旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

斧の柄

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何もかもが初心者な僕。
薪割りも当然下手くそだ。
薪割りを始めて間もなく、斧の柄を思い切り丸太に叩きつけてしまい、見後に柄を折ってしまった。
爺から受け継いだ大切な斧だ。
このままでは冬の命を繋ぐ暖、薪を作ることが出来ない。
早速、柄の取り替えにかかった。

斧の刃に取り付けられる様に、柄の先端を鉈で削ってゆく。
これも爺から受け継いだ鉈だ。
しかし長年眠っていた鉈は錆で覆われ、刃はボロボロ。
全然削れない。
鉈を砥石で研がなくてならない。

早速砥石で鉈を研いでいった。
シュッシュッシュッシュッ…刃が研がれていった。
長い時間をかけて刃を研ぎ終えた。
使った砥石を次もしっかり使える様に、砥石を砥石で研ぐ。
砥石も刃も研ぎ終え、ようやく柄に鉈の刃が入っていった。
細かい削りカスが散り、手を切って血が流れ、師に何から何まで教えて頂き、丸1日ががりで斧を直すことが出来た。

自然と共に、冬を生きる為には木を切らなくてならない。
それにはチェーンソーが必要で、使えなくてはならない。
チェーンソーの刃を研げなくてはならない。
切った丸太を運ぶ力も必要だ。
運んできた丸太を割らなくてはならず、斧が必要で、使えなくてはならない。
斧の刃を研げなくてはならない。
研ぐ砥石のことを知り、研げなくてはならない。
斧の柄が折れた時には直さなくてはならない。
柄を削る為に鉈が必要で、使えなくてはならない。
鉈の刃を研げなくてはならい。
そうやって割って出来た薪を乾かさなくてはならない。

たったひとつの薪作り、たったひとつの丸太を割る為に、チェーンソーも斧も鉈も砥石も使えなくてはならない。
体に叩き込まなくちゃならないことが山ほどだ!

いつの日か師が言った。
広く浅くでもない。
狭く深くでもない。
広く深く、何でも出来るようにならなくてはならない!
それを欲張りと、ある人は言った。
しかしそれは欲張りでも何でもない。
この地球で生きている僕らに必要な、真の生きる力である。

蜂に刺されて腫れ、草や木に引っ掛かれて擦り切れ、虻に刺されて痒くなり、鉈やチェーンソーの刃で手からは血が流れ、日々体は傷を負ってゆく。
負った傷の分、体は、手は、5体は大自然の中での生活を覚えてゆく。
世界は広くて深く、そんな世界で生きることの喜びはここにある!