旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

3月の頭、僕らは嵐の中にいた。
雨の混じった風が唸りを上げて吹き荒れ、木々がゆっさゆさ揺さぶられていた。
そんな嵐に興奮し、声を高らかに天に向かって声援を飛ばしている初老がいた。
「いいねぇ!!どんどんどん吹き荒れろ!!」
ブルーノさんは少年の様にはしゃいでいた。
ブルーノさんは嵐が大好きだった。
天の偉大なる力を、肌身に感じられるからだという。

僕らは家の中にいた。
山形県の人里離れた林の中に立つ、石と木と土で出来た、ブルーノさんの手作りの家の中だ。
若き20代の時代、フランスから1人日本に移り住んで来たブルーノさんは、その土地にあるものを使って家を作っていった。
一階の壁は、石を積み上げて造られている。
このでかい石は持ち上げるのに苦労したな・・・それら1つ1つの石には、創造時の思い、情熱、汗・・・様々な物語が刻み込まれていた。
様々な物語が石に染み込み、それらが高く厚く積み重なっていた。
壁は膨大な物語の結晶そのものでもあった。
そんな家は、吹き荒れる嵐にびくともしなかった。

ブルーノさんは明るい照明を毛嫌っていた。
部屋の中は、窓から差し込む自然光が照らしていた。
早朝と共に家の中に光が入り、日没と共に光は薄れ、夜は真っ暗となる。
その時は日暮れだった。
日が沈む。
徐々に薄暗く、青みを増してゆく。
部屋は、地球と宇宙の躍動そのものを感じられる部屋であった。
嵐の中でもがんとして佇む家の中で、吹き荒れる世界を眺めるのはなかなか楽しいものであった。
娯楽は何もいらなかった。
テレビも新聞も何も・・・
回りを取り巻く世界そのものが娯楽だった。
留まることなく激しく変化する嵐の世界。
その激しい世界の波に乗って、浮いては沈み、うねる心そのものが娯楽であった。
世界の変化に身を委ね、溶け込ませているだけで心は満たされた。

嵐が吹き荒れるにつれて、僕らの会話は熱を帯びていった。
その時だった。雷が近くに落ちた。
瞬間に石で包まれる部屋の中、窓の外の雪原が、青白く照らされ、世界が光輝いた。
一瞬の間に出現し、一瞬の間に消えていった幻想的な世界に感動した。
美しいと思った。
雷が落ちて現れる世界がこんなに美しいと思ったことはなかった。
蛍光灯で包まれた部屋のなかでは決して見ることの無い世界だった。
感動に包まれるなか、一筋の稲妻は過去の記憶を呼び覚ました。
それは雷で死ぬ思いをした荒野の旅の記憶だった。

当時、僕はアラスカの荒野の中に一人でいた。
カヌーに揺られて川の上を漂っていた。
その時、前方の山々の影からどす黒い雲が現れた。
と思うと、唸る雷音と共に、黒雲はみるみるこちらに近づいてくるのだった。
強い風が吹き始め、雨がもうすぐ目の前に迫っていた。
ヤバい!!恐怖を感じ、僕はすぐ近くの砂地にカヌーをつけ、カヌーをひっくり返して荷物を下にしまい、大急ぎでテントを張り、穴に潜る砂蟹の如く潜り込んだ。

直ぐに大粒の雨粒がテントをぶん殴り、唸り狂う風がテントを揺さぶり始めた。
テントは傾き、雨に濡れて湿った冷たい布が体に付着する。
ドカドカと雷が容赦なく落ち、その度に恐ろしい音が天地に鳴り響いた。
まるで生きた心地がしなかった。
不運にもテントを張った中洲は、平べったく広い砂地だった。
その中にポツンと立つテント。
回りに高いものはなにもなく、僕が居るテントが一番高かった。
真っ黒い天から、稲妻の落とし場所を探す雷神様にどうぞここへ落としてください!と言っているようなものだった。
落ちるなら真っ先にテントに落ちる気がした。

僕は気を紛らす為に本を開いた。
読みかけの本だった。
‘’イントゥザワイルド‘’
文明に嫌気がさした青年クリスは、1人アラスカの荒野の中に分け行ってゆき、荒野の中で孤高に生き、最後、孤独にこの世を去る話である。
本の舞台はアラスカで、ここもアラスカだった。
クリスが死んだ歳は24歳で、僕も24歳で、同じ年だった。
クリスが旅に出た理由も、僕が旅に出た理由も、似ていた。
本はもうすぐ終わりに終わりに近づいていた。
クリスの体は毒にやられ、衰弱しきり、もう死の間際までいっていたのだ。
薄生地一枚で隔てられた外の世界では、雷が所構わず落ちまくっていた。
この時ほど本に引き込まれたことはなかった。
僕は、本の主人公であり死ぬ寸前のクリスにどっぷりと同調してしまっていた。
本が、クリスが、死神みたいにズルズルと死の世界に僕を引っ張りこんでいった。
僕もここで死ぬんだ、と思い始めた。
雷に打たれて死ぬんだなと。
いつか真っ黒焦げになった死体が発見される日が来るのだろうか・・・
遺書でも書いとこうか・・・等とあらぬことを考え始めた。
気分はどんどん落ち込んでゆき、生命力そのものが落ちていった。
僕の死に向かっている気持ちそのものが、雷を僕の元に導く気がしてならなかった。
そうやって人は自ら死の世界に入ってゆくのだろう。
まだまだ死にたくないと思った。
この広大無辺の大世界において、この豆の如く小さな体で、思う存分やりたいことにやるべきことが沢山残っていた。
まだ死にたくないと強く思った。
それは生への執着であった。
僕は本を閉じた。
このまま読み進めてクリスが死ぬと、確実に僕も引っ張られて死ぬと思ったのだ。
閉じたことで、本の中のクリスは死ななかった。
そして僕は違う本を取り出した。
オーヘンリの短編集だった。
笑みを誘う、実に愉快な本だった。
読み始めて間もなく僕はバカみたくゲラゲラと一人で笑い出した。
胸が晴れ上がった。
先程の死の思い等綺麗さっぱり頭から消え去っていた。
依然として雷は容赦なく落ちまくっていたが、もはや僕の元には落ちないという心強い確信を胸に抱いていた。
そして僕は、生きた。

ブルーノさんは落ちた稲妻を見て、眩しい光を浴び、さらに感情を高ぶらせた。
「この地には‘’雪おろし‘’という現象があるんだ。何本もの稲妻が雪の大地に落ちてゆくんだ。夜、その光は、真っ白い雪原を遠くまで何処までも見渡せるほどだ」
僕はそんな雪おろしをいつか見てみたいと思った。人生のささやかな望みである。

今落ちた雷に対して、荒野の中で抱いていた様な恐怖心を全く抱かなかった。
たとえ落ちてもびくともしない頑強な家、透き通った大きな窓、暗い部屋の中で見る雷は荒野の雷とはまるで違った。
荒野での体験がより一層、家、窓、蛍光灯の無い暗闇の有り難みを厚くした。
濡れる心配も、打たれて死ぬ心配もなかった。
身を置く環境、心の持ちよう一つでこの世界はどうにでも変化するのだろう。

※写真は1週間位雨に打たれ続け、それでも屈せず命を守ってくれたかけがえのない偉大なテント
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