旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

東北・会津に佇む地味な山。その名も三岩岳!

 10月1日、初秋の会津は灰色の雲で覆われていた。穏やかな陽光を浴びることが出来ず、ブナの木々達はなんだか悲しそうに枝葉を垂らしている。僕ら3人はそんな生い茂る木々の下を通り、山の上へ上へと目指して歩いてゆく。

標高2,000m程の三岩岳。この山のすぐ近くには名高い尾瀬があり、多くの人はその有名な名に気を引かれ、この三岩岳には見向きなどしないかもしれない。標高もそれほど高くはなく一般的にみれば地味な山だ。しかし、そんな人をあまり引き寄せない山を僕らは登っている。空はどんよりと曇り、天気予報は雨が降ると予測していた。登山にはあまり向かない天気の中を登っている。目的は美しい景観でも、紅葉でも、山頂を踏むことでもない。木にょきにょきと生えるキノコが僕らの目的なのだ。だが、僕個人の目的はキノコでもなんでもないのである。

 傍から見れば夫婦とその孫、そう見えることだろう。僕と、一緒に登る他2人とではそれ程年がかけ離れていた。歩くスピードもその2人に合わせてとてもゆったりとしていた。ズカズカと歩かない分、それだけ周りに目を配ることが出来る。「姿勢を低くして下からすくい上げるように見ながら歩いてごらん?それがキノコを見つけるコツだよ」そう説明してくれるのは僕の3倍近くも生きている女性だ。道の両脇に生い茂る藪、その中に佇む朽ちた木。その朽ちた木にひっそりと生えるキノコを、それらは目を凝らさなければ容易には見つけられないのだが、彼女はそれらを次から次へと見つけてしまうのだ。「あ、あそこにあったわ!よし八須君出番よ!いってこい」キノコを見つける度に彼女はそう言い放ち、それを受けた僕は犬の様に藪の中へ突っ込んでキノコを採って来る。あっという間に袋はキノコで満たされた。

 

   標高が上がるに従いブナの木は姿を消し、代わりに針葉樹が現れた。キノコも同時に姿を消した。僕らは黙々と歩き続ける。晴れていれば所々開けている場所で遠く貫く山々を一望できるのであろうが、ガスで充満していたこの日は辺り一面真っ白。何も見えない。展望も何も無かった。最近降った雨で土はぬかるみ、足は泥だらけ。それでも僕は落ち込むことも気を悪くすることも全くない。歩を進める度に新しい発見があり、心が躍っていった。ふと立ち止まり、しゃがんで足元に広がる水たまりを眺めてみる。一匹のアメンボが、人であれば落ち込む様な曇った天気の中でも元気よく気持ち良さそうに泳ぎ回っていた。もっと目を凝らして水の中を見てみると、なにやら5mm程の細長いものが蠢いていた。筒状に丸まった落ち葉がひとりでに動いているのだ。よく見ると芋虫が筒の端から少しだけ顔を出し、もそもそと水底をのんびりと散歩していたのだ。

 

  その日の夕食はその日採れた新鮮なキノコ料理だ。塩コショウで炒めれば肉汁の様な汁を楽しめ、味噌と煮れば深いダシを堪能することが出来る。

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翌朝も変わらずどんよりとした空が広がっていた。三岩岳山頂を踏み、僕らはすぐ隣に隣接する窓明山を目指してゆっくりと尾根を歩いてゆく。

途中、上りが増えて2人が息を上げた。歩く速度も極度に落ちてゆっくりゆっくりと歩いてゆく。そうして足を止めて尻を着いて休んでいる時だった。近くでバキッと木が折れる音がした。咄嗟にその音の方を見るも、生い茂る藪で何も見えない。風で倒れたのかな?そう思うも続けてバキバキッと音が鳴った。藪の中をガサゴソと枝葉をかき分けながらこちらに真っ直ぐに向かってくる。シカ?シカかな?そう思ったが、シカにしては重量感がある歩き方だった。「聞こえますか?この音!」他の2人にそう尋ねるが、音が聞こえないのか「え、何が?」と全くの無関心。その間にも何者かがこちらに近づいてきていた。ガサゴソガサゴソと藪の中を音を立てながら。1人がようやくその音に気が付き、僕の横に立ってその音のする方をじっと眺めた。音はもう数メートル先の藪から聞こえてきていた。次の瞬間、僕らは見た。藪の上に黒い耳を持った黒い顔・・・熊だった。自然の中で初めて目にする熊を前に心臓は激しく打ち鳴りサッと血の気が引いた。しかし、熊も熊で、二本足で立ち尽くすほっそりした奇妙な生物を前に、僕以上にぶったまげたのだろう。瞬時に反転し、その場を慌てて去って行ってしまった。

   夏の間ジッと待ち続けようやく顔を出したキノコ、普通ならば気にも留めない水たまりに生きる小さきもの達、冬眠を前に必死に食料を求めて山を徘徊する熊・・・人をあまり魅力しないかもしれぬ地味と言われる三岩岳。僕の目的は美しい景観でも、紅葉でも、山頂を踏むことでもキノコでも無い・・・。あれから2週間が経ち、山はもう紅葉しているのだろうか、あの熊は今何処に、アメンボは?キノコもまた違った種類のキノコが顔を出していることだろう。

 

人で賑わう尾瀬、その尾瀬の側にあるこの山では今でも様々な生物が賑わいをみせていることだろう 

医者が解き放った一言(続編② ~追撃~)

 

  「20年後、人工透析になるわよ」

検査結果を見て、医者は僕の腎臓機能が年齢のわりに悪いと判断したのだ。

「もうその腎臓は良くならないんですか・・・?」

恐る恐る僕は尋ねた。

「ならないわ、腎臓は一旦悪くしたら決して元に戻らないの」

その言葉でもう十分だった。

その一言で、もう十分僕の心をズタボロに打ちのめしてくれた。

にもかかわらずだ・・・

医者は弱っている僕に容赦なく追撃の弾丸を放ってきた。

「まだ21歳でしょ?9かぁ・・・」医者は検査結果の紙を眺め、難しい顔をする。

まだ何かあるのか…とうんざりしながら僕は医者の口から出てくるであろう恐ろしい言葉を待った。

「尿酸値9かぁ・・・高いわねぇ。いつ痛風になってもおかしくない数値よ?これは」

(尿酸値とは血液中の尿酸の濃度であり、7を超えると高尿酸血症と判断される)

「はぁそうですか・・・痛風?ですか?」僕は何のことやら分からず・・・ただ静かに呟いた。

「まぁでもまだ若いからね、でもこのままじゃあなた25歳には起こしちゃうわよ?痛風を」

痛風・・・痛風ですか・・・?そうですか…」僕は良く分かっていなかった。

痛風という言葉はどこかで耳にしたことはある。

しかしそれが一体どんな病気なのか・・・どんな症状が出るものなのか・・・僕は全く知らなかった。

痛風・・・そんなものは僕の人生には一生関わりの無いものだと思い、それに対して特に興味関心を示さず、記憶にしまい込むことをしなかったのだろう。

 

痛風は激痛よ激痛!!関節が腫れあがり、あまりの痛みで歩けなくなるわ」

医者は痛風とは一体どんな病気なのか、知らない僕に簡単に説明してくれた。

その説明を聞きながら、その痛風とやら一体どんなものなのかを知るに従い、僕はどんどん恐ろしくなっていった。

医者は痛風がいかに痛くて辛いかを至極明確に僕に解説してくるのであった。

 

 20年後には人工透析、4年後には痛風・・・冗談じゃねえや、なんてこった!

痛風人工透析も絶対に嫌です‼まだやりたことが一杯あるんです!」僕はすがる思いで先生に尋ねた。「どうにかならないんですか?」

「まぁあなたはまだ若いからね!大丈夫よ、しっかり治療していけば痛風にも、腎臓をこれ以上痛めなければ人工透析にもならないわ」

その言葉を聞き、黒雲の立ち込めていた心に一筋の光が差し込んだ。

「まずは尿酸値を下げないと。尿酸値は薬で下げることが出来るけれど、薬を一回飲んだら以後ずっと飲み続けなければならないわ。まだ若いからそれはあまりお勧めできない。薬に頼らずにまずは生活習慣を変えて治すことをおすすめするわ」医者は言った。

「それが出来るのならばそうします!」

「じゃあまずは食生活ね、タンパク質は腎臓を傷めつけるから、もう肉はあまり食べちゃだめよ?卵も牛乳も魚も・・・控えないとだめ。食べても1日卵1個分位かな。その代り野菜を多く食べなさい。お酒も尿酸値を上げるから控えなさいね。激しい運動もだめ。それから水を沢山飲むこと、脱水症状には気をつけることよ?」

 

 肉を食べられないこと。それは毎日毎日肉や魚をガツガツ食べていた僕にとって非常に辛い事であった・・・

 激しい運動をしてはならない。それも非情に辛い事であった。その頃、いや昔から何かに憑りつかれたように筋トレに励んでいた僕にとって、筋トレはもはや生活の一部となっていた。その筋トレを奪われることは体の一部を無くすようなものであった・・・


 (酒を控えることに関しちゃ、酒に弱くてあまり好きではなく、自ら進んで飲むことはなかった。なので別に何の被害もなかった)

 

 でも、肉も魚も・・・卵も牛乳も!そして筋トレも!!それら大好きなものを全て捨てなければならない。

人工透析痛風なんてものにもなんてなりたくないから。

 

僕は意を決し、医者の言いつけ通り、生活習慣を改めることにしたのだった。

 

 

PS

つづく

 

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ジャックロンドンが呼んでいる。その呼び声を無視することは出来ない。

これ以上もう書けない…ので今日はここで終わります!

 

 

飯をくれ!!

 東北の旅も半ばを迎える頃、僕らは森の中を車で駆け抜けていた。

窓を開け放ち、葉の吐き出す新鮮な空気に酔いしれながら、のんびりと外の流れる景色を眺めていた。

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(写真は窓が空いてないときです)

 

そんな時、ふと僕らの目がある不思議なものを捉えた。

立ち並ぶ木々の先に、水が流れ落ちているのが見えた。

滝だった。

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それも普通の滝ではない。

滝の水がトンネルから流れ落ちていたのだ。

「あれは滝?トンネルから滝??」

初めて見るその不思議な滝に、僕らの6つの目は興味をそそられて思わず車を停めた。

その滝に誘われるように・・・引き付けられるように・・・僕らの足はその不思議な滝の元に向かって歩んでいった。

滝の近くにたどり着き、まじまじと滝を眺めた。

高さ3メート程の小さな滝は、言葉通りトンネルから流れ落ちていた。

暗い暗いトンネルの中を覗くと、数十メートル先に小さくて明るい出口が見えた。

一体この滝はだれが、何の為に作ったのだろうか・・・?

そんな疑問を抱いて眺めていたのだが、数分後には僕らはその滝にすっかりと飽きてしまった。

そうして車に戻ろうとした時だった・・・

 

一体どこに潜んでいたのか・・・一匹の猫が車の傍にちょこんと座っていた。

そいつは人懐っこく、毛むくじゃらの頭を僕らの足にスリスリとこすりつけてきた。

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そのあまりの可愛さに僕らの心はトロリととろけてしまい、そいつに夢中になってしまった。

くのやろ!こいつめこいつめ!!と僕らは夢中になってそいつを撫でまわした。

顔をむぎゅっと押つぶし、わしゃわしゃと頭を撫でまわし、柔らかいお腹をぽよぽよと・・・容赦なくいじくり回した。

しばらくの間そいつは気持ちよさそうにしていた。

だがあまりにも僕らがしつこいので、

それが相当気に入らなかったのだろう・・・そいつは首を、体をグネグネと振り回し、撫でまわしてくる腕を払いのけて僕らの傍から離れていった。

そいつは少し歩いてから立ち止まり、振り返って首だけをこちらに向けてきた。

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その顔にはこう書かれた。

「飯をくれやがれ!!」

その後そいつは向き直って、森の草むらの中へと姿を消していってしまった。

 

 そいつは知っているのだろう。

その滝が珍しいことを。

そのトンネルから流れ落ちる滝が、人の目を引き、車からついつい降りてしまわずにはいられないことを。

人が降りるとみると、そいつは草むらからひょっこりと姿を現して愛嬌良く人に振る舞うのだ。

頭をすりすりとこすりつけ、ひと声ただ泣くだけでいい。

そうすることで今まで何度美味い飯にありつけたことだろうか・・・。

だが、あの3人は違った。

飯をくれるどころか、ひでぇくらいに撫でまわしてきやがった。

お陰で毛はボサボサだ・・・。

 そいつは再び柔らかい草の上に丸くなり、目をつぶってスピースピーと鼻息を鳴らしながら眠り始めた。

そうしながら、そいつはただジッと待ち続けるのだ。

車が滝の前で停まるのを。

 

 

 

 

東北に森にいたある1匹の猫

 

 

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羽ばたいた彼女

 

 それは9月の半ばごろからか・・・彼女は必死にしがみ付いていた。

葉は雨粒に打たれてバッタバタと激しく上下し、風に吹かれて四方八方に揺れ動いた。足を離してしまえば、たちまち彼女の軽い体は雨嵐の中へ飛ばされてしまうことだろう。

彼女は振り落とされない様、必死に葉の裏っ側にしがみ付いていた。

彼女は、もう何日もそうしていた。もう何日も飛んでいなかった。もう何日も月を見ていなかった…。

 

彼女は感じていた・・・。

もうそろそろ自身の寿命が尽きることをひしひしと感じていた。

目はかすみ、世界がぼやけてきた。

以前の様にくっきりと世界を見られなくなってしまっていた。

少し前までは簡単だった葉の裏にこうしてしがみ付くことも・・・今では足の節々が痛んでとても辛い。

あでやかで美ししかった羽、それも今ではボロ雑巾の様。

鱗粉が剥がれ落ち、所々破れてしまっている。

「私…もうそろそろ死んでしまうんだわ…」彼女は雨風で揺られる葉の下で悲しんだ。「死んでしまう前に、もう一度、月光に輝く夜空を自由に飛び回りたいわ…」

 

 だが雨は容赦しない。

9月中旬、日本の本州付近に前線が発生し、黒々とした分厚い雲が空を埋め尽くした。

止む気配を一切見せず、雨はひたすら地上に降り注いだ。

何日も何日も止むことなく降り続けた。

ポツポツとやさしく降り、時にはザーザーと怒り狂った様に降り・・・雨は幾日も振り続けた。

雨が降るせいで、彼女はもう何日も夜空を飛んでいなかった。

雲が空を覆うせいで、彼女はもう何日も月も星も見ていなかった。

 

しがみ付きながら彼女は昔の事を思い出していた。

まだ小さな毛虫だった頃、毎日毎日首を持ち上げて空を見上げ、いつの日か大空を自由に飛び回ることを想像していた・・・

さなぎになり、ふ化の準備をしている時など楽しみで体をいつもうねうねと動かしていた・・・

「雨で飛べない今も、何だかあの頃の気持ちと似ているわ」

雨はそんな彼女にお構いなく降り続けた。

彼女は心から祈った。死ぬ前に・・・もう一度だけ夜空を美しく飛び回りたい。お願いだから空よ晴れてちょうだい!

 

 それは久しぶりに見る太陽だった。

雨は止み、空は晴れ渡り、陽の光がさんさんと降り注いだ。

今までずっと薄暗く、どんよりしていた森の中に陽が差し込み、世界が光り輝いた。

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陽が葉を照らして葉の脈が透き通って見え、そよそよとやさしい風が吹き、ゆらゆらと葉が揺れた。

「なんて気持ちの良い日なのでしょう、今夜・・・ようやく今夜飛べそうだわ!!」

 

 

 そして・・・もう太陽が山陰に落ち始め、辺りが次第に暗くなり始めた頃だった。

彼女は6本の足を葉の裏から離した。と同時に羽を羽ばたかせ、体を反転させてふわりと宙に舞った。

頭上に生い茂る葉や枝を潜り抜け、樹上に出た。

山陰から洩れるオレンジ色の夕日が西の空一面を染めていた。

彼女は懸命に羽ばたいた。

後方へ飛び散る鱗粉が夕日に照らされて、キラキラと光り輝いているのが見える。

森の木々がどんどん小さくなり、遠くどこまでも続く山々が目に移り世界がどんどん広がっていった。

生涯最後となるかもしれない飛行・・・彼女は泣き、その小さな体にその感動を深く刻み込むかのように飛んだ。

彼女は風に乗って、どこまでもどこまで飛んでいった。

 

 何故そこへ飛んできたのか分からない。

あまりにも大きな感動でなにも考えられなかったのか・・・?

風がそこへ連れてきてしまったのだろう・・・?

僕は120㌔程で高速道路をすっ飛ばし、東京へ向かっていた。

シュンシュンと後方へすっとんでゆく流れる景色の中で・・・前方にふと彼女の姿を目が捉えた。

黒い小さな彼女の姿が見えたと思った次の瞬間、バチュッと音をたてて、フロントガラスには見るも無残に潰れた彼女の姿があった・・・

僕はなんと罪深き男。

 

 

東北の山奥に生きた一匹の蛾の物語

増えるスリッパ

 

 何故スリッパが増えているんだろう…

初めてそれに気が付いたのは、1人温泉から部屋へ戻った時だった。

 

 

 

   夜はもうすっかりと更けており、辺りを真っ黒な世界が隙間なく覆っていた。

僕は露天風呂から上がり、館内へ入った。

廊下は薄暗く、電球がオレンジ色の光をチラチラと垂らしている。

 

キシリッ…キシリッ…と木がきしむわびしい音が歩くたびに聞こえてくる。

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階段を上がり、僕らの泊まっている部屋の前へ来た。

障子戸は閉まっていた。障子は黒く、部屋の中の電気が点いていないことが見てとれた。

戸を開けようと取手に手をかけた時だった。

目がぼんやりとした影を1つ、視界の下で捉えた。

見ると“スリッパ”だった。

暗い廊下、部屋の戸の前に一組のスリッパが置かれていた。

「もう、帰ってきて寝てるんかな…?」そのスリッパを見てそう思い、僕は戸を開けていった。

ガガッガガッガ…と鈍い音をたてながら滑りの悪い扉が横にずれてゆく。

暗い部屋の中に、廊下のオレンジ色の光がさっと差し込んだ。

誰も居なかった。部屋はガランとしていた。

部屋の真ん中にある木のテーブル、その上に置かれている白いポットや湯呑、急須などが差し込む光を僅かに反射していた。

「あれ、だれも居ない。おかしいな…」僕は疑問に思った。

スリッパはチェックインする際に1人1組ずつ渡されたので、余ることは決してない筈だ。

一体誰のスリッパなのだろうか…?

時をおかずに、一緒に泊まっている他の2人がやって来た。

僕を含め全員スリッパを掃いていたので、部屋の前には全部で4組のスリッパが並べられた。

あのスリッパは一体何なのだろうか…どこから来たのだろうか?

少しの間この増えたスリッパの話題を皆で議論した。

だが原因は突き止められず、自然とこの話題は姿を消していった。

2本のろうそくに火を点けて薄暗い部屋の中でのんびりとくつろぎ始めた頃には、増えたスリッパへの関心や疑問など僕の頭の中から、すっかりと跡形も無く消えてしまっていた。

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 翌朝、まだ夜が明けていない早朝。僕らは露天風呂へ行った。

風呂の直ぐ傍を流れる川の音に浸り、早朝の森の中、木々の間を潜り抜けて吹いてくる風に当たりながら浸かる露天風呂はこれ以上ない贅沢だった。

 

陽々の気分で湯をあがり、僕は1人部屋へ戻った。

部屋の前で僕はぎょっとした。

なんとスリッパがもう1組増えていたのだ。

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障子戸を開けて部屋の中を見るも、中はガランとしており誰も居ない。

皺くちゃの布団が3枚横たわっているだけだった。

僕は疑問を抱いた。

「おかしい、絶対におかしい。幽霊か何かの仕業…?」

直ぐに他の2人が風呂から戻って来た。

だがこの話題は空腹によって直ぐに消されてしまった。

 

 皆で朝飯を作りにキッチンへ行こうと部屋を出た時だった。

「分かった!分かったよ、スリッパが増える理由が!!」Hさんが苦しそうに笑いながら言った。

「え、それは?」僕は聞き返す。

「ハッチ(僕のあだ名)、部屋出る時いつも裸足でしょ?温泉へ行く時裸足で出て行って、帰る時他の知らない人のスリッパを履いてきてるんだよww」

僕は足元を見た。

そこには、薄汚い足が露わになっていた。

原因は幽霊でもなんでもない。

部屋を裸足で出てゆき、帰って来る時に何処からか他の人のスリッパをなにくわぬ顔で履いてきていた僕自身が原因だったのだ。

 

問題はこれで解決したように思えた。

しかし終わっていなかった。

不思議なことがある。

部屋を出る時にいつも裸足だった僕が、何故帰ってくる時にスリッパを履いたのだろうか…

 

PS

場所は山形県の滑川温泉

この旅館以外、周りに建物1つ無い

四方を囲む山々と木々、傍を流れる川に澄んだ空気

山奥にひっそりとある滑川温泉

吾妻山登山の後に…

都会に疲れ、癒されたい方は是非!

甲府のじーさん

 

 その日、僕は尿意を覚えて目を覚ました。

いつもやかましい目覚まし時計に叩き起こされている僕にとって、それは珍しい事であった。

 

 目を開け、視界に映った風景もまた見慣れたものではなかった。

普段ならば6畳程の狭い部屋で目覚めるものだから、いつもは迫りくるような壁に、手の届きそうな程低い天井が見える。だがこの時は違った。

目覚めた場所はいつもの狭い部屋ではなかった。

そこは甲府駅の広い広い駅の構内だった。

朝一で山へ登る為、僕は駅構内で野宿をしていたのである。

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 独り暮らしをしている僕にとって朝目覚めて直ぐに人と出会うことはまず無い。

だがこの時はいつもと違っていた。

トイレに行こう、そう思って立ち上がり、荷物をまとめていた時だった。

1人の見ず知らずのじーさんがこちらにヨチヨチ歩み寄って来たのだ。

その時、僕はエレベーターの傍にいたものだから、てっきりじーさんの目的はエレベーターだと思っていた。

が、実際は違った。

じーさんは僕の目の前で立ち止まり、

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そして訪ねてきた。

「兄ちゃん、これからどこへ行くんだ?北岳か?お?」

「いや、北岳じゃなく、こう…こうぶ?(あれ名前なんだっけ…)」

じーさんはウキウキした顔でじっと僕の言葉を待っている。

「こうぶ…こうぶ…(名前がでてこねぇ…」僕は頭をひねりにひねり、これから目指す山の名前を思い出そうとした。

「こうぶしん……!!たしか、こうぶしんげんだけだ!!」

正確には甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)と言うのだが、この時の僕はその名前を忘れてしまっており、”こうぶしんげんだけ”という訳の分からぬ名前を口走ってしまっていた。

「こうぶしんげんだけ?いやぁ~知らねぇな…」じーさんは首を傾げながら答えた。

この時、じーさんは頭の中で、僕の言った聞いたことも見たことも無い山を山の麓から見上げていたことであろう。

 

 だがじーさんは直ぐその山に背を向けた。

そしてじーさんの世界はいきなりぶっ飛び、次の瞬間には頭の中で、熱い熱気と歓声の中、狭いリング上で繰り広げられている2人の男の戦いを眺めていた。

じーさんはシュッシュッと言い、空に弱々しいパンチを打ちながら、僕に聞いてきた。

「兄ちゃんよ、“蜂の様に舞い、蜂の様に刺す”これ言ったボクサーを知ってるかい?お?名前は確か…何だったけか?」

言葉は少し違うが、聞いたことのあるものであった。

「モハメドアリですよそれは、蜂じゃなく蝶、蝶の様に舞う!」

「お!よく知ってるじゃねぇか兄ちゃん!おお?あん人は凄かった!兄ちゃんは試合を見たことあるけぇ?」

ここからしばらくの間、僕らはボクシングの話題で盛り上がった。

 

 だが、じーさんはボクシングの会場から突然立ち去った。

次にはじーさんは頭の中で、広大は海の上を船でゆらゆらと漂っていた。

じーさんは目を光らせながら訪ねてきた。

「兄ちゃん、マゼラン知ってるかい、マゼランって?お?あの人はいっぺー国をめっけたぞ!」

「知ってますよぉ!俺もあんな冒険家になりたい!」

「そいつぁいいことじゃ!マゼランの時代は…世界が変わってて、マゼランが正しかったんじゃ、おめぇもその内の一人だ!まずどこに行きてぇんだい?」

「アラスカです!アラスカで生きる生き物の物語を書くんです!」

僕は胸を躍らせながら答えた。

「アラスカかぁ…ここで寝られんだから兄ちゃん、世界のどこに行っても寝られらぁ!だけど、さみぃぞアラスカは。狐の毛皮を剥いで防寒着を作っている人がいるそうだ。兄ちゃんも毛皮を剥くといい」

「え?ムクドリ?」僕には“剥くといい”という言葉がムクドリに聞こえた。

ムクドリ?!何言ってるんじゃ!ムクドリじゃ兄ちゃん、毛皮なんか作れねぇだんべ!さては兄ちゃんムクドリを見たことねぇな?お?」

 

 その後じーさんは突然日露戦争の真っただ中に飛び込んで行ったかと思うと、次にはまた突拍子も無く世界を変えていった。

ジャングルに住むオラウータン、ゴミを荒らすカラス、ムンクの叫び、ブラジルのゴールドラッシュ時代、田中角栄、女…次々と僕を色んな世界に連れて行ってくれた。

僕がいちいちゲラゲラと笑うものだから、じーさんもじーさんでそれが嬉しかったのだろう。

目を少年の様にキラキラ光らせて面白い話題をホイホイ投げかけてきたのだ。

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気が付けば時計の針は7時を迎えようとしていた。

目覚めてからおよそ一時間…

はっと我に帰った僕は腹部に凄まじい尿意を覚えていた。

膀胱が破裂してしまう危機に陥り、僕はじーさんの止まらない口を遮った。

「ちょっとごめんなさい!ちょっとトイレ…洩れそうなんです」

「おおそうかい。トイレかい。いっといで!」会話を遮られてシュンとしていた。

「すみません、ちょっと行ってきます…。オジサンはこの後は?」

「わし?わしゃはこの後は…競馬じゃ!競馬!」

 

 僕はザックを背負いトイレへ走った。

そして再び面白い話を聞けることを期待して、さっきの場所へ帰っだ。

だが…もうそこにはじーさんの姿は無かった。

てっきり待っているものかと思っていたのだが、そんなことは無かった。

じーさんは競馬に行ってしまったのである。

 

 突然目の前に現れた面識も無く名前も全く知らない、見ず知らずのじーさん…。

話が次から次へと変わり。色んな世界に連れて行ってくれたじーさん…。

いつもならば朝目覚めて直ぐに人と出会うことの無い僕に、普段とは全く違う楽しい朝の一時を過ごさせてくれたじーさん…。

なんとあっけないお別れだったのだろうか。

尿意を我慢できなかったことを少しだけ後悔し、またいつの日かじーさんに巡り合えることを願いながら、9月17日僕はこうぶしんげん…甲武信ヶ岳に登って行った。

山を登っている最中に、じーさんのことがぐるぐる頭の中を回っていたことは言うまでもない。

 

救われた人生

   山には秋が来ようとしていた。

木々の葉が少しずつ赤く、黄色く色づき始め、どこからか涼しい風がサワサワとやって来る。

燃える様な夏を耐え忍んだ山に住む生き物たちは、心地よい森の中で踊り、歌い、秋の到来に心を躍らせる。

 

   そんな陽気に溢れる森の中に、一筋の苦しそうなうめき声が響き渡っていた…。

「うう…ううぅ…ううううぅー…」

それは一本の木であった。

まだかすかに息はあるが、彼の体はもうほとんど腐りかけていた。

皮は剥がれ、枝は折れ、葉はほとんど枯れて落ちてしまっている。

恐らくその体では、もう彼は今年の冬は越せないであろう…。

 

   そんな死にかけている彼に、おいらは寄生した。

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足を彼の体の中に突っ込み、チューチューと栄養を吸い取った。

彼はまだ生きているのに…まだ朽ち果てていないのに…

おいらは容赦なく彼の体を分解していった。

 

   生きながら栄養分を吸われ、分解される苦痛に耐えきれず彼は耐えずうめき声をあげた。

「うううぅ…まだ僕は死んでいないよ…。頼むからまだ僕に生えないでくれ…」

その悲痛な訴えに応えることは出来ない…。

それがおいら達“キノコ”の生き方だから。

 

 周りの生き物たちはそんなおいらを見て口々に蔑み、非難した。

なんて奴だ、悪魔の様な奴め、情けというものは無いのか…

 

おいら達キノコはいつもそうだ。

醜い見た目から、皆にはいつも気持ち悪がられ、引かれ、邪魔者扱いされてきた。

何度汚く、酷い言葉を浴びせられてきたのだろうか…。

おいらの心はもうズタズタだ…。

見た目を良くしようとおいら達の先祖は昔より、体の色を鮮やかにしてみたり、面白い形にしてみた。

けれども、それは全くの逆効果だった。

なにあの色は…、不気味な形…、うぇ~うぇ~…

ただ嫌われることに拍車をかけただけだった。

それでもおいらは自分の役目を全うする。

朽ちたものを分解し土に返すのだ。

いくら非難されようと、酷い言葉を浴びせられようと、それらに耐え、朽ちたものを分解してゆくのだ。

 

   本当はおいらも秋の到来の喜びを、森の皆と分かち合いたい。

歌いたいし踊りたい…

屍や死にそうな者に寄生をするよりもそっちの方が楽しい筈だから…。

 

   うめき声をあげて苦しむ彼に、おいらは心を痛め泣きながら寄生した。

おいらの人生はなんて悲しいのだろうか…。

非難され、罵倒を浴びせられ、今の様に死にかけている彼に苦痛を与える…おいらの人生はなんと悲しいのだろうか…。

おいらの心はもうズタズタだ…。

 

 そんな悲しいおいらの人生をぶっ壊し、変えてくれた者達がいた。

彼らは心地よい太陽の下、陽気に話し笑い合いながら、歩いてやって来た。

数メートル程の距離になった時、彼らの1人が声をあげた。

「あ、ヌメリスギダケだ!!」

彼らは一目散においらの周りに集まって来た。

そして物珍しそうにじろじろと眺め、口々に言い合った。

「美味そうだー!!あぁー腹が減って来た!」

そんな言葉を聞いておいらはゾッとした。

抵抗する術も無くおいらはナイフで切りとられ、そのまま袋に詰められた。

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ザックの中に入れられた。

そこは暗くて何も見えず、これからどこに連れていかれるのかも分からず恐ろしかった。

 

 数時間後、ザックが開かれ暗い空間からようや出られたかと思うと次には、おいらはフライパンでグツグツと煮られていた。

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体はとろけ、ヌルヌルの体液が溶け出していった。

数分でおいらは煮えたち、周りに芳醇な香りを放っていた。

おいらは、我先にと箸で突いてくる彼らに食われていった…。

 

 おいらの人生が終わる瞬間に聞いた言葉や彼らの顔をおいらは忘れもしない。

おいらを食べる時、彼らは皆、美味い‼と言い、顔には幸せが溢れていた。

それを聞き目にし、どれだけ救われたことか…

おいらの人生は悲しいままで終わることは無かったのだ。

 

 その後、山の中にはいつまでもいつまでも楽し気な笑い声や、話し声が響き渡っていた。

 

語り

金峰山に生えていたヌメリスギタケより。