旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

田舎の醍醐味

「明後日13日(2月)は空いてる?」
それはお誘いだった。
13日は丁度仕事も何も予定はなかった。
どこに行くのか、誰と会うのか・・・何がなんだか詳しくよく分からなかったが、それは血沸く面白そうなお誘いだった。

12日の夕方、僕らは旅立った。
金山町から隣町の只見へ約30㌔。
吹雪で真っ白な世界の、それは大冒険だった。
「どこだここ?えぇ、今どこだここ?」
助手席に座る友人はそう叫び、僕は慎重にハンドルを握る。
雪にうもれた町は景色が分からず、ハラハラ迷子になりながら僕らはようやく到着した。
頭よりも高く雪が埋もった地に、重く佇む古民家「叶津番所」という所だった。
古びた窓からはオレンジ色の光がか細くこぼれていた。
それを見た瞬間、頭の中には「坊や➰」と昔話の歌が流れ、でんでん太鼓を持った赤ん坊が乗る龍が踊った。
小さい頃の記憶だった。
好奇心が爆発した。

壁に柱、床に茅葺き屋根、それらが包み込む空間は、洞窟の中にいるような、異様な重さだった。
築250年を越える老齢の古民家だった。
家の年齢。
それは切られる木の生きた年齢を考えれば400年は、500年は、600年はゆうに越えているだろう。
その木が根付いていた大地を考えると、もうその年ははるか昔にまでどこまでも遡ることだろう。
家は偉大なる大地だった。

薄暗い居間に、こたつを囲って4人の先人達が座っていた。
皆初対面だった。
皆、達人だった。
瞑想の達人、渓流釣りの達人、登山の達人、ヨガの達人・・・・
自然と口から出、輪の中に溶け込む会話は、普段話せなく聞けないような深いものばかりだった。
はるか昔から生きてきた古い家。
この家はこれまで一体どんな会話を聞いてきたのだろうか。
家が建つ以前、森の中で、孤高に生きていた木々達はどんな世界を見てきたのだろうか。
昔を生きた木々で出来た家、その中で生まれる、現代を生きる僕らの会話・・・
それは過去と現代という時を越え、時間を越えたたものであった。

その空間に漂う空気を吸い、窓から差し込む夜の光を浴び、流れゆくここでこその雰囲気の中、出てくる言葉や会話の数々。
それらはこの家が、その空間が導く言葉であり、会話であった。
ここを包み込む空間でこそ成り立つ会話や言葉であった。

侍がいたという部屋に布団が引かれ、眠った。
ぐっすり眠った。

もので溢れ、何でも簡単に手に入ってしまう今の世の中。
ここはそれら物質世界とは別の、高みある精神の世界だった。
それは田舎の醍醐味であった。
会津は最高だった。

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