどこの地であろうと、ユーコンの地と繋がりを感じることが出来る。
  足とは地球と繋がることが出来る大切な器官。
カナダやアラスカの町中を裸足で歩いていると人々が目を輝かせて話しかけてくる。
「裸足!!すごいわ、素敵ね!」と。
そして僕はいつでもこう答える。
「地球が大好きなんだ!」
日本に帰り、裸足で外を歩いてみた。人々は変質者を見る様な訝し気な目で、僕を見た。
ある時、散歩中の両親にばったりと出会ってしまった。そしてこう言われてしまった。
「靴を履いてお願いだから。物凄い異様な光景よ」
人と地球との間に、物凄く大きな溝が開いてしまっていることを、僕は強く感じた。僕は再び靴を履いた。
 ※意識が小屋作りにすっかり移ってしまい、本の作成がなかなか進みません♪
 

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静かな生命

 僕はキノコに飢えていた。

 というのも、春~秋の半年間、僕はカナダとアラスカの荒野を1人で旅しており、キノコを殆ど食べていなかったからだ。日本に帰国後間もなく、キノコに飢えていたそんな僕に友人から声がかかった。

会津にキノコ狩りに行かない?」

その言葉を聞いた瞬間、頭の中には赤に緑、黄色と色とりどりのキノコがニョキニョキと生えてきて、口内にはヨダレがにじみ出た。断る理由も何も無かった。「うわっ、キノコ!!絶対に行きます!!」僕は即答した。

 

 福島県会津高原の檜枝岐村キリンテ小屋に集まった総勢13人の仲間達。泊った小屋は、築六十年を越える囲炉裏がある茅葺の古い家。昔春から秋の間、農作業をするために村人が使っていたそうだ。その殆どが50、60代の筋金入りのご老人ばかりだ。口を開けばもう何ものにも止められない。ゲラゲラと笑い声があっちこっちから戦場の弾丸の様に飛んでくる。長期間1人で荒野を彷徨っていたものだから、久しぶりの弾ける会話に僕は嬉しさを覚えた。荷支度を整え、僕らは3つのグループに分かれてキャンプ場の近くの山や森へと出ていった。

 

 この時期、マムシや毒蛇はもういない。靴と靴下を脱いでザックにしまい、ズボンをまくり上げて木々がうっそうと茂る森の中に、僕は足を踏み入れていった。森は秋色に燃えていた。黄色にオレンジ、赤と、頭上の葉や地面の落ち葉全てが紅葉に染まり、涼しい風が木々の間を吹き抜け、葉が宙で躍っている。透明な水を湛えた小川がチロチロと優しい音を奏でて森の中から流れ出ている。灰色の雲間から一瞬陽光が差し込み、薄暗い森の中、小川が光り輝いた。僕は見とれ、途方もない満足感に満たされた。その後すぐに日差しは流れてきた雲に遮られ、小川は姿を消してしまった。

 今年はキノコが少ないと地元の人達が口を揃えてそう言っていた。確かに歩いていても毒キノコすら殆ど見かけない。(ただ観察眼が無いだけかもしれない)僕らは森の奥へ奥へと入っていった。

歩いていると木々の間に、はるか昔から時代を越えて佇む苔むした大木の朽ち木が見えた。近づくと白く硬いキノコがびっしりと生えていた。名前も何も分からないキノコだった。はるか昔に幸運な種が地に落ち、芽を出してすくすくと成長し、何十年も生きて地球に生命を与え、やがて朽ち果てて今その体を次の生命に受け渡している。美しき生命の流れ。人間の寿命などちっぽけに見えるその壮大な流れに少し触れ、僕は大満足だった。大木の根元を見てみると、赤茶色のかさをしたクリクリのクリタケが数本頭を出していた。僕は出てきたよだれを拭き、プツッとナイフで茎を切って網袋に入れた。よし、今秋一番のキノコだ。

 再び歩みを始める。湿り気を帯びた枯れ葉がひんやりと裸足に心地よい。秋の大地が肌を透して体の中を上がってくる。喉に渇きを覚えた。しぶきを上げて流れる細い沢に入り、顔を突っ込んだ。締め付けるような冷たさに、足も顔も引き締まった。喉を通って新鮮な水が体の渇きを潤してくれた。沢から上がると小腹が少し空いていた。倒木を覆う苔の上に、小さな山ブドウがまるで誰かが置き忘れたようにちょこんと置いてある。小さな可愛い果実を1つ摘まみ、口に入れて噛んだ。プチッという感触の直後、渋みを帯びた濃厚な甘みがじんわりと口いっぱいに広がった。ほっぺたが落ちそうだ。凝縮された森の味。小腹を心地よく満たしてくれた。その近くの太い倒木の窪みを覗いてみると、白い卵が7つ、宝石の様に置いてある。季節外れの卵。もう目前には、雪積る極寒の冬が迫っていた。これから孵化することはないであろう。親が見捨てたのか、それとも他の動物に食べられたのか…不思議な物語が詰まった森の忘れ物だった。

 

 小屋に戻ると、続々とほかのメンバーが戻ってきて、各自獲ってきたキノコをばらばらと出す。ブナハリタケ、ヒラタケ、なめこ、クリタケ…。少しだけ。やはり今年はキノコが少なかったようだ。(いや探し方が悪いだけかもしれない)

 その夜、土砂降りの雨が降り、湿った暗闇が会津を覆った。森のはずれに佇む築60年の小屋の中にはほの暗い光が灯り、静かに薪ストーブのぬくもりが漂い始めた。冬場は除雪機が入らない地にあるキリンテキャンプ場。今年最後のお客さんである僕らに、キャンプ場のおばちゃんが、保存食のブナハリタケをボール一杯分けてくれた。数日前から出始めたというカメムシが、冬眠する為に、小屋の中に続々と集まってくる。何百匹と集まってきた。壁に床に電球に、小屋の居当たる所カメムシだらけ。そんなカメムシに全く動じることなく、僕らの終わることなき大宴会が幕を開けた。天ぷらに、シチュー、鍋と、新鮮なキノコ料理に僕らは胃を躍らせた。

 翌朝、眠たい瞼をこすり、小雨が降る中、小屋のすぐ傍を流れる小川を覗いた。透き通った水の中に1匹のイワナが見えた。雨に撫でられる川の中を気持ちよさそうに身をくねらせている。そんなイワナを見て、僕らは洗剤を使えなかった。あのイワナは、ずっと昔から家の傍に住みついている。おばちゃんがそう言っていた。森の小さく静かな生命。木々は紅葉に染まり、もうすぐ目の前には冬が迫っていた。。

 

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f:id:Yu-Ma:20171108065700j:plain森の中に建つログハウスでやる気のない作戦会議

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