旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

引っ越し

  幽霊が出ないこと、そして窓は南向き、この2つが何よりも大事であった。その2つに的を絞って借りるアパートを探していたのが今から1年9ヶ月前である。幽霊は大の苦手である。やつらは過去数度にやたり僕の心臓を干し柿の様に縮み上がらせたものだ。あの恐怖といったらもうたまったものじゃない。今思い出してもゾクリと全身を震わせる。幽霊が苦手である僕はそういう訳で、幽霊が出ないことがまずなによりも大前提であり、それと布団が干せる南向きの窓があるならばもうアパートなんてなんでも良かったのである。たとえトイレと風呂が一緒だろうが、共同だろうが、公園のものだろうが、あらゆることは問題でもなんでもなかった。そんな適当さ加減で部屋を探していたものだから、いざ部屋が決まった時に不動屋さんがこう言ったものだ。「いやぁもうほんとにありがとうございます。こんなに簡単に部屋が決まるなんて初めてですよ!」幽霊は出ないし布団は干せる、1年と9ヶ月間このアパートは十分満足のゆくものであった。しかしこのアパートとももう直ぐお別れである。退職を機にアパートを引き払うのだ。そういう訳で僕は今日、部屋の中を整理した。

 

養命酒

「友磨お前・・・その年でもう養命酒なんて飲んでるのか?」1年9ヶ月前、引っ越して直ぐに、部屋に来た親父が台所に置いてあるゴツイ1ℓ瓶の瓶養命酒を見てゲラゲラと笑った。

「いや、それ地元に帰る友達がくれたんだ。荷物を軽くしたいからいらねぇって言うから!俺はまだ飲んだことないけど、欲しいならあげようか?」

弱っている体を元気にさせてくれる養命酒。僕の持っているイメージでは年寄りが飲むものだったのだが、そのイメージは見事にひっくり返された。まさか同期のK(当時22歳)が飲んでいるとは驚いたものである。Kはそんなに疲れていたのだろうか?養命酒に頼らざるを得ない程、体が衰弱してしまっていたのだろうか?23歳という若さで?それらの疑問は今だに晴らせずにいる。あれから1年9ヶ月、結局僕は一滴も飲まなかった。今日まで存在すら忘れていた。引っ越すにあたり、ゴツい1ℓ瓶の養命酒は重い荷物である。誰か欲しい人は居ないのだろうか・・・。今ではKの気持ちが良く分かる。もしかしたらKも知人友人の誰かが引っ越す時に貰ったのかもしれない、そしてその知人友人も誰かから貰ったのかもしれない、その誰かも・・・そうやって巡りめぐって今僕の手元にあるのかもしれない。

 

トイレのスッポン

 あれは引っ越してまだ間もない時のことであった。春の涼しい夜風を部屋に招き入れながらのんびりと本を読んでリラックスしていると、突然玄関がドンドン音をたてて激しく叩かれた。せっかく自分の世界を作り上げていたというのに、夜中にそれも玄関を思い切りぶっ叩く正体不明の人間に少しの不快感を覚えて僕は立ち上がった。玄関を開けると若い男女が2人、額に汗を垂らしながら立っている。男は2つ隣に住む大学生であった。

「トイレのスッポンありますか?今トイレが詰まっちゃってて大変なんです!」それが男の第一声であった。

「いやスッポンは持ってねぇな・・・すまねぇ」僕はスッポンを持っていなかった。

「ちょっとトイレ見ていいですか?」

「いいけど本当にねぇよスッポンは」

そう言って彼らは部屋にズカズカ上がり込みトイレを覗いてきた。こんな図々しい奴は初めてだった。

「あ、これ使えるんじゃないですか?」男はパイプクリーナーを手に取って目を輝かせた。

「いや、どうかなぁ・・・それか隣のAさんに聞いてみれば?優しいからもし持ってたら貸してくれるんじゃねぇかな」

「ほんとですか?!聞いてみます!」

「あぁ、行ってみな。玄関明けたら先ず“こんばんは”は言えよな!」

そう言って彼らはドカドカと僕の家から出て行った。玄関がガチャリと閉まり、再び部屋には静寂が舞い戻った。

 

 トイレと風呂場を覗き、ふとあの訳の分からない一件を思い出した。

 

足の折れたテレビ

 夜中、玄関を叩くのは何もその大学生だけではなかった。NHKの集金と名乗る彼らは諦めずに蛇のようにしつこく攻めてきた。だが、僕は鋼鉄よりも固い決意を持っていたものだから、たとえ法律を出されようと決して怯まなかった。ピクリとも動かぬ僕を前に、彼らは段々と熱を帯びてゆき、声に力が入り、募るイライラが目に見えてくる。テレビを持っているならば払う必要がある!彼らはいつもそう言う。しかし僕は断固として引かない。そうしていつも10分程戦いが続き、いつでも彼らは敗れ、背中に悔しさを滲ませてとぼとぼと帰ってゆくのである。

 たしかにテレビは持っている。しかし立たないのだ。テレビの足が折れていて壁に立て掛けないと立たないのである。テレビも友人Iから譲り受けたものだった。そして、最初から足が折れていた。今思えばなんでそんなテレビを貰ってしまったのか・・・理解に苦しむのだが、当時の僕は貰ってしまったのだ。そんな足が折れていて不安定極まりないテレビは引っ越して早々物置の中に入ってしまった。それからかれこれもうずっと物置の中に眠っている。元々テレビを見ないので苦にもならないがもう何ヶ月テレビを見ていないのだろうか・・・。テレビは僕の部屋からその存在を完全に消し、今までずっと物置で息を潜めていた。そして今日物置を整理している時に、そのテレビは僕に静かに牙を剥いた。足の折れて横たえるテレビは僕にどう処分しようかと悩ませたのである。

 

 まだまだある。上の3つはほんの一部であり、整理すればするほどこの部屋での思い出がボロボロと出てきた。東京での生活は1年9ヶ月と非常に短いもので終わった。今までの人生を思い切りぶっ壊し、これから僕は山に川に荒野に・・・世界中の自然を舞台に活動していきます!!詳しくはまた後ほど