旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

地球と大地

大地
 
荒野の旅で僕は靴を脱いだ。僕は大自然の中で常に裸足だった。

幼少期、僕はいつでも裸足で過ごしていた。
小学校に上がると、僕は靴を履くようになった。
それ以降24歳まで、僕は靴を履き続けてきた。
僕は幼少期の自然体に戻りたかったのだ。
靴を脱いで外で過ごすことは20年ぶりの事だった。

脱いで初めの頃、足の裏は傷つくばかりだった。
藪の中に入ればバラや松ぼっくりの棘がグサグサと刺さり、鋭利な石で切り傷を負ったりと、なかなか痛い思いをした。
それでも一晩寝ればほとんどの傷が治った。
体こそ万能だった。

日が流れるにつれて、日々、歩き方が変わっていった。それに伴って傷を負うことが減っていった。

どこを歩いても大丈夫だという信頼も待つようになった。たとえ岩場だろうが、藪の中だろうが、森の中だろうが、どこを歩いても大丈夫だという足の裏に対する信頼感。
それでいて出来る限り傷つけず、大事にしようという愛情も芽生えた。
足の裏に対するこの感情は生まれて初めての事だった。
一歩一歩が慎重な足運びとなった。
靴を履いて歩く時よりも時間はかかるけれど、ゆっくり歩くことで見られるものが多くあった。
 
 大地は生命で満ち溢れていた。
 芽吹いたばかりの小さな草
 長い年月をかけて作られた小石や流木
 静かに生きる苔
 川の中を歩けば、風と波が作った隆起が川底にある。
 
靴で大地との繋がりを遮断せず、裸足だからこそ、感じられるものが多くあった。
陰で湿った地は冷たく、キンと冷え、その後で太陽に照らされて渇いた地を踏んだ時の喜び。
森の地面を覆う、厚い苔を踏んだ時の気持ちよさ。
尖った石の上を歩いた後に、柔らかい土を踏んだ時の安心感。
地球は裸足を介して感情を揺さぶってくれる。
大地に平らな所などどこにもなく、どこもデコボコしている。
そのデコボコ、どんなに小さなデコボコにでも物語が詰まっている。地球が作った物語だ。 

岸辺はどこも動物の足跡だらけだった。
熊に狼、キツネにムース・・・中には小さな可愛い子供の足跡もある。
彼らは輝く夕日や朝日を見ながら歩いたのだろうか。
真っ暗闇の中、星やオーロラを見ながら歩いたのだろうか。
いつの日か、彼らが歩いた道を僕は歩いてゆく。
足跡を辿りながら歩いていると、すぐ目の前に、歩く彼らが見える様だ。

ふと僕の足が止まった。狼や熊の足跡に苔や草が生えているのだ。
他の地には生えていない苔が、足跡に寄り添うように。
その足跡を見て、僕は映画「もののけ姫」のあるワンシーンを思い出した。
シシ神様が森の中を歩く時、足を着けた瞬間にその場所から草木がニョキニョキと生えてくるワンシーンだ。
苔の生えた足跡は、川に沿って岸の上をどこまでも、はるか先までずっと伸びていた。
まるで動物達が大地に生命を吹き込んでいるかのように・・・

僕はハッとなって振り返った。大地には僕が付けた足跡が続いていた。
いつでも動物達の足跡は美しいと思っていた。
人間の裸足の足跡も美しいとその時初めて思った。
いつの日か僕の足跡にも苔が生え、草が育つのだろうか。
日本から海を越えて遥か遠くの地、ユーコンの荒野に付けた生命の足跡。

僕は裸足で大地を踏むとき、それがどこの地であろうと、ユーコンの地と繋がりを感じることが出来る。
  足とは地球と繋がることが出来る大切な器官。
カナダやアラスカの町中を裸足で歩いていると人々が目を輝かせて話しかけてくる。
「裸足!!すごいわ、素敵ね!」と。
そして僕はいつでもこう答える。
「地球が大好きなんだ!」
日本に帰り、裸足で外を歩いてみた。人々は変質者を見る様な訝し気な目で、僕を見た。
ある時、散歩中の両親にばったりと出会ってしまった。そしてこう言われてしまった。
「靴を履いてお願いだから。物凄い異様な光景よ」
人と地球との間に、物凄く大きな溝が開いてしまっていることを、僕は強く感じた。僕は再び靴を履いた。
 ※意識が小屋作りにすっかり移ってしまい、本の作成がなかなか進みません♪
 

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