旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

斎藤健太の幸せの1週間③

 2014年4月~2015年1月までの期間、僕は日本に居なかった。日本から遥か遠く離れた地、ブラジル・アマゾン地域のある農場で、カカオやバナナをはじめ、熱帯の果物の収穫を毎日の生活の主にして生きていた。その農場というのがまた広大な森の深緑に囲まれた場所にあり、電波の通じない場所であった。だが不便と思うことは全くなく、今まで携帯という魔物に多くの時間を縛られていた僕はむしろそんな携帯の使えない生活にのびのびと解放感や充実感を覚えていた。

 それでも月に数回、人が集う街に行く機会があった。そこで今まですっかり干からびていた携帯に、電波という飲み水をくれてやるのである。するとどうだろう、携帯は跳ね起きたかのように命を吹き返し、何週間溜まりに溜まっていた友・知人からの連絡を怒涛の如くドカドカと一挙にかき集めるのである。サークルや研究室に関する通知に、状況を尋ねる質問がどっさり溜まっており一つ一つに軽く目を通してゆく。そんな中、1通のラインを目にし、僕はぎょっとした。ラインは斎藤からのものであり、送られてきてからもう大分日数が経ってしまっていた。

「出発する前にロードバイクが盗まれちまったよ」

その短い一言からは尋常ならぬ悲哀と怒りの念が伝わって来た。カメレオンを失い、強烈な痛手を負っていた斎藤がまたしても、不運に見舞われてしまった・・・。一体どれ程の悪事を働けばこれ程の仕打ちに見回れるのだろうか。この男は何をしたんだ?一体どんな酷い悪事を働いたというのだろうか。いや、多分そんな悪いことはしていないはず・・・それでもこういう事態に陥ってしまう斎藤という男がただ哀れに思えて仕方なかったが、僕に出来ることは何もなかった。ただ慰めの言葉を送って祈ること以外に出来ることは何もなかった。

 僕がブラジルに旅立つ前、斎藤はある旅に出ることを決し、その概要や魅力を生き生きと僕に語ってきた。その旅は以下のようなものであった。まずロードバイクを持ってイタリアのローマに降り立ち、そこから400㌔程ペダルを漕いでアドリア海に面する都市・バーリへ行き、船に乗ってアドリア海を横切り、クロアチアの都市・ドブロブニクに行く、そんなシンプルな旅であった。「途中で野宿をし、釣りをし、のんびりとロードバイクで田舎を走って行くんだ!斎藤は目を輝かせながら熱く語ってくる。その雄弁に呼応して、僕は想像の中であたかも自分がその旅を行っているかのように楽しませてもらったものだ。

カメレオンの1件で6万円程の大金がドブに流れてしまったにもかかわらず、斎藤はその旅の為に出発数か月前に10万円程の大金をはたいてロードバイクを購入した。そしてあとは出発を待つだけという幸せに満ち溢れた生活を送っていたのだ。

斎藤の旅は7月で、僕のブラジル行は4月であった。

「じゃ、ロードバイクの旅楽しんで!俺が帰ったら話を聞かせてくれよ!じゃ!!」

4月、そう言って僕はブラジルに一足先に旅発った。そして7月、それに続いて斎藤が飛び発とうとしたその矢先である。事件が起きたのである。駐輪場に置いておいた、旅に無くてはならない大事なロードバイクが盗まれてしまった・・・人の心を持たぬとんでもない何者かにロードバイクが盗まれてしまったのだった。不運とはこんなにも立て続けに起こるものなのだろうか・・・。もしかしたら、どこかの駐輪場に置いてあるかもしれない・・・そんな淡い希望を胸に斎藤は夜遅くまで血眼になって、息を切らせて全身に汗を吹き出させながら、思いつく限りの駐輪場を片っ端から走り回った。高架下の狭い駐輪場にぎっしりと並ぶ自転車が、古い外灯からたれる乏しい光にぼんやりと照らされていた。「ない、ないないない!!」怒りと焦りが入り混じった声を漏らしながら、斎藤はロードバイクを必死に探し回った。しかし、どこにもない。いくら探しても見つからなかった。しまいには巡回していた警察に捕まり、「何してんのそんな所で!!免許証みせて免許証!!」と職務質問を受けたほどである。駐輪場の中を徘徊し一台一台入念に探していたものだから、泥棒だと勘違いされてしまったのである。

 カメレオンといい、ロードバイクといい、あいつは何故こうも残酷な事件に巻き込まれるのだろうか・・・。送られてきた1通のラインを見て僕は思いに耽った。斎藤はそもそも旅に出る様な奴では無かった。釣りをこよなく愛し、暇があれば釣りに出かけてしまう。僕の目には釣りさえ出来ればそれでもう人生に満足するような人間に見えていた。そんな斎藤は高校を卒業した後就職を選び、僕は大学へ進んでいった。真面目に毎日日々働く斎藤に対して僕はマレーシアにインドネシア、カナダにイタリア等へ一人旅に夢中になっていく。そして時たま会う斎藤に海外へ出る素晴らしさとその魅力を熱く語っていたのである。その話が、斎藤の中に眠る冒険心に火を点けてしまったらしい・・・。斎藤は思った。「釣りだけじゃねぇんだ。世の中釣りだけじゃねぇ!俺も自由に旅してぇ・・・」そして2年間務めた仕事場を去り、針灸専門の短大へと自ら道を逸らしたしたのである。そして短大へ通う傍ら、アメリカや中東へと旅をするようになっていった。

 ロードバイクが盗まれたとラインが送られてきた時、僕は思い返してみた。そしてこの一件も何だか僕に原因がある様に思えてならなかった。もし、斎藤に旅の魅力やすばらしさなんかを熱く語ることなどしなかったならば、仕事を止めて、旅に目覚めてロードバイクを買うことも無かったのだろう。釣りだけにとどまらず、良くも悪くも斎藤の人生に変化をもたらした原因は僕にある。そんな斎藤は何を思っているのだろう・・・僕は気が気でなかった。

 

 そしてつい2週間前の事である。僕は新宿のマクドナルドのカウンター席に座り、飲み物に入っていた氷をガリガリと噛み砕きながら、ガラス一枚を隔てて広がる夜の世界を眺めていた。ひしめく建物から放たれるネオンが夜の街を照らし、人々がその中を忙しなく動き回っている。明るい店内は人で溢れかえり何十もの声が飛び交っていた。僕の隣には斎藤が肘をつきながらコーヒーを啜り、同じように外を眺めている。

「あのロードバイクの件覚えているか?」僕は斎藤に尋ねた。

「あぁあれ、忘れるわけねぇって」

「そうだよな・・・」

「当時は地獄だったけど、でもな今思えばロードバイクが盗まれてよかったよ!何故かって?そのお蔭で大幅に旅を変更してクロアチアを中心に旅をすることになったんだけど、そこで釣りも存分に出来て、何よりも面白い出会いに恵まれたんだ!あのじーさん・・・クロアチアの釣具屋で出会ったじーさんなんだけど、またこれが適当でなぁ―…」

そう言って斎藤はケラケラと笑いながら満面の笑みで語り始めたのである。僕の心はその一言でなんだが軽くなった。

 なんだか人生にちょこちょことちょっかいを出されている斎藤、そんな斎藤が2018年の夏にロバかウマかどちらかを引き連れてモンゴルを横断してチベットやウィグル地区を回らないかと誘ってきた。本気かどうかは定かではないが、もし本気であるならばその計画に乗るつもりだ。舞い込んでくる不運も含め、一体どんな世界が広がっているのか、想像すると楽しみである。