最大の不安は・・・グリズリーである!
ユーコン川を下るにあたり、僕にとっての最大の不安はカヌーの転覆により川に投げ出されることでも、襲い来る蚊の大群でも,気の遠くなるほどの孤独でもない。
最大の不安はそうグリズリー…体重が僕の5倍以上にもなる大型の熊だ。
ユーコンに限らず、シベリアやアラスカ、カナダを舞台に描かれた伝記を読んでみると、グリズリーに対し皆神経を尖らせている。
僕も以前グリズリーに対する恐怖感を抱いたことがある。
それは今から3年前、余りにもずさんな計画により、カナディアンロッキーの山の中で1人野宿をしていた時のこと。
テントも寝袋も持っていなかった僕は、吹き荒ぶ山風に煽られて身を震わせながら眠れぬ1夜を過ごした。
姿こそ見なかったが、その野宿で僕は生まれて初めてグリズリーに対する恐怖感を抱いた。
直ぐ傍の暗闇からグリズリーがこっちの様子を伺っている…かもしれない、食い物の臭いを嗅ぎ付けてこっちにまっしぐらに向かってきている…かもしれないなどと好き勝手に膨らむ恐ろしい想像、あの恐怖感は今でも忘れることはない。
しかし今回の旅は1夜どころではない。グリズリーがそこいらにいる荒野で数か月間もキャンプをするのである。
ユーコン川を下ろうと決めた日からグリズリーが、のっそのそと分厚い筋肉を揺らしながら僕の頭の中を徘徊しているのだ。
3年前のあの時は正露丸を身の回りにばら撒いて、気休めの防御網を張ったのだが、今回はそういう訳にはいかない。
法律で銃を持って行くことも難しいし…。槍を作り、最悪の場合クマスプレーと槍を片手に原始人の様に果敢に挑むか…どうするべきか…僕はずっと悩んでいる。
そんな時に前回のブログでもあげたジョンタ―クのノンフィクション冒険記「縄文人は太平洋を渡ったか」を読んでいると、僕は度々触れるアイヌの文化に関心を引かれた。
熊を山の神と呼んで敬っていたアイヌの人々、あらゆるものに魂が宿っていると考えていたアイヌの人々、僕は自分の考えがどこかアイヌの文化に似ていると感じ、もっとアイヌの文化を知りたくなった。
アイヌ人の信仰を学べば、グリズリー対策のヒントが何か得られるかもしれないと思ったのである。
僕はそれからアイヌ文化の本を数冊軽く読んで、すぐさま北海道の役場や案内所等に問い合わせた。
「信仰を守り、今でも昔ながらの生活をしている人や、アイヌ文化に詳しい人が居ましたら教えてください!僕はこれからグリズリーが沢山いる所に行きます。それでその前にアイヌの方に、クマに対する考え方を聞きたいんです。アイヌ文化を知りたいんです!」と。
しかし電話口の相手はとんでもない馬鹿な奴が来たと思ったのだろうか、皆面倒臭そうに応対し、「そういう人はもう居ないです」と返してくるばかり。
何件も問い合わせたが結果は全て同じであった。
僕は途方に暮れた。やっぱり本で読むしかないのか…生で話を聞くことはもう出来ないのか…と。
そして半ば諦めの気持ちと微かな望みをかけて知床のあるツアー会社に問い合わせてみた。
すると・・・
「あ、いまOOOさんていうアイヌの方が伝承話や文化を残して行く為に、ガイドとして活動してますよ!今、アルバイトも募集してますから、ガイドとして手伝いながら色々と聞いてみてはどうですか?」と明るい返事が返って来た。
僕の心は踊り弾けた。
ただ1月~2月の2ヶ月間、僕はある旅に出る為に尋ねることは出来ない。
ので、3月に入ったら知床へ行き、直でアイヌ文化を学ぼうと思う。グリズリーに対し、今はただ恐怖心しかないのだが、なにか考え方が変わるかもしれない。
何だか楽しくなってきた!!
思わぬ出会いを与えてくれた、ジョンタ―クさんに感謝である。