旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

荒野に生きる男・アンディ

 アラスカ・ユーコン川の岸辺の森の中で、僕はある1人の男と出会った。名はアンディーという。

 アンディーは22歳の時1人、自由とロマンを求めてワシントンからアラスカへ渡ってきた。イーグル村という小さな村から20キロ程川を下った荒野の森の中に、自分で家を建て、10匹以上の犬と共に1人で暮らしている。自然をこよなく愛する野生の男だ。

 夏の間は冬に備えて食料を作っている。耕した畑で野菜を育てて乾燥野菜を作り、遡上するサケを捕まえ、干し鮭や燻製を作っている。秋から冬にかけては森の動物を捕らえ、その肉を食べて生きている。50歳を越えるアンディからは老いというものを、全く感じられない。発する言葉に目の輝き、一つ一つの動作からは、瑞々しい生命のエネルギーが満ち溢れていた。

 過酷な大自然、荒野の中で、自分の力のみで生きていく。それは男ならば誰しもが一度は夢見る、いや・・・あまり見ないかもしれないが。僕にとって荒野で力強く生きているアンディーは、まさにヒーロー。かっこいい真のヒーローだった。

 

 僕はそんなアンディーと3日間共に過ごした。ジャガイモの種を植え、イチゴやハーブの植え替えをし、支流で魚を獲った。そして地球について、この世界について語り合った。へたくそな英語に嫌な顔1つせず、親身に聞いてくれた。僕の話がぶっ飛んでいるのか、話しても僕の身の回りには、話が合う人は少ない。しかし、アンディとは話が合った。共感者がいてくれることはどれ程嬉しい事か・・・・。彼と共に過ごした数日間は、今でも鮮明に胸に焼き付いている。空をふと見上げると、僕はいつでも思い出す。この今照っている太陽や月を、僕が植えたジャガイモやイチゴも見ているだろうかと。僕は太陽や月に向けて願いを込める。

 

 

イチゴとジャガイモとハーブに光を注ぎ、アンディにいつまでも力を与えて欲しい、と。僕は月と太陽と空で、海を越えて遥か遠くのアラスカの荒野で生きるアンディといつでも繋がっている。

 

 そんなアンディが、僕のある持ち物に、物凄い興味を抱いた。包丁である。その包丁は冬、青森県・深浦で偶然出会った鍛冶職人、古川お爺さんから貰った魂のこもった大切な、渋い包丁だった。料理をするときに何気なく使っていたその包丁をアンディーが見た。

 何だそれ?その包丁は何だ?かっこいいな!何処で手に入れたんだい?その彫ってある文字はどういう意味?その鍛冶職人とはどこで知り合ったんだ?一体いくら位するんだろうか?

 好奇心がにじみ出ている顔から、無数の質問が僕に投げかけられた。アンディーが包丁を欲しがっていることは一目瞭然であった。

 「一緒に包丁の取っ手を、俺が獲った動物の骨で作らないか?」そう言って、僕らは1日かけて包丁の取っ手を黒熊とムースの骨を加工して作った。輝かしい思い出である。

 

 日本に帰国後、早速僕は古川さんに電話し、包丁を一丁購入した。それを包んで、郵便局に行った。

「これは何ですか?」受付の女性が訪ねてきた。

「包丁ですよ、アラスカの友達に送るんです。送れますかね?」

「包丁ね・・・ちょっと待って」そう言って何やらパソコンをカタカタ。

「送れない品目の中に、”飛び出しナイフ”てのがあるんですけど・・・」

飛び出しナイフ???そんなの初めて聞いた名前だった。飛び出すナイフなのだろうか?

「何ですかその飛び出しナイフっていうのは?」

「ごめんさい、私も初めて聞いて・・・」

調べようにも携帯を持ってなくて調べられず、他に客のいないがらんとした室内で僕らは暫く考えた。結局飛び出しナイフがどんな物なのか分からなかった。考えても分かるはずがなかった。まぁ個人使用のみ!!と書いておけば大丈夫でしょう!という結論に至り、アラスカの荒野へ向けて包丁は旅発っていった。(森に住むアンディには住所は無く、一番近いイーグル村に送った。いつかアンディが村に来た時に受け取るだろう)

 台風が去り、雲のない晴れ渡った静かな夜空に、オレンジ色の月がぼんやりと浮いている。アラスカの大自然の中、アンディは元気だろうか。今1人で何を見て感じているのだろうか。包丁、無事に届いておくれ!

 

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