旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

こんな格好でいいかな・・・

 

長野県の山の麓にある一件の旅館があった。

旅館の名前は秀山荘。

古い木造の旅館だ。

目前にはのし掛かるように聳え立つ標高2900m程の山・木曽駒ケ岳

旅館の周りを囲む緑の木々が涼しい。

道路わきには看板が立て掛けられておりこう書かれている。

“温泉の飲用は便秘、痛風、肝臓病、糖尿病・・・に効く”

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この旅館は山から降りてきた人々を何年もの間癒してきたのだろう。

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

7月30日土曜日の早朝6時頃、その日は朝から霧が立ち込めていた。

陽の光は遮られ、肌寒く、今にも雨が降りそうなどんよりとした嫌な天気。

窓の外は霧のせいで視界が悪く見える筈の遠方の景色も白い霧で遮られてしまっている。

 

僕は木曽駒ヶ岳を目指し車で峠道を走っていた。

僕の他に仲間が2人いた。

1人は後部座席で首を傾けて眠っており、もう1人は運転している。

僕はぼんやりと窓の外の流れる景色を眺めていた。

 

もうそろそろ登山口に到着する頃、霧で悪い視界の中にその旅館がチラリと目に入った。

 

「あ、旅館だ。山から近いし下山後の温泉に良くないですか?」

僕は運転中のMに言った。

「あーいいねぇ!じゃあ帰りはここに寄ってみよう!」

Mは答えた。

 

程なくして登山口に到着した僕達は山を登りはじめた。

木曽駒ヶ岳にはロープウェイが走っており誰でも簡単に山の頂上まで行くことが出来る。

僕達はロープウェイとは反対側の人気のない登山口から登っていった。

川を渡り、蜘蛛の巣をかき分け、息を切らしながら一歩一歩登ってゆく。

8時間程かけて頂上に辿り着き、テントで夜を明かし、翌朝僕達は下山した。

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山を降りきったのは昼過ぎの1時頃だった。

空は昨日とはうって代わり晴れ渡っていた。

ジリジリと強烈な陽射しが容赦なく降り注いでいる。

我々の体は汗や泥まみれ。

肌はべっとりとべたつき、頭はかいぃ。搔いても搔いてもかいぃ。

汚い体を綺麗にするために、僕達は早速その旅館へ行った。

 

駐車場に車を止めて外へ出た。

ふと道路脇に立て掛けられている看板を見た。

その瞬間、ある2文字が僕の目を釘付けにした。

痛風

この2文字だ。

どうやら温泉を飲むと痛風が良くなるらしいのだ。

痛風持ちの僕の心は一瞬で輝いた。

ここの温泉に早く入りてぇ!!!

気持ちは温泉の事で一杯になった。

 

ガラガラと扉を開けて旅館に入る。

電気の点いていない館内は薄暗くて静まり返り人の気配が無い。

「こんにちはー」

僕は声を上げた。

・・・・・・

返事は無かった。

扉は開いており、人が居るのは間違いなさそうなのだが・・・返事が無い。

薄暗い玄関は不気味なほど静まり返っている。

 

僕はもう少し大きな声で言った。

「こんにちは!だれか居ませんか!!」

・・・・・・

やはり返事は無い。

僕の声は薄暗い玄関に虚しく消えていってしまった。

 

おかしい・・・・・管理人の居ない旅館なんて果たしてあるのだろうか?

 

「だれか居ませんかー?おうい!!!」

僕は声を張り上げた。

・・・・・

やはり返事は無い。

相変わらわず薄暗い玄関は死んだ様に静まり返っていた。

 

なんなんだこの旅館は!

そう思い、周りを見渡した。

古い木の下駄箱、古い習字和紙やカレンダーがぶら下がっている壁、黄ばんだチラシやら何だか良く分からない書類が山のように積まれている受付カウンター・・・

そんな散らかっているカウンターに一枚の紙が貼り付けられてあった。

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そこにはこう書かれていた。

“ベルを押してください”

僕はその言葉通りベルを押した。

 

ピンポーン・・・・・・

ベルの音が館内の奥の方から虚しく鳴り響いた。

 

・・・・・

誰も来ない。

物音一つしない。

 

おかしいな。誰もいねぇのかな?

 

紙の文字には続きがあり、こう書かれていた。

“ベルを押しても来ない時・・・

離れた所に居ますので電話下さい”と。

離れた所?どこだ?離れた所ってのは?

 

僕は離れた所に居るらしい旅館の人に電話をかけた。

プルルルル、プルルルルと何度かコールした後に電話は繋がった。

「はいもしもし?」

「すみません、温泉に入りたいんですけど・・・受付にだれもいないんです。今どこに居ますか?」

「あ、そうですか、ちょっと待っててくださいね。いま行きますから」

そう言って電話は切れた。

数分後薄暗い廊下からのしりのしりと人影が近づいてきた。

旅館のオヤジだった。

ヨレヨレの白いランニングシャツを着ており、乳首が浮き立っている。

首は垂直に曲がっていた。

 

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「こんな恰好でいいかな~?」

それがオヤジの第一声だった。

ヨレヨレの白いランニングシャツの事を言っているのだろう。

その恰好じゃ嫌です、と言ったらどうなるのだろうか?着替えてくるのだろうか?

「あ、大丈夫っ大丈夫です。気にしないんで」

僕達は答えた。

 

「先月首を痛めてしまってね・・・首が上がらないんだよ」

垂直に曲がった首・・・下を向きながらオヤジはそう言った。

先月に一体何があったというのだろうか?

 

この旅館は普通じゃねぇな・・・そう直感した。

 

「これミケ!お客さんが来たら出迎えなきゃダメでしょ!!」

そう言ってオヤジは部屋の中から1匹のヨボヨボの猫・ミケを持ってきた。

オヤジの手に首を掴まれて抵抗することなくブラブラと力なく垂れ下がっている猫。

毛はボサボサ、動きもノロノロ。

「ミケはもう20年生きてるんですよ。このミケに餌をやるためにわざわざ遠いところからやってくる人もいるんですよー」

 

僕達はただただ唖然としていた。

 

そして温泉へと向かった。

 

汗と泥の浸み込んだ服を脱ぎ、浴室へと入った。

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椅子に座り、体を洗い流す為にシャワーの蛇口を捻る。

その瞬間に「あち、あっちぃ!!!」僕は思わずそう叫んで跳ね退いた。

ドバドバと勢い良く熱湯が出てきたのだ。

ソロリソロリと水の蛇口を捻った。

だが熱湯は止まらない。

熱くて触れない。

その内、バシャッ・・・バシャッと熱湯は出ては止まり、止まっては気まぐれに出てくるようになった。

とても体など洗えたものではない。

 

洗面用具の中身もゴミまみれ・・・

 

浴槽の湯を桶ですくい体を洗ってから温泉に浸かった。

疲れが吹きとんだ。

しばらくリラックスして浸っていると何処からともなくガスのくさい臭いがモワワ~と漂ってきた。

“この湯は鉱泉ではありません。温泉です”

そう書かれていたのだが・・・本当なのだろうか?

ガスの臭いはオヤジが慌ててボイラーを入れている姿を想像させた。

僕達は笑った

 

何だか痛風に聞くという温泉も何だか疑わしく思えてきた。

一体過去何人の人が道路脇に立て掛けられている看板の痛風や肝臓病、糖尿病に効くという言葉に引かれてこの温泉に誘い込まれたのだろうか?

 

もうこうなったら旅館の目につくもの全てが面白くなってきた。

 

更衣室の壁に貼り付くプレート、そこに書かれているカルシュウム、マグネシュウムという文字・・・

何の問題もなく動いているのが不思議な古ー~い扇風機・・・

故障中の古いタバコ販売機・・・

目に入るもの全てが突っ込みどころ満載で我々の心はすっかりと癒されていた。

 

目まぐるしく発展をとげる今の世の中。

そんな世の中の流れに飲まれず、この秀山荘という旅館だけは時間が止まっている様であった。

日本には秀山荘の様な個性あふれる旅館は沢山あるだろう。

そんな旅館を探して訪ねてみるのも良さそうだ。

そんなことを思うと僕の気持ちはウキウキだ。

  

 長野県の山の麓にある秀山荘。

ヨレヨレの白いランニングシャツをきたオヤジがあなたを待っている。

「こんな恰好でいいかな・・・?」この言葉があなたを待っている。

その時あなたは何と答えるのだろうか・・・?