旅する蜂ブログ

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旅先で見つけた物語を面白おかしく書いてゆきます!

斎藤健太の幸せな一週間②

   訳が分からなかった。一体何があったというのだろうか・・・全く訳が分からなかった。斎藤はそんな奴ではない。ゴキブリを大量に飼うような奴ではないことは言われなくとも分かっている。ゴキブリ好きだなんて聞いたことも無いし、ましてや飼うなんてことはもってのほかである。部屋の中に現れようものなら殺してしまうような奴、それが斎藤である。そんな斎藤がゴキブリ飼いだと疑われてしまったのだ。一体何故、そんな風に疑われてしまったのか・・・訳が分からなかった。

「ゴキブリ?なんでそんな状況になっちまったんだ?」僕は斎藤に尋ねた。

「あぁそれがよ、聞いてくれよ・・・ちきしょう・・こんな馬鹿なことはねぇって・・・」

「あぁ聞くよ、何が起こったのか話してくれ」

「今日俺さペットショップでコオロギを100匹買ったんだ。10匹とかだと直ぐに無くなっちゃうし、ちまちま買いに行くのが面倒だからさ、100匹まとめて買ったんだ。そいつらを虫かごに入れて家に持って帰ったんだけど、家の前で偶然ばったり会っちまったんだ。下の住人に・・・」

「下の住人?下の住人って、あの床をぶっ叩いてくる下の住人か?」

「あぁそうだ、その下の住人だ。普段は滅多に会うことがねぇってのに今日に限って運よく鉢合っちまったんだ・・・ちきしょう・・・」

 下の住人・・・以前斎藤から聞いたことがある。夜遅くにシャワーを浴びると、排水管を流れ落ちる水の音が不快なのか、うるさいと言わんばかりに棒か何かでドンドンと天井を激しく叩いてくるという。

「下の住人は固まっちまったよ、俺の手に抱えられている虫かごを見て、固まっちまった。えぇぇっ?!て声をあげてさ、後ずさって、そして部屋の中に戻っていっちまったよ。あの時の驚いた顔は忘れられねぇよ」

「もしかして・・・お前斎藤、コオロギがうじゃうじゃ入った虫かごを、袋かなんかで隠さずにそのままペットショップから持って帰ったのか?」

「そうなんだ」斎藤の声はどんどん沈んでいく。

「うっわっ・・それじゃあおい、コオロギが丸見えじゃねぇかよ」僕は斎藤のその話を聞いて全てを理解した。そして呆れてしまった。

「でも、それどころじゃなかったんだ。カメレオンにコオロギを与えることを考えると楽しみで仕方無くなっちまって、頭ん中がカメレオンで一杯になっちまったんだ。そんな簡単な事にも注意が向かなかったんだよ。ちきしょう」

斎藤の気持ちは分からなくも無かった。僕も夢中になるともうそのことしか考えられなくなり、そうなってしまうからだ。

 下の住人にコオロギを見られた瞬間にもう全ては終わっていた。結末はどれも悲惨なものであり、もうどうにも救いようのないものであった。

 下の住人に見られたその数分後、斎藤の家の電話が鳴り響いた。斎藤はまさかと思い電話に出ると、まさにそのまさかであった。それは大家からの電話であった。斎藤が部屋の中で大量のゴキブリを飼っていると下の住人から聞き、今から行くという電話であった。それを聞いて斎藤は弾かれた様に虫かごを持って外へ飛び出し、近所の草むらへ100匹のコオロギを解き放った。黒い塊は外へ放りだされた瞬間、四方八方へ一斉に散らばって、生い茂る草むらの中へ消えて行ってしまった。

 部屋に戻って間もなくベルが鳴り、大家が現れた。その表情は厳しく、嘘など簡単に見通す力が目にみなぎっていた。斎藤は大家のその姿に恐れおののき、カメレオンの事、コオロギの事、何もかも全てバカ正直に答えた。ゴキブリじゃなく、コオロギだと弁解しても無駄であった。下の住人がゴキブリだろうとコオロギだろうと同じアパートで飼われていること自体が耐えられないというのだ。そして大家は斎藤に苦渋の選択を与えた。部屋を出ていくか、もしくはカメレオンを手放すか・・・。斎藤はそれを聞いて悲しみに打ちのめされた。どちらも選び難いそれらの選択に迫られて苦しんだ。斎藤は悩みに悩み、頭を抱えて苦しんだ。そしてついに決断し、斎藤は部屋をとったのだ。一目ぼれして買ったカメレオン、毎日毎日眺めるのが幸せで仕方なかった。それがほんの一瞬の内に崩れ去ってしまった。それはカメレオンを飼い始めてからまだ1週間も経っていなかった。

 翌日、斎藤の部屋の中に、あのきょろきょろと小さな丸い目を動かし、細い足の指で枝に捕まるカメレオンの姿は無かった。そして財布にはペットショップから受け取った薄っぺらい5,000円札が入っていた。

 

 斎藤がこんなにも不幸に陥ってしまった原因を考えて辿ると、どうもその源は僕に辿り着く。もしイモリの写真を何枚も斎藤に送らなければ、斎藤の生き物を愛する心に火をつけることは無かったであろう。カメレオンを飼うことも、下の住人に不快な思いをさせることも、辛い選択に頭を悩ませる事も無かったのだ・・・

 

 その数か月後、斎藤から再び暗い連絡が一通入って来た。

ロードバイクが盗まれちまったよ・・・」

話しを聞き終えて振り返ると、それは僕のせいだったのかもしれない。斎藤が不幸になってしまったのは、元を辿ればまたしても僕のせいである気がしてならなかった・・・。