旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

斎藤健太の幸せな1週間

 訳が分からなかった。一体何があったというのだろうか・・・全く訳が分からなかった。僕は食べていた夕飯を中断してテーブルを発ち、暗い階段を駆け上って自分の部屋に入り込んだ。階段下から母親の声が聞こえた。

「いきなりどうしたの?」 

その問いを無視し、僕は携帯電話に話しかけた。

「なぁおい、意味が分からねぇ、何があったんだよ・・・?」

携帯電話からは今にも死んでしまいそうなか細い声が聞こえてきた。

「八須・・・ダメだ、俺もうダメだわ」

訳が分からなかった。一週間前から斎藤は、どでかい幸福感に包まれていた。欲しいものを手に入れて、もうこの世の中に不満など一切無い、そう言える程の幸福に包まれていた斎藤からは悲しみに満ちた弱々しい声が聞こえる筈がなかった。ふるふると震える声からは、半べそをかきながら話している斎藤の姿がありありと想像する事が出来る。

「八須・・・ダメだ、俺もうダメだ・・・」涙ぐんだ声で、言葉を詰まらせながら斎藤は言うのである。

 それは僕のせいだったのかもしれない。斎藤が不幸になってしまったのは、元を辿れば僕のせいである気がしてならなかった。

 斎藤という男は僕の高校以来の友である。背が僕より少しだけ小っちゃなフィリピン人のハーフ男だ。高校時代に通っていたボクシングジムで出会い、それっきり気が合い、今現在まで事あるごとに会っては旅の話や将来の夢を語りあう仲である。

 大学3年生の冬、当時僕はそんな斎藤に飼っていたイモリの写真を何枚もラインで送っていた。「この写真かわいくねーか?」と容赦なくバンバン送り付けていた。斎藤の手元へは日々何枚ものイモリの写真が送り付けられてきた。水槽の中を悠々と泳ぐイモリの写真、餌に食らいつくイモリの写真、陸に上がってのんびりしているイモリの写真・・・。鬱陶しい程に勝手に何枚もの写真が送り付けられてくる。そしてついにはそれれらの写真が、斎藤の中に眠る生き物を愛おしむ心に火を点けてしまったのだ。

斎藤が言った。

「俺もトカゲを飼うことにした!!だからペットショップに一緒についてきてくれよ!」

 翌日の昼過ぎ、家の前で車のクラクションが鳴った。僕は外へ出た。窓が開き、運転席からは嬉しそうなほくほくの顔が覗いている。

「早くいこーぜ!」

「あぁ!行くべ行くべ!」そう言って僕は助手席に乗り込み、車はペットショップに向かって走り出した。

トカゲを買う予定であった斎藤だったのだが、ペットショップに入って数十分後、斎藤はある水槽の前に釘付けになっていた。何をそんなに見惚れているのかと思い、その水槽を見てみると、そこに入っていたものはトカゲではなかった。

「八須おい、こいつを見てみろよ!かわいくねぇか?」斎藤は言った。

「あぁ確かにな!かわいいな、こいつはかわいい・・・。でもあんなに欲しがっていたトカゲはどうしたんだ?」

「トカゲはやめた。一目ぼれだよ!こいつに一目ぼれしちまったんだ!決めた、俺、こいつを飼うわ!」斎藤は目を輝かせながら言った。

「えぇっ!!2万、2万円もするんだぞ?」

そんな驚いた僕の忠告など聞きもせず、斎藤は止まらなかった。

そうしてペットショップから出る時に手に抱えていたものはトカゲではなかった。手に抱えられていたもの、そいつはカメレオンだった。斎藤はカメレオンに一目ぼれしてしまったのだった。カメレオン一匹で約2万円、その他に水槽やヒーター、電球に木の枝・・・店員にそそのかされてこれもあれもと買わされ、斎藤は6万円程の大金を財布から引きずり出してカメレオンを買ったのである大金をはたいた後でも、斎藤はこれっぽちも後悔の色を見せず、これ以上ない程の幸せに満ち溢れた顔をしていた。

 カメレオンの餌はコオロギである。ビュルッと一瞬で伸びる舌でコオロギを捉えて捕食するカメレオンの姿が何とも堪らないらしく、斎藤はそれからというもの毎日毎日僕にカメレオンの捕食時の写真をラインで送り付けてきた。

 

 カメレオンを毎日眺め、幸せに満ち溢れている筈のそんな斎藤から、死にそうな声が聞こえてきたのである。

「八須、俺もうダメだ・・・なぁ聞いてくれよ。カメレオンを手放さなければならなくなっちまったんだよ」

訳が分からなかった。なぜそんな状況になってしまったのか全く想像が追いつかなかった。

「とにかく落ち着け、なにがあったのか聞かせてくれ」僕がそう言うと斎藤は震える声で語り始めた。それを聞き終えた時、僕は悲しみと沈むと同時に、何処からか笑いがこみ上げてきたのだった。

 斎藤はこう切り出した。

「下の住人が大家に言いつけやがったんだ!俺が部屋の中で大量のゴキブリを飼ってますって!俺はかってねぇぞ。大量のゴキブリなんか飼ってねぇっ!!」

 

PS つづく

山の用意は終わってないし、まだ風呂にも入っていない。本も読みたいし、旅の企画書も作らないければならない。もうダメです。今日は書くことは出来ないのでまた手が空いた時に書きます。

北アルプス・穂高岳と借地権

 

 一体この土地は誰のものなのだろう?ふと浮かんだ疑問は、初めはそんな素朴なものであった。だが考えるにつれてその素朴さは消えて複雑なものになっていった。

いや“誰の”というのもよく考えてみればおかしな話ではないか。土地とはそこに住むあらゆる生き物が共有するものであって誰かの私有物になるものではないのではないか。遠い昔から今に至るまでの想像しがたい長い時間の中、様々な要因によってこの大陸が出来、この地が生まれた。微生物から始まり、植物、動物とあらゆる生物が関わりあって生きている。つい最近になって誕生した新米の僕ら人間が、勝手に所有物にする・・・それはなんだか考えてみればおかしいな、おかしいぞ!土地を自分だけのものにするという事自体なんだかおかしいぞ!僕は土地のことを深く深く自分なりに考えこんでいた。

それは山の中、夜の北アルプスの中での事であった。厚い雲が夜空一面を覆い、星ひとつ見えぬ暗い夜であった。風は冷たく、気温は氷点下を下回っている。辺りは静まり返り、パタパタとテントの布がはためく音が聞こえる。ヘッドライトのか細い光に照らされた薄暗いテントの中、僕はいくら考えても終わりのないように思われる、土地のことを考えていたのだ。

 そもそものきっかけは、Mさんの発したある一言だった。

「だからもう!!Groundo Lease(グランドリース)だよ!!」

グランドリース。日本語に直すと借地権である。それは北アルプス登山とは結び付け難い、疎遠な言葉であった。なぜこの言葉が、ここ雄大な北アルプスの山の中で発せられたのだろうか。ただ言えることと言えば、その言葉を発した時、彼女は疲れていた。寝不足のまま今日12時間程山を歩き続け、あまりにも疲れていた。疲れが溜りに溜っていたのだ。

僕らがこの北アルプス穂高連峰を登り始めたのは今日(10月22日)の早朝6時頃のことだ。夜が明けたばかりで、ひんやり冷たい大気の中を差す朝日に照らされて、穂高連峰の頂きが柿色に輝いていた。梓川に掛かる河童橋上高地周辺には、紅葉と朝日に染まる美久しい風景をカメラに収めようとする人々で混み合っていた。が、穂高岳に足を踏み入れた途端、それまでごった返していた人々の姿は消えてしまった。茂る木々の間、赤黄色の落ち葉を踏みながら登ること約2時間、沢岳小屋に辿り着く。小屋は数年前、雪崩で全壊し今はまだ修復途中であった。小屋の後ろを見上げると直ぐそこには鋭くそそり立つ穂高の山々が見渡すことが出来た。小屋の近くにテントを張り、あらかたの荷物を置いて、僕らは穂高連峰周遊を開始した。

 小屋から上は木々が無く、がれきの急斜面であった。がれきに体重を乗せるとどれもこれもぐらりとぐらついた。岩を落とさぬよう慎重に登ってゆく。登り始めて早々、はぁはぁと息を荒げ、頭が時々痛むんだ・・・と僕の前を歩くHさんがこぼした。

「高山病ですかね・・・無理せず降りますか?」

僕は言った。

「いや、もし本当にやばいと思ったら、そこで俺は引き返すよ、ありがとう」

そうは言うものの、顔はとても苦しそう。それでいて目を逸らすと直ぐにルートを外れ、危ない個所へと進んでしまうのである。

「あ、あっ、そっち行くんですか?こっちを歩いた方がいいですよ」

「あっそっちか・・・そうだよね。頭がぼっとして、気が付くとなにも考えずに登っちゃってるよ」

頭は垂れ、息を荒げていた。重たそうな足を一歩一歩出しだながらゆっくりと登ってゆく。

先頭を行くMさんとは距離がどんどん離れていった。

斜面を登り切る(天狗のコル)と強風が音を立てて止むことなく吹き荒れていた。汗ばんだ全身が冷える。空は晴れ渡り、眩しい陽光が暖かく感じられる。ザックを降ろして腰を下ろし、北アルプス南部を始め遠くまで広がる山々を眺めた。

「大丈夫?」

Mさんが尋ねる。

「時々、頭痛がするんだよね。でもこれくらいなら注意すれば大丈夫」

Hさんは答えた。

数分の休憩を終え僕らはごつごつとした岩肌の尾根を、数キロ先にある西穂高目指して歩き始めた。無理をせず、Hさんのペースに合わせて。尾根は切りたつピークを幾つも作って、はるか先まで続いていた。遠くの方で右に湾曲し、険しい山肌を見せている。

「うっは、これもし落ちたら死んじゃうな!!」

僕は足元の崖を見下ろして言った。

「そういうこと言わないで!今集中してるんだから、本当に怒るよ!!」

Hさんは必死で高所と岩場と格闘していた。

1つ目のピーク(ジャンダルム)を越えてしばらくすると、右手に伸びる山の影からもうもうと雲が流れてきた。それはみるみるうちにこちらに寄ってきて、気がつけば先ほどまで出ていた太陽を覆ってしまっていた。そのうち雹のように固く小さな雪が横殴りの風に乗ってピシピシと顔に襲ってきた。体感温度は一気に下がり、体が冷えてくる。ジャケット羽織ってフードを被ると音が聞こえにくくなり、僕らは無言のままひたすら歩き続けた。天気はそのまま回復せず、降りしきる雪は時に雨に変わり、また雪に戻ると言った感じである。

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 そのまま2つ目のピーク(奥穂岳)を越え、尾根歩きの終わり箇所(前穂高分岐)に辿り着いた。時計は4時を越え、辺りが既に薄暗くなり始めている。岩は雨で濡れ、滑りやすくなっている。途中で日が暮れて辺りが真っ暗になり、ヘッドライトの小さな明かりを頼りに下っていった。   

ようやくテントに辿り着いた時には時計は6時を回り、上高地を発ってから12時間が経っていた。僕らはテントに滑り込み、夕飯を食べながら疲れを癒した。

そして腹が膨れて僕らは黙って静かに時を過ごした。静まり返った山の中で、ライトの乏しい明かりが何だか心地良く、しばらくそうして流れる静かな時間を堪能していた。

 突然隣からHさんが僕に囁いた。

「ねぇ見てみろよ!寝てるよ座りながら」

顔を上げてMさんを見てみるとMさんは座ったまま顔だけを傾けて眠っていた。背をピンと伸ばして、足はあぐらをかき、手は足の隙間に重ねて置いている。その姿がなんだか仏に見えた。座りながら眠るとは、終日歩き通して相当疲れているのだろう。その姿が面白おかしかった。その時、突然Mさんが聞き取れぬ英語でゴニョゴニョと何かを言った。

何を言っているのか聞き取れず、「??え?何?」と僕らは聞き返した。

するとそれに答えるようにMさんは声を荒げて言ったのだ。

「だからもう!!Groundo Lease(グランドリース)だよ!!」

外資系で働いているMさんは、外国人相手に常日頃から英語を使っている。座って眠ってしまったものだから脳は寝付けずに動いていたのだろう。そして頭の中で恐らく投資家や企業を相手に土地関係の仕事をしていたのだろう。細々とした質問に、複雑な質問を浴びせられ、懸命に頭をフル回転させていた。そうしてみるみると苛立ちは募っていった。そんな激烈に荒れ狂う戦場に新手の敵がいきなり飛び込んできたというわけである。そいつは余りにもすっとぼけた質問であった。それこそが僕らの出した「え?何?」だったのだ。そんなすっとぼけた質問に我慢の糸がはち切れたのだろう。Mさんは叫んだのだ。

「だからもう!!Groundo Lease(グランドリース)だよ!!」

それからだった。その一言で僕の頭の中にふとした疑問が湧き出てきたのである。

「一体この土地は誰のものなのだろう?」

行きつかぬ答えを探るべく、眠りにつくまで僕は考えこんでしまった。しんと静まり返る静かで寒い夜であった。僕はいつの間に眠りについてしまっていた。納得のゆく答えを見つけぬまま・・・。

日光旅 僕らをひっ捕らえた看板

 思えば、都会に住む僕は看板というものに惹かれる事は全く無い。店がぎっしりとひしめく中、店は人の目を引くため、看板にど派手な装飾を施す。他の店はそれに負けじとさらに派手な装飾を施し、また他の店はさらにさらにそれに負けじと・・・何処までも何処までも走り続けるその暴走特急列車に終点駅というものはない。皆他と競い合って自分を誇示し、気が付けば、あっという間になんとまぁ見るに耐えないきったない街の出来上がりである。東京で生きていると嫌でも派手で、ばかでかい看板が目につく。何だか息苦しさを覚えるのは僕だけだろうか・・・。

 そんな東京のどぎつい看板とは比較にならぬ程質素で飾り気のない看板が日光の中三依にあった。

 その看板は、店の壁にただ一言文字が書いてあるだけ。ライトアップも装飾も何もされていない。だが、そんな飾り気のない一枚の看板が僕ら8人全員の興味を見事ひっ捕らえてしまった。壁にはこう書かれていたのである。

“ばーちゃんの店”

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卑怯だ、この看板はあまりにも卑怯である。これを見て一体この店は何なんだ?どんなばーちゃんが居るんだ?と思わずに居られないではないか。僕らは迷わず店の中に引き込まれていった。

 店はソフトクリーム屋であった。手書きの張り紙が壁に1枚貼られている。それを見る限り、どうやらわさびソフトが一押しらしい。だが、店の中にばーちゃんなど居ないではないか。いや、ばーちゃんに限らず人ひとり居ないのである。留守かな?そう思った矢先、店の奥の部屋から声が聞こえた。「いらっしゃい」と。その後すぐに腰の曲がったばーちゃんが1人、前かがみになって現れた。よっちらよっちら僕らの方に歩みよってくる。すると奥の部屋から続いて声が聞こえた。「いらっしゃい」と。直後、先のばーちゃんよりもさらに腰の曲がったばーちゃんが現れた。まさか2人のばーちゃんが現れるとは思ってもいなかったため、もしや、まだもう1人現れるのではないかと、ばーちゃんが出てきた奥の部屋をこっそりのぞいてみた。だが食べかけの昼食がテーブルに置かれているだけで、ばーちゃんはもう居なかった。昼食を仲良く食べていたのだろう、それを中断させてしまった為に芽生えた小さな罪悪感と共に、僕らはわさびソフトを注文した。

 「わさびソフト食べる人?」そう皆に呼びかける。はい・・・はいはい、はい・・・と時間差を置いてバラバラに手を上げる皆。いくつもの手がバラバラに上がり、ばーちゃんの目は泳いでしまった。

「わさびソフトが・・・2個、4個、6個、5個」と数える明らかに混乱してしまっていたばーちゃんに対して優しく手の指で6個と伝える。すると後から出てきたより腰の曲がったばーちゃんが部屋の奥へと消えてしまった。もう1人のばーちゃんが機械でソフトクリームをコーンの中に巻いてゆく。

 数分後奥の部屋から再び現れたばーちゃんに「はいこれどーぞ」と出されたのは、鮫皮にもりもりとおろされた生わさび。わさびソフトとはてっきりわさび味のソフトクリームだと思っていたのだが、とんでもない。偽物ではなく、本物の生わさびなのである。

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「ね、辛くないでしょ?」

ニコニコしながらばーちゃん達が食べる僕らに聞いてくる。

「君たちは何処から来たの?」

そこからしばらくの間、小さな店には楽し気な笑い声が響いた。

 ばーちゃんの店というシンプルで目立たない看板は、都会では生きていけないのかもしれない。でもそれでいい、人の少ない観光客もあまり来ない、静かで落ち着いた日光の地にとても馴染んでいる。今日、誰かあの看板に上手くひっ捕まえられてしまった人はいるのだろうか。思い出すと心がなんだか和やかになる。

日光旅 枯れ果てた植物園

 山形県米沢から栃木県日光市まで遥々伸びている国道121号線、その道路沿いの森の中に上三依水生植物園はひっそりと身を据えていた。約22,000平方メートルの園内に植えられた約300種の花々は春先から夏にかけて一斉に花開き、訪れる人の心を癒す。

 しかし僕らが訪れたのは10月中旬。花など殆ど咲いていなかった。冬を前にもうどれもこれもほとんどが枯れていた。葉は黒ずんで剥がれ落ち、茎は萎れて俯いている。花の名称が書かれた小さな白い板の看板は、墓標の様に花壇の至る所に突き刺っている。“季節外れ”。もう誰がどこをどう見ても季節外れだ思うであろう廃れ様であった。

朝食を食べ終えて周辺の散策をしている時に、せっかく来たのだからちょっと寄ってみようと軽い気持ちで僕らは寄ってみたのだ。通常500円の入園料も300円まで値下がりしていた。それでも僕ら以外にお客さんは居なかった。

枯れ果て、寂しげに横たえる植物達を眺めながらしばらく歩いていると地面に丸くうずくまる人影が遠目に見えた。こんな所で一体誰がなにしてるんだろう・・・ふと興味を惹かれた僕はその丸くうずくまる人に近寄って行った。お婆ちゃんだった。お婆ちゃんが片手に鎌を持って草を刈っていたのだ。

「こんにちは~、草刈りですか」

僕の言ったその声で鎌を持つ手を止め、婆ちゃんはハッと顔を上げた。

「あらあら、こんにちは」

婆ちゃんは鎌の刃で軍手にくっ付いた泥を削げ落しながら話し始めた。

「そうよ、こうやって刈らないと春に草ボーボーになっちゃうの。綺麗な花園の方がいいでしょ?だから私は春に向けて草刈りをしているの。朝から1日ずっと・・・1日ずっとよ?腰が痛くて痛くて・・・それに何よりも飽きちゃうのよね。でも、ありがとう!こうして兄さんみたいなお客さんが話しかけてくれることが嬉しいの!それが何よりの楽しみなのよ。お兄さんは何処から来たの?」

皺くちゃな顔がだんだんと笑顔に変わっていった。そして嬉しそうに話すお婆ちゃんは花の様に輝いていた。僕はしばらく座って話を楽しみ、その場を去った。話しかけた時のあの笑顔が今でも忘れられない。

草花が枯れ果て、寂れた植物園。そんな園内を見回してみると、至る所に体を丸く丸めたお婆ちゃん達が草を刈っていた。

日光旅 森に呼ばれた朝

   今思えば、あの引き寄せられるような感覚は凄いものであった。それはなにか見えない紐でぐいぐいと引かれているかのようであった。

 

   10月16日の日曜日早朝の事であった。僕は叩き起こされたかのように突然はっと目が覚めた。皆まだ気持ちよさげに眠っている。部屋は暗くまだ夜が明けていないことが分かった。普段ならばそこでもう一度布団にもぐりこみ、再び眠っていただろう。しかしそうはしなかった。頭はボッとしてはいたがためらうことなく布団から抜け出して、暗い部屋の中を速足で戸口へ向かった。時計を見ると5時を過ぎたばかり。サンダルを左右間違えて履いたことなど気にもせず戸口の扉を勢いよく開けて、まだ夜が明けていない青暗い外へ僕は飛び出した。辺り一面に薄い霧が立ち込めていた。キンとする冷気が肌を突き刺し、吐く息が白い。バンガローの前を横切る一本の道、その道路の真ん中に立ち留まり、左右を見渡した。右手に伸びる道(昨日夜中に歩いてきた駅へ続く道)は、古い民家が両側に立ち並び、町の中へ続いている。続いて左手を見た。道の片側には数件のバンガロー、もう片側には畑が広がっている。道は真っ直ぐ数十メートル程続き、その先には霧を被ってかすむ森が広がっていた。道はその森の中に続いていた。左右反対にサンダルを履いていること、上着を取りに戻ることも忘れて僕は迷わずに左へ歩き出した。

夜明けの冷えた空気が服を突き抜けてくる。鳥肌が立ち、両腕を互いにスリスリと擦り合わせる。それでも体はどんどん冷えてきて、体温を温める為に僕は走った。パタパタパタとサンダルが音を立てる。あまりの走り難さにサンダルを途中で履き直し、再び走った。

特に目的があるわけでも、目指すところがあるわけでもなかった。ただ森の中に無性に入りたかったのだ。そうして間もなく森の中へ入っていった。繁茂する枝葉でより森の中は暗く、シンと静まりかえっている。コンクリートの道は草が茂るアスファルトに変わった。朝露に濡れた草の葉が足をペちょりと濡らすが、そんな事など構いやせず、歩を進めていった。どこに続いているのか分からない。ただ引き寄せられるように奥へ奥へと体が引き込まれてゆく。起きてまだ間もない寝起きにも拘わらず、心は妙に安らぎを覚えていた。

道は森の中に延々と続いているわけでも無く、いくらか進むと立ち入り禁止のロープに行く手を阻まれた。僕はようやくそこで歩みを止め、立ち止まった。生い茂る木々が周囲を囲む薄暗い森の中、心地がよい。ロープが無ければどこまでも行ってしまったかもしれない。それほど森の中に引き寄せられていた。

しばらく森の中でたたずんで、いよいよ寒さに耐えられなくなり元来た道を引き返した。森を出ると、空には雲がかかっていたが辺りはもう大分明るくなっていた。バンガローに戻ると、もう皆起きて布団を畳み朝食を作り始めていた。僕は何事も無かったかのように、それらに加わった。森に入ってから続いていた心の弾みは消える事無く、しばらくの間続いていた。

 森には決して目に見えぬ不思議な力がある。この日それをひしひしと感じた。なんだかいつの日か俺は・・・深い深い森の中に入っていってしまうんだろうなと漠然とした予感が頭をよぎった。

日光旅、栃木県の集落を訪れて

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  短かった。実に短い旅だった。しかしこの旅は、この上なき良い出会いにそして深い感銘を受けた旅でもあった。その地を離れる時に感じた悲しみは、今までにあまりない程の大きさであった。残酷な鉄の塊は感傷に沈む僕を物凄い速さでその地から運び去った。一瞬にして名残惜しい景色を後方へすっ飛ばし、僕は固い椅子に座りながら東京へ帰って行った。

 

 

 

10月15日土曜日だった。会社の会議室では売上報告や様々な連絡事項が飛び交っていた。ああぁ何故土曜日にこんなことを・・・とそれらの情報を受け取って苦しむ気持ちとは反対に、数時間後の事を想像して踊って弾む気持ちが僕の胸の中で燃え上がっていた。その炎は会議の時間が終わりに近づくにつれて強さを増していった。会議が終わると僕は下北沢駅へすっ飛んだ。小田急線で代々木上原駅へ行き、そこで千代田線に乗り換えて約1時間、ようやく北千住駅へたどり着いた。時計の針は14時を過ぎている。そこで最後の電車、東武スカイツリーラインに乗った。3時間にも及ぶ長い長い電車旅が始まった。

向かう先は栃木県日光市中三依温泉だ。そこは150年程前に勃発した武士と政府との戦争・戊辰戦争時、会津軍により村々を徹底的に焼き払われた地である。数日前に僕の師匠から「中三依温泉でBBQと周囲の散策をするんだ!凄い良い所だから、時間があったら是非来てくれ」と熱烈な誘いを受けたのだ。

窓の外を流れていた鉄筋コンクリート共の姿が直ぐに住宅にとって変わった。しばらく走る内に住宅の姿も薄くなり、代わりに山に田園風景が多く目につくようになっていった。日が落ちてゆくにつれて外の景色が暗闇に段々飲み込まれ、間もなく完全に外が暗闇に包まれた。駅に停車するごとに人が1人、また1人と人が消えてゆき、もともと空いていた車内にはとうとう僕しか居なくなってしまった。すると眼鏡をかけ、かっちり身を整え見るからに真面目そうな車掌さんがやって来て、椅子に座る僕に尋ねてきた。

「すみません。精算です。どこまでいくんですか?」

僕は読んでいた本を閉じて立ちあがり、答えた。

「さんい温泉です」

「えー・・さんい?さんい温泉?ですか・・・?」

車掌さんは首を傾げながら尋ねてきた。

「はい、さんい温泉です」

それに対して自信満々に答える僕。

「漢字はどういう漢字ですかね?」

「漢数字のさん(三)に、依存のい(依)で、さんい温泉です」

「“みより”です、それは“みより”!みより温泉と読みます」

小学生の頃、勉強が嫌で嫌で仕方が無く、漢字の勉強をことごとく怠ったが為に今になってそのつけが来ていた。

「それで上三依温泉と中三依温泉の2つがあるんですが、どちらで降りられますか?」

「あ、みよりと読むんですか!さんいだとずっと思ってました!!で、えっと・・・たしか中三依温泉だったかな・・・」

自信の無さそうに僕が答えると、車掌さんが再度尋ねてきた。

「駅を降りた後はどちらへ行かれるんですか?もしかしたら聞けば分かるかもしれません」

「おとこじか温泉ですよ!おとこじか温泉!知ってますか?」

「おとこじかではなく、おじか(男鹿)の湯です!そこなら中三依温泉で大丈夫ですね!では730円になります」

東武株主優待券の差額分を受け取ると車掌さんは、電車の揺れに体をふらつかせながら歩き去っていった。 まもなく駅へ到着した。他には降りる人は誰も居なく、電車が去った後、僕は狭く小さな駅にポツリと1人取り残された。駅員も改札もない、無人駅だった。駅を出ると街灯の無い、周囲を山々に囲まれた暗い暗い世界が広がっていた。近くに聳える山の稜線の直ぐ上に月が顔を出していた。その月光がほんの僅か暗い世界を照らしている。初めて踏む地であり右も左も何も分からない。古びた民家が幾つかあるけれど、どこの窓からも電気が漏れていない。誰も居ないのだろうか・・・

そんな中駅を出てすぐの所に男鹿の湯と書かれた白い看板が月光に照らされているのを見つけた。看板に沿って狭く暗い夜道を歩いて行く。脇道の繁った草やぶから沢のチョロチョロと水の流れる音だけが聞こえてくる。左側に数件の古い民家、右には畑が広がっているのが暗闇の中でも何とか見てとれた。そのすぐ後ろには真っ暗な森が広がっている。しばらく歩くと、前方にぼんやりと明かりが見え、近づくにつれて無数の人の話し声が聞こえてきた。男鹿の湯にたどり着いたのだ。それは東京から四時間後のことだった。仲間達はもう既に酒を飲んで、楽し気に笑い合っていた。既に出来上がっている焚火の傍に近寄り、静かに顔おを近づけてゆらゆらと燃える炎を眺める。その炎を眺めてホッとし、そして思った。

「今日も一日終わりか、そして帰るのはもう明日か・・・。なんてはえぇんだ」と。

来て早々、もう東京へ帰ることへの憂鬱さが頭を掠めた。

しかしこれから始まるのである。濃い旅の数時間が・・・・

 

明日か明後日か、し明後日か・・・つづく

温泉大国・米沢の旅館に忘れ去られた者達

 それはつい昨日10月13日の事だった。

「おいどうした八須君!お前・・・このままじゃ始末書もんだぞ・・・」部長は苦笑いを見せながら言った。

「ごめんなさい、2日前から見当たらないんです。絶対にどこかにあるんですが・・・」

僕は答えた。

「そりゃ~絶対にどこかにはあるわな!!」

「そうなんです、どこかに絶対にあるんです。もうちょっとだけ待ってください。見つけるまで探しますので、絶対に見つけます」

10月11日火曜日、僕は会社の携帯を無くしてしまったのだ。

車の中、机上、バッグにリュック、引出しという引出しをひっくり返して、懸命に探すもどこにも見当たらなかった。

約1年半、あいつは僕の耳へ日々毎日様々な情報を伝え、そして口から情報を発信してくれた。時に嫌な情報、また時には嬉しい情報を否応なしに伝えてくる。

その度に僕の感情は色とりどりに変化していった。小さなあいつのあの体1つで一体どれ程僕が翻弄されてきたことだろうか。

1年半も共に生きてきたあいつが突然消えてしまうと何だか哀情がこみ上げてくるものだ。

もしかして道路にでも落としたのだろうか?そんなことをしてしまっていたのならば、あいつは今頃、車に踏んづけられて木っ端微塵にでもなってしまっていることだろう・・・。

無くしたその日から僕の心は落ち着かず、何をやるにしても頭の隅にあいつの姿がぼんやりと浮かんでいた。

 10月14日、まだ太陽の上りきらぬ朝薄暗いなか、目覚めて窓を開けると清々しい風が部屋の中に吹き込んできた。空を見上げると薄暗い空には雲が無い。晴れるぞ!!そう思って洗濯機に溜まった服をぶち込み、続いて布団からシーツをひっぺがした。その時だった。ボトリッと鈍い音がして、何かが床に落ちた。あいつだった。11日から無くしていた携帯だった。数日間、シーツと布団の間に上手く挟まっていたのだった。布団を畳む時にシーツごと畳んでしまうので、今まで上手く挟まっていたのだろう。

床に転がったその姿を見て僕は歓喜し声を上げた。「おっしゃー!!」

何故そんな所に入ってしまったのか・・・何故今まで気がつかなかったのか・・・理解し難い点は幾つもあるけれど、それらは一旦さて置き、それは感動の再会であった。

無事僕の手元に戻って来た携帯を見て、僕は安心すると同時にあることをふと思い出した。

(そういえば・・・あいつらは今どうしているのだろうか・・・)

 

 あいつらと出会ったのは、1ヶ月程前東北を友人2人と旅をしている時のことだった。

その時、僕らは温泉大国である山形県の米沢にいた。

午前中の澄み切った空気の中を、温泉温泉温泉・・・そう呟きながら米沢の古い街並みを眺め、僕らはのんびりと温泉を探し求め歩いていた。

無数の温泉宿がひしめくなか、その内の1つを選んで扉を開けてゆく。

すると宿の人が来てこう言うのだ。

「ごめんなさいね、今男風呂は清掃中なの。終わるのは3時頃なのよ」

そう言われて渋々諦め、僕らはまた他の旅館にあたってゆく。

しかし、入りたいと思った旅館の男風呂はどこそこも全て清掃中なのだ。

僕らは途方に暮れて、どこでもいいから入れる温泉を探した。

そうした中で見つけたのが“扇屋旅館”だった。

木造の外観はとても古く、のっそりとのれんをくぐって侍が出てきそうだ。

扉を潜って中に入るが薄暗い館内には誰も居らずガランとしていた。

受付のテーブルにあった案内書にはこう書かれている。

皿に300円を入れ階段を上がって行って下さい、と。

皿ってなんだ!皿って!と僕らは互いに突っ込み合った。

ゲラゲラ声をたてていると館内の奥から若い女将が現れた。

その後ろにカモの子供の様にヨタヨタと付いてくる男の子。とても可愛らしい。

「あ、いらっしゃいませ!温泉ですか、温泉は階段を上がって右側へ進んでいってください!」

30代前半と思われる若くて美しい女将だった。

その優しい声に従って僕らは階段を上がって行った。

外観からは分からなかったが館内はかなり広かった。

廊下が20m程もあろうか、どこまでも伸び、部屋が幾つもある。

また壁の至る所に様々な絵画が垂れ下がり、日本人形をはじめ見たことも無い奇妙な人形などの置物が沢山置いてあるのだ。

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今では滅多に見られないであろうダイヤル式の電話にミシン、数十年前の料金表・・・温泉に辿り着くまでの長い道のりは旅館と言うよりもむしろ美術館であった。

進むごとにあらゆるものに目を奪われてようやく温泉に辿り着いた。

もうどこであろうと、どこを見ようともそこには何かしらの発見があり、僕は終始感動していた。

脱衣所の中でも好奇心は衰えず僕は新たな発見をすべく脱衣所の中を何か探し回った。

メッキの剥がれた流しの蛇口、黒ずんだ壁。

そしてそこで僕は見つけてしまったのだ。

 

そいつらは寂しそうに横たわっていた。

何年もの間そこでジッとし、自分を置き去りにしていった主人を待っているのであろう。

体は埃にまみれ、錆びついていた。

そいつらは忘れものだった。洗濯バサミにワックス、カミソリにドライバー。

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ワックスとカミソリは分からなくも無いが、ドライバーと洗濯バサミが何故そこにあるのだろうか?

僕は無い頭でそいつらが置き去りになった情景を想像しようと一生懸命試みたのだが、結局納得のゆく答えが見つからなかった。

旅館も旅館で何故埃まみれになるまで放置しているのだろうか・・・。

理由は特に何もないのかもしれない。しかし、なにか面白い理由があるのかもしれない。時間があればゆっくりと話を聞きたかっのだが、そうもいかず・・・僕らは扇屋旅館を去って行った。

 

そして後から知ったのだがこの扇屋旅館は108年もの歴史を持っていた。明治時代から数え切れぬほどの人を癒してきたのだろう。温泉に辿り着くまでの由緒あるあの長い廊下・・・一体あの旅館にはどれ程のドラマが眠っているんだ!後日僕はその深みに改めて飲み込まれたのだ。

 

 床に転がった携帯を見て一瞬の内に扇屋旅館のことを思い出して感動してしまった。

そして今も尚寂しそうに主人を待っているであろう扇屋旅館の忘れ物達。

いつの日かあいつらが主人の元に無事帰れることを願うばかりである。