早朝の沼沢湖
早朝の沼沢湖。
打ち上がっている流木を拾いながら湖岸に歩いてゆく。
暫く歩いていると、気持ちが落ち着く場所を見つけた。
そこは森の木の葉に頭上を覆われ、湖面に森が写る静かな場所だった。
広いこの地で、自分が特に心地よいと感じる場所を見つけた時は嬉しいものである。
そこは大地も木も石も、他の地よりも身近に感じられる場所だ。
程よい石に腰掛け、静かな早朝の世界に入っていった。
湖面は凪ぎ、水面に浮かぶ森もまだ目覚めていないよう。
向こうで小魚が微かな音をたてて水面を飛びはねた。
薄い波紋が微かに滲み出てきた。
何の魚なのだうか。
でもそんなことはどうでも良く、魚がここに生き、目の前で飛びはねた現実こそが大切なものだった。
風もなく、夏の暑い陽もまだ無い、なんという気持ちの良い世界なのだろう。
突然草の影からサギが水面を散らして飛んでいった。
水面は波立ち、波紋がゆらゆらと広がりってくる。
水面に写る木は徐々に乱れ始めた。
その乱れはどんどん大きくなり、やがて木はその姿を変え、水面で踊った。
その水上で静かにたたずむ木と、水面で激しく踊る木。
暫くすると波は小さくなり、再び静かな湖面に戻っていった。
生き物は、生きてこそ回りのものに命を吹き込んでゆく。
僕は湖に泳ぎ出た。
そこは初めて泳ぐ場所で、今までで一番綺麗な景色が広がっていた。
この地に生き、1日1日と少しずつこの地を理解してゆく。
理解することは大切なこと。
理解が深まるにつれて、水が地に浸透するようにこの地に染み込んでいける。
そしてこの地がどんどん好きになってゆく!
小川の昼寝
数ヶ月後に確実にやってくる冬。
そこを生きるために、薪割りを今日から始めた。
バリバリ割れる感触がたまらず、くさびをハンマーで、丸太に夢中になって打ち込んでゆく。
気づくと汗で全身びしょ濡れになり、体は焼石の様に熱かった。
脳裏に涼しい沼沢湖が広がった。
でも体は疲れて熱く、今すぐに水に入りたかった。
沼沢湖に行くのを止め、家の直ぐ近くにある、お気に入りの水浴び場に行くことにした。
沼沢湖を知ってからだいぶ足が遠退いていた場所だ。
木々の佇まい、川の形、岸辺の雰囲気、そこはやっぱり素晴らしい所だった。
水に浸かり、汗を流し、熱を冷まし、寝転がって上を見た。
葉が折り重なり、射し込む陽がまばらの世界を一匹の蝶々が風に乗っていた。
多くの人が暑い暑いと暑さに苦しむなか、蝶々はその暑さに逆らうことなく飛んでゆく。
優雅なやつである。
風に乗って飛ぶ世界ではどんな景色が広がり、風はどんな味がするのだろうか?
気が蝶にのり、空を流れるうちにうちうとうとしてきた。
絶えず切れずに流れる水音に、森を撫でる風音、あまりにも涼しかった。
目をつぶってそのまま眠ってしまった。
疲れがどっと押し寄せ、深い眠りに入った。
かゆい!!
目覚めると腕に足と至るところを虫に食われていた。
アブかな?
かゆいかゆい!
かゆいけど、この場所は特別だ!
僕と梅干し
「昔はあったけどもういらないから切っちまった」
誰に聞いてもそんな話が多く、近くで中々見つからない梅の木。
それでもようやく1本、貴重な1本の木を見つけた。
近くの山に住む、梅干し仙人の木だった。
数日前、梅干し仙人の家に野菜を届けに行った時、仙人は丁度梅干しを作っている最中だった。
古い家屋の中、梅干し仙人は奥さんと2人で楽しそうに漬けていた。
それを見て僕はもう一度漬けたくなった。
「あの梅の木、まだまだ取り残しがあるから、後は好きなだけ採っていいよ」
それを聞いて心が踊った。
数日後早速、僕は木に登っていった。
手を伸ばして一個一個もぎ、枝を手繰り寄せてもぎ、棒で突っつき落とし、拾った。
形も色も模様も固さも全てが異なる梅の実だった。
それは一つ一つが個を生きている証だった。
一部が膿んでる実、真っ青な実、虫につつかれてる実・・・それぞれがそれぞれの生に流れ、様々な物語を積んでいっている。
そしてその異なるもの達が一緒くたに壺に収まり、自然が運んできた多様な物語の詰まった梅干しとなってゆく。
採った僕と自然だけが知っている面白い物語も秘めて。
365個は無く、1年を賄う程の量は作れそうにないけれど、美味く漬かりますよーに!
自然英才教育
強烈な日差しに焼かれる暑い午後。
あまりにも暑く、体は熱を帯び、汗がびしゃびしゃと止まらなかった。
たまらず、近くの山の中に住む友達に電話をかけ、家を出た。
向かう先は山の中に横たわる、静かな湖・沼沢湖。
森の木々に隠れた人の誰もいない、誰からも見られない、秘密の場所がある。
細かく優しい砂浜、澄みきった水、陽が山影から差しこみ輝く湖面がそこにはあった。
奥さんがいたので気をつかい、水着を履いてきたのだが、ここではそれが邪魔だった。
「素っ裸でもいいですか?」
聞くと、「全然いいよ」
と、広大な心の返事がきた。
僕らはすっぽんぽんになり、ひたすら泳ぎまくった。
汗が一瞬にして湖に溶け、火照った体は冷えてくる。
夏を腹いっぱい吸い込んだ湖の中は素晴らしく気持ち良かった。
上がり、赤ちゃんと戯れ、砂浜に座ってぼけーと静かな夕焼けを楽しんだ。
再び湖に入り、泳ぎ、上がって砂浜に寝転ぶ。
その時、何もいらなかった。
何も求めず何もしない、それは贅沢な一時だ。
この湖の神秘を、地上に生まれたばかりの赤ちゃんに見せてあげたかった。
豊かな自然の中で、この広い世界を見て育つ天飛(赤ちゃんの名)。
この世界を、その純粋なすべてで思い切り感じたことだろう。
いつか話せるようになった時、自然を舞台に沢山の話をし、その素の感性に触れてみたい。
朝の風と野草
ね山々の間を縫い、森を駆け巡り、朝の息を抱えて静かに吹いてくる朝の風。
虫や鳥の鳴き声、草木の香り、朝の涼しさを乗せた風に撫でられるヨモギとドクダミ達。
早朝に摘んできた野の精達だ。
風に当たり、音を浴び、彼らと一緒になって涼をとりながら静かな朝を過ごす。
先ほど歩いた雫に濡れた野、森で見、感じ、出会ったもの達が出てくる。
この世界は美しいこと!
野の彼らは花を咲かせ、陽に向かって葉を広げ、上に上にと伸び、この地を浄化しながら力強く生きていた。
彼らはやがて枯れ、土に落ち、腐って大地を肥やし、また新たな生命に受け継いでゆく。
川の様に流れる生命の流れを流し、地球という1つの生命体を生かすことがこの世界の全ての生き物の根本を成す存在意義なのだろう。
それを根に自然を生き、森を歩き、日々を生きると様々なものが見えてくる。
前回外に干したものは見事にカビが生えてしまった。
家の中で陰干しにし、今回は絶対に作り上げるぞ!
冬に飲むハーブティー作り。
夏のカボチャ畑
半年程前、気づいたら福島県の山奥の地、金山町に僕は引っ越していた。
それは暗くて寒い、初めての会津の冬だった。
数ヵ月間の荒野の旅で使いきり、空になっていたエネルギーを溜めながら、冬を静かに生きてきた。
そして春が来た!
春を迎えた!
今まで静まっていた心は踊り狂い、体は弾け、新緑に包まれる大地と共に歓喜した。
その喜びは毎日毎日消えることなく燃え続けた。
これほど春が力強く、嬉しいと感じたことは今までの人生で初めての事だった。
それはちょっと危険な冬からの、最っっ高の贈り物だった。
四季、天候、朝夕とうねる地球の流れに乗っかって毎日を生き、そこから得られる喜びは絶大なもの、それこそ心が求めていたものだった。
澄んだ音を奏でて雪が解け、春の陽に照らされ、地温が上がった頃、僕らは土を、畑を耕した。
そこへカボチャの苗を500本程植えた。
山に入り、ゼーゼー言いながら草を運び、畑に敷き詰め、陽にジリジリ焼かれながら次から次へと出続ける芽を毎日かき続けた。
雑にやり、師に怒られ、何本も何個も駄目にしてしまったが、それでもようやく・・・ようやく!赤カボチャが実り始めた。
カボチャのジャングルと化した畑にはコオロギや蜘蛛がそこらじゅう元気良く走り回り、バッタが跳び跳ね、鳥達がつつき回る。
汗が染み込み、生き物が踊るカボチャ畑。
歓喜の大収穫まであと少しだ!!
パンプキンスープに思い切り溺れよう🎃