旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

ドングリの森

 家から2キロ程離れた場所に雑木林がある。そこは僕の少年時代の思い出の地。

 小雨が降る中、今朝、その雑木林へ向かって歩いて行った。

 土手に登るとはるか前方に雑木林が見えた。歩き、近づくにつれて心が踊ってきた。雑木林に足を踏み入れると、空気は重く、涼しく、あたりが薄暗くなった。太くて高い木々が茂り、天井を枝葉が覆っている。そこまでの道中、ほんの微々たるものだった鳥たちの声が、林の中では溢れんばかりに満たされていた。心は落ち着き、ホッとした。暫く林の中を歩き回った。僕はあるものを探していた。

”どんぐり”である。どんぐり。

 

 世界中の森林が失われてゆく情報を受け取る度に(学校の授業やメディア等で)、僕はいつでも暗い気持ちになり、この世界に絶望感を抱いていた。でも絶望を抱くだけだった。特に何もしなかった。何をしたらいいのかも、世界は広すぎて分からなかった。

 しかし、アラスカの荒野の中で1人考えると、僕にも直ぐに出来ることがあった。非常に簡単なことだった。自分で木を植えること。僕には木を植えに行く足も、土を掘る手も、すべてがあった。

 僕はまだ25歳だった。体が朽ち果てるまでの残りの人生、毎年2本でも10本でも100本でも何本でもいい、とにかく木を植え続け、森を作っていけば、一体どれくらいの木々を、森を作ることが出来るのだろうか・・・。木を植えるのに金も要らない。特に難しい知識も要らない。なにもいらない。簡単だ。(どこに植えるのかこれから考え、探すとして)

 僕には色んな力があった。その力を使って、木を簡単に切り倒せるし、地球を汚し、殺し続けることが出来る。

 それとは逆に、木を植え、森を作り、地球をどんどん生き返らせて、浄化することもできる。

 また、特にどうでもいいことに時間を費やし、何もしないこともできる。

 どれにその力を使うのか・・・考えるまでもない。

 

 これからの自分の未来を思い描くと、たった僕1人でも、ゆっくりとではあるが沢山の森を作ることが出来た。嬉しいし、思い描くだけでめちゃくちゃ楽しい!!!!それだけで体の奥底から生きるエネルギーが湧き出てくる!!!

 自然が無いとか、川が汚いとか、森が少ないとか、そういったことに絶望を抱き、誰かと議論してそのまま何もしない時代は終わった。

 汚いならば綺麗にすればいいのだ!なければ作る!!それが出来るのが人間だった!

 

 握れるだけドングリを拾い、そのごつごつの感触を楽しみながら帰路に着き、使われず、家の裏に眠っていた幾つもの鉢を叩き起こして、土を入れ、植えた。来年の春、植えた鉢の土から芽吹くのが楽しみである!!ドングリ拾いの秋が始まった。これが秋だった!こんなに喜びをもたらす秋は今までになかったと思う!!!

 

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