旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

森のフクロウ

夕暮れ、タオルと着替えが入ったリュックを背負い、僕は家を出た。
向かう先は温泉。
徒歩20分位の共同浴場、八町温泉だった。
それは日々の日課だった。

暫くすると、前方の路上に何か落ちていた。
近づくと、それは泥にまみれたきったないお菓子のビニール袋だった。
誰かが投げ捨てたのだろう。
それを拾い、温泉に向けて僕は再び歩み始めた。
拾った瞬間、心が清んだ。何だか気持ちよかった。

前方に一台の軽トラがとまっていた。
その横を通りすぎた。
その瞬間、窓が開き、おじちゃんが顔をだした。
正則さんだった。
正則さんというおじちゃんだった。
「歩いてどこ行くんだ?」
「温泉です」
「歩いてか??か〰、考えらんねぇ!良くやるなぁ、家に風呂は無いのか?えぇ?」
正則さんは酸っぱい顔をする。温泉まで歩くんだと言うと、皆理解に苦しむようだ。
「家の風呂はぶっ壊れてるから使えないぞ!と家主さんに言われてるんです。どう壊れてるか分からないんですけどね。風呂は使えないんです。でも近くに温泉があるから、風呂なんて要らないんどすけどね!」
「か〰、で、その手に持ってるのはなんだ?」
「さっき拾ったゴミです、ゴミ」
「ゴミぃ??ちょっと貸しな!捨てといてやるから。ゴミを拾ったから、今日このあと良いことあるかも知れねーぞ!?」
良いことがある???
でも、そんなことはこれから起きようが起きまいがどーでも良かった。
良いことは、ゴミを拾った瞬間に既にもう起きていたからだ。
拾った瞬間に、心に覚えた、あの清々しさだった。

温泉は気持ちよかった。
一緒になった方々と話が盛り上がり、外に出るともう日が暮れていた。
真っ暗だった。
そんな夜道を家に向かって歩いてゆく。

ふと空を見上げた。
薄い雲を通して月あかりがぼんやりと見えた。
足を止め、僕は暫く夜空を見上げていた。
薄い雲は音もなく流れていた。
時たま出来る、僅かな雲の裂け目から月が顔を出した。
辺りは暗く、シンと静まり返っていた。
それでも空は眠っていなかった。
眠りに落ちた地上。その遥か上の世界では、風が踊り、雲が流れ、月が照っていた。
空は眠っていなかった。

何だかこのままこの世界の暗闇に、溶けていっても良いような心地になってきた。
心は不思議な満足感を覚えていた。
今の僕にはもうなにも要らなかった。
この瞬間で、もう十分だった。

その時、すぐ側の暗い森の中から、一筋のか細いフクロウの鳴き声が響いてきた。
小さな声だが、それは膨らみのある豊かな声だった。
この地に住みはじめて3ヶ月、それは初めて聞くフクロウの声だった。
姿は見えなかった。
フクロウから僕の姿は見えているのだろうか。
黒々とした森の中から声は響いてくる。
それは夜の森の声だった。
声に、森のあらゆるものがのっかているようだった。
枝にとまるフクロウの目に映る、景色。
月夜の暗闇に身を起き、感じているもの。
フクロウは何を見、何を感じ、何を考えて鳴いているのだろうか。
声は遠くまで響き渡り、山々を抜けてこだましていた。
今目に見えない、それでも確実に広がっている山々の存在が、こだまを介して僕の中に入ってきた。
それはフクロウの鳴き声が伝えてくれるこの地の広がりだった。

そこは毎日目にする、ただの森だった。
ただの森がフクロウが鳴くことによって、その存在を大きくした。
明日、僕はその森の前を通るだろう。
その時、フクロウの声を聞いたこの一夜のことを思い出すだろう。

車に乗って温泉に行っていたら確実に見れなかった世界だった。
歩くことで、ゆっくりと深みある時間がそこにあった。

福島県の山の奥の奥の奥の金山町。
この地に移り住んで3ヶ月。
今日ほんの少しだけこの地に深みを持てた。