素晴らしい朝
夜明け前だった。土手の上に上がり、振り返ると僕は固まった。見事なまでのオレンジ色の朝焼け空が、町の上に広がっていた。こんなに綺麗な朝焼けは滅多に見られない。あまりの美しさに僕は見とれた。体中が嬉しさに満ちていた。
「おはようございます。綺麗ねぇ今日の朝日は!」はっとなって振り向くと、1人の見知らぬおばあちゃんが直ぐ傍にいた。
「いやぁ凄いですよ今日のこれは!!!!ここ最近一番です!!」
「そうねぇ私もそう思う!私は毎朝こうして歩いているの、朝はやっぱり家の中で迎えるよりもこうして歩くべきね」
いつしか僕らは朝日を浴び、話しながら土手の上を歩いていた。お互い名前も分からなかった。
前方から新たにおばあちゃんが2人やってきた。
「あらおはよう!そのお兄さんは?」2人が僕を見て言った。
「私の新しい彼氏よ」どうやら僕らはこの短い間で恋人になっていたらしい。数十も年は離れ、名前すら分からないけれど、そういうことらしい。なかなかいいではないか。
僕らは淀むことのない会話を交わしながら尚も歩いてゆく。話を聞いていると、おばあちゃんの目には、この今の世界に明るい未来は見えていなかった。破滅が見えていた。一体何年何十年そんなことを思い続けて生きてきたのだろうか・・・。聞くうちに嫌などんよりとした空気が流れてきた。僕はそれに包まれることなく、ウキウキしながらこれからの小屋作りの計画やら何やらの話をした。これからの生活は考えるだけで楽しすぎる、ウキウキしないわけがない。そんな僕の話を聞いて、おばあちゃんは言った。
「今の世の中に、そんな事をする人がいるんだねぇ!なんだか少し未来が明るくなったわ!」この言葉がさらに僕にエネルギーを与えた。先ほどまでの嫌な空気は浄化され、明らかに周りの空気が変わった。
「いや、僕みたいなのはこの世界にいっぱいいますよ!!これからも増え続けます!」
土手沿いに建つ僕の母校の中学校が近づいてきた。土手を降りて中学の脇を歩いてゆく。町中に入って暫くしてから僕らは別れた。輝く朝焼けはすっかり薄れ、赤々と太陽が世界を照らしていた。淡くて楽しい一時であった。早朝の外には素晴らしいものがゴロゴロと転がっていた。
昨日、大澤校長先生(当時のサッカー部の顧問)に招かれ、昨日母校鴻巣西中学校の全校朝礼で僕は登壇し、自由で可能性に満ち溢れた若い若い子供達を前に少しだけ話をさせて頂いた。
500人の眼差しを前に話すのはかなり久しぶりの事で、見事に緊張し、話したいことがうまく言葉にならず、10分の1くらいしか伝えたいことが言えなかった。見事なまでに砕け散ったと思う。
質問タイムに入り、一人の体育の先生が僕に言ってきた。
「いやぁ、八須君、君の事はよく覚えているよ!クレア鴻巣(合唱祭等を行う大きなホール)の中に、外で捕まえたカエルをポケットに入れて持ち込み、会場に大混乱を巻き起こしてたからね!!覚えているかな?」
カエル・・・?確かにカエルは好きだけど、僕が持ち込んで混乱させた???全く覚えていなかった。
「・・・いや、まったく記憶にないです」恐らく誰か違う人の事を言っているのだと思った。
その後、好奇心に輝く数人の先生方が僕の所にやってきて、会話攻めにあった。
そに自然の暮らしいいなぁ!
私もやりたい!!
小屋が出来たら遊びに行ってもいいかな?いや、作りに行ってもいいかな???
話しかけてくる先生方は皆自然を愛し、そして自然を望んでいた。共感してくれる人達に出会えて、僕は嬉しさで弾けそうだった。
友人が作ってくれた、森のジャム(山ブドウ)!!!!とキンカン酒!!!!体が大喜びである!!!!!僕の元気の源!
運命の地
僕は窓の外を見た。木々の隙間から見える夜空には無数の星が輝いていた。人里離れた森の中、音が無い静かな夜、街灯も騒音も無い、何ものにも邪魔されずに純粋な眼差しで見ることのできる夜空。綺麗だった。突然、心地良い静寂を破って携帯電話が鳴り響いた。僕は電話に出た。
「久しぶり八須君、今どこにいるんだ?」
以前東北を旅していた時に温泉で出会った金山町(福島県・奥会津)の町会議員さんからだった。
「今、君の故郷(埼玉県鴻巣)の市議会議員さんと金山町(福島県奥会津)で飲んでいるんだ。それでどうやら君の事を知っているそうなんだ。今電話変わるからね」そう言って電話は女性に変わった。
「もしもし八須君?幼い頃よく遊んでいた市川です、覚えてるかしら?」
市川…市川…市川…頭の中で名前を連呼して遥か昔の記憶に呼びかける。2秒ほど呼びかけた。
「・・・いや・・・」記憶からは市川さんの顔も名前も全く何も出てこなかった。
「まぁまだ小さかったからね、覚えてないのは当然ね!幼稚園に入る前の小さかった頃に、親子同士でよく遊んでいたのよ」
「ごめんなさい、全く覚えていないです」
「今度親に聞いてみな、知っているはずだから!それはそうと今色んな所を旅しているんだって!?」
「いや、旅はもう落ち着いてこれから丸太小屋を建てるんです!」
「丸太小屋!!!!?どこに?」
「それが今、北海道か会津かと迷ってて・・・」
この一言は強烈だった。強烈な巡り合わせを感じた。僕は決心した。丸太小屋は福島県・金山町に建てよう!金山町に移り住もう!!と。
金山町・町会議員さんに再び電話が戻った。
「それじゃあ、君の好きそうな最高の土地を探しといてあげるから!!今度来た時に案内するよ!」
後日同じく金山町で出会った町のマタギ・猪俣さんにその件について電話した。
自然を愛する者同士、考えるところが似ているのだろう。猪俣さんは僕の好みを察したようで、土地はゴミゴミした所じゃなくて静かな場所を頼むよ!と助言をしてくだったそうだ。これ程好意を持って、訳の分からない若者を協力してくれる町があるだろうか・・・僕は感動した。
森が育んだ澄んだ湧き水、瑞々しい空気、豊富な山の恵…僕の自然大好きワイルドライフがこれから始まる!!!!!!!
その土地にある素材を使って一生愛せる素晴らしい家を作り、その空間にいる全生物と共に季節や日々の変化を共にし生きて行こう!ミツバチを飼い、木を植えて森を作り、水に空気をどんどん綺麗にしよう!!メープルシロップなんかを作ってもいいなぁ、パンを焼いてもいい!グミや山ブドウでジャムを作るのもいい!!生命力みなぎる野菜を偉大な地球と共に作ろう!!!
僕は今週末にもう会津に行く。雪が降り積もる前に土地を見て回るのだ。
今年の冬には木を切り、石を集め始めようと思う!!!
やらなければならない楽しい仕事が沢山だ!!!!
※(僕の話を聞いて、過去多くの人がこんなふうに勘違いした。八須は、どこか人の入らない山奥に引きこもり、文明社会から隔絶された世界で、人に会わず、機械もなにも使わず、原始人みたいに生きていくんだ・・・・と。
全く違います!!!!)
森大好き!!
荒野に生きる男・アンディ
アラスカ・ユーコン川の岸辺の森の中で、僕はある1人の男と出会った。名はアンディーという。
アンディーは22歳の時1人、自由とロマンを求めてワシントンからアラスカへ渡ってきた。イーグル村という小さな村から20キロ程川を下った荒野の森の中に、自分で家を建て、10匹以上の犬と共に1人で暮らしている。自然をこよなく愛する野生の男だ。
夏の間は冬に備えて食料を作っている。耕した畑で野菜を育てて乾燥野菜を作り、遡上するサケを捕まえ、干し鮭や燻製を作っている。秋から冬にかけては森の動物を捕らえ、その肉を食べて生きている。50歳を越えるアンディからは老いというものを、全く感じられない。発する言葉に目の輝き、一つ一つの動作からは、瑞々しい生命のエネルギーが満ち溢れていた。
過酷な大自然、荒野の中で、自分の力のみで生きていく。それは男ならば誰しもが一度は夢見る、いや・・・あまり見ないかもしれないが。僕にとって荒野で力強く生きているアンディーは、まさにヒーロー。かっこいい真のヒーローだった。
僕はそんなアンディーと3日間共に過ごした。ジャガイモの種を植え、イチゴやハーブの植え替えをし、支流で魚を獲った。そして地球について、この世界について語り合った。へたくそな英語に嫌な顔1つせず、親身に聞いてくれた。僕の話がぶっ飛んでいるのか、話しても僕の身の回りには、話が合う人は少ない。しかし、アンディとは話が合った。共感者がいてくれることはどれ程嬉しい事か・・・・。彼と共に過ごした数日間は、今でも鮮明に胸に焼き付いている。空をふと見上げると、僕はいつでも思い出す。この今照っている太陽や月を、僕が植えたジャガイモやイチゴも見ているだろうかと。僕は太陽や月に向けて願いを込める。
イチゴとジャガイモとハーブに光を注ぎ、アンディにいつまでも力を与えて欲しい、と。僕は月と太陽と空で、海を越えて遥か遠くのアラスカの荒野で生きるアンディといつでも繋がっている。
そんなアンディが、僕のある持ち物に、物凄い興味を抱いた。包丁である。その包丁は冬、青森県・深浦で偶然出会った鍛冶職人、古川お爺さんから貰った魂のこもった大切な、渋い包丁だった。料理をするときに何気なく使っていたその包丁をアンディーが見た。
何だそれ?その包丁は何だ?かっこいいな!何処で手に入れたんだい?その彫ってある文字はどういう意味?その鍛冶職人とはどこで知り合ったんだ?一体いくら位するんだろうか?
好奇心がにじみ出ている顔から、無数の質問が僕に投げかけられた。アンディーが包丁を欲しがっていることは一目瞭然であった。
「一緒に包丁の取っ手を、俺が獲った動物の骨で作らないか?」そう言って、僕らは1日かけて包丁の取っ手を黒熊とムースの骨を加工して作った。輝かしい思い出である。
日本に帰国後、早速僕は古川さんに電話し、包丁を一丁購入した。それを包んで、郵便局に行った。
「これは何ですか?」受付の女性が訪ねてきた。
「包丁ですよ、アラスカの友達に送るんです。送れますかね?」
「包丁ね・・・ちょっと待って」そう言って何やらパソコンをカタカタ。
「送れない品目の中に、”飛び出しナイフ”てのがあるんですけど・・・」
飛び出しナイフ???そんなの初めて聞いた名前だった。飛び出すナイフなのだろうか?
「何ですかその飛び出しナイフっていうのは?」
「ごめんさい、私も初めて聞いて・・・」
調べようにも携帯を持ってなくて調べられず、他に客のいないがらんとした室内で僕らは暫く考えた。結局飛び出しナイフがどんな物なのか分からなかった。考えても分かるはずがなかった。まぁ個人使用のみ!!と書いておけば大丈夫でしょう!という結論に至り、アラスカの荒野へ向けて包丁は旅発っていった。(森に住むアンディには住所は無く、一番近いイーグル村に送った。いつかアンディが村に来た時に受け取るだろう)
台風が去り、雲のない晴れ渡った静かな夜空に、オレンジ色の月がぼんやりと浮いている。アラスカの大自然の中、アンディは元気だろうか。今1人で何を見て感じているのだろうか。包丁、無事に届いておくれ!
ドングリの森
家から2キロ程離れた場所に雑木林がある。そこは僕の少年時代の思い出の地。
小雨が降る中、今朝、その雑木林へ向かって歩いて行った。
土手に登るとはるか前方に雑木林が見えた。歩き、近づくにつれて心が踊ってきた。雑木林に足を踏み入れると、空気は重く、涼しく、あたりが薄暗くなった。太くて高い木々が茂り、天井を枝葉が覆っている。そこまでの道中、ほんの微々たるものだった鳥たちの声が、林の中では溢れんばかりに満たされていた。心は落ち着き、ホッとした。暫く林の中を歩き回った。僕はあるものを探していた。
”どんぐり”である。どんぐり。
世界中の森林が失われてゆく情報を受け取る度に(学校の授業やメディア等で)、僕はいつでも暗い気持ちになり、この世界に絶望感を抱いていた。でも絶望を抱くだけだった。特に何もしなかった。何をしたらいいのかも、世界は広すぎて分からなかった。
しかし、アラスカの荒野の中で1人考えると、僕にも直ぐに出来ることがあった。非常に簡単なことだった。自分で木を植えること。僕には木を植えに行く足も、土を掘る手も、すべてがあった。
僕はまだ25歳だった。体が朽ち果てるまでの残りの人生、毎年2本でも10本でも100本でも何本でもいい、とにかく木を植え続け、森を作っていけば、一体どれくらいの木々を、森を作ることが出来るのだろうか・・・。木を植えるのに金も要らない。特に難しい知識も要らない。なにもいらない。簡単だ。(どこに植えるのかこれから考え、探すとして)
僕には色んな力があった。その力を使って、木を簡単に切り倒せるし、地球を汚し、殺し続けることが出来る。
それとは逆に、木を植え、森を作り、地球をどんどん生き返らせて、浄化することもできる。
また、特にどうでもいいことに時間を費やし、何もしないこともできる。
どれにその力を使うのか・・・考えるまでもない。
これからの自分の未来を思い描くと、たった僕1人でも、ゆっくりとではあるが沢山の森を作ることが出来た。嬉しいし、思い描くだけでめちゃくちゃ楽しい!!!!それだけで体の奥底から生きるエネルギーが湧き出てくる!!!
自然が無いとか、川が汚いとか、森が少ないとか、そういったことに絶望を抱き、誰かと議論してそのまま何もしない時代は終わった。
汚いならば綺麗にすればいいのだ!なければ作る!!それが出来るのが人間だった!
握れるだけドングリを拾い、そのごつごつの感触を楽しみながら帰路に着き、使われず、家の裏に眠っていた幾つもの鉢を叩き起こして、土を入れ、植えた。来年の春、植えた鉢の土から芽吹くのが楽しみである!!ドングリ拾いの秋が始まった。これが秋だった!こんなに喜びをもたらす秋は今までになかったと思う!!!
ユーコン川・荒野の旅 ~旅の終わり~
ユーコン川を下り、国境を越えてアラスカへ入る時にやらなければならないことがある。入国審査である。
カナダとアラスカの国境といっても、川岸の草むらに、棒に付いている小さなユーコンの国旗がぱたぱたと揺れているだけだった。アラスカとの国境とはどんなところなのか・・・ずいぶんと気になっていたのだが、その簡素さに拍子抜けし、僕は写真を撮る気も起らず、特に気にも留めず、国境と思われるところを通り過ぎて行った。あっ、いまアラスカに入ったんだ・・・と。あれほど憧れていたのに、骨を焦がすほどアラスカの地に憧れていたにもかかわらず、いざ入ってみるとなんというあっけなかったことか。
今となって記憶を探り、日記を見直しながらこれを書いているのだが、果たして立っていたのはユーコンの国旗だったのだろうか・・・なんとも自信が無くなってくる。なんだかアメリカの国旗だったような気もする。そう思うとカナダの国旗だった気もしてくる。でも思い出そうとしても無駄なこと。とにかく日記には「ユーコンの旗がハタハタと揺れていた」とあるので、その時の僕を信じることにしよう。国境にはユーコンの旗が一本揺れていた。
入国審査は、アラスカに入って最初に現れる小さな小さな村、イーグルヴィレッジにて行う。と言ってもその小さな村に入国審査官がいるわけではない。入国審査室(おそらくアンカレッジの空港)へと繋がる電話が村に取り付けられており、それで自己申告をするのである。
村に着いた僕は早速電話した。
「あの、僕はユーマと言いまして、今カヌーでユーコン川を下ってるんです。6月20日にアラスカに入りました」そこから何処から来たのか、どこまで行くのか、いつ出るのか、パスポートナンバーやらを聞かれる。そして審査官はこう言った。
「じゃあ、あなたのビザは3か月有効だから、そうね、9月の終わりごろまでにアラスカを出てくださいね。出る時はアンカレッジ空港の入国審査室に来るように」
9月の終わりまで・・・日にちなんてそんなものでいいんだ。なんて大雑把なんだ。ゆるい、これがアラスカなのか・・・と僕は思った。じゃあ9月の終わりごろまでにアラスカを出ればいいか、と。
アラスカのマーシャルヴィレッジで長く滞在している僕は、9月の半ば、ふとなにか物凄い嫌な予感がした。9月の終わりごろって言ってたけど、それは一体いつなんだろうか・・・と当たり前の疑問がその時になってようやく現れた。なんか今すぐ帰らないとダメな気がする!!そんな思いに駆られた。
福島県の奥会津の山奥の小さな部落の古民家に、老沼さんという師匠(僕が勝手にそう思っている)が静かに住んでいるいるのだが、その師匠は、そのなんとも言えない胸騒ぎを”虫の知らせ” と、そう呼んでいる。僕はまさに虫の知らせを覚え、早急にアンカレッジまでの飛行機の手配をし、今にも墜落しそうなおんぼろセスナに飛び乗って、マーシャル村を発った。9月15日の事だった。
(僕のユーコン川の旅はこうして終わった)
べセルという町を経由して、アンカレッジに着いたのは16日の事だった。久しぶりに見るコンクリートの地面、込み合う人の多さ、走り回る車・・・・文明という牙に打ちのめされながらも僕は、早速入国審査室を探した。しかしどこにあるのやら。空港で働く人々に聞いても、さっぱりわからないという。そんなことがあり得るのかと思って何人もの人に聞くも、答えは一緒だった。そしてなんとかこぎ着けたそれらしい答え、「お客様相談室のことかな?」そう言って掃除のおばちゃんがそのお客様相談室とやらへの行き方を教えてくれた。行ってみた。開いてなかった。土日は休みだという。2日後の18日月曜日になったら開くそうだ。
僕は気持ちを切り替えた。そしてアンカレッジに住む友人・キリスト教の牧師さん(ちなみに僕は無宗教)に電話した。牧師さんと僕はアンビック村で偶然知り合い、「アンカレッジに来た時には是非おいで」と言われていたのだ。
牧師さんの義理の娘さん・カズエさんは、日本の沖縄から結婚して移住してきた方だった。
僕はアンカレッジの中心地の住宅街にあるカズエさんのお宅に連れていかれた。ここに寝泊まりすればいいと。お互い全く知らずに出会った、僕とカズエさん。なにがなんだか分からずにとりあえず握手し挨拶した。カズエさんと数か月ぶりの日本語を話した。もうめちゃくちゃな日本語が、僕の口から飛び散った。こんなに日本語が下手になったのは初めての事だった。
「これは何ですか?」キッチンの大きなざるに広げたあった真っ黒のニンニクがまず僕の目に入った。
「それは黒ニンニクよ!黒ニンニク!毎日食べてるの、作るのよ炊飯器でね!」そう言って、くれた黒ニンニク、チョコレートの10倍濃かった。
「これはガイアの水っていうの、波動が違うのよ波動が」フィルターが特別だというポットの水を入れてくれた。波動・・・
カズエさんは発酵に物凄く凝っていた。もうキッチンはまるで魔女の実験所みたいだった。
黒ニンニク、EM、玉ねぎとニンニクとリンゴ酢で3週間かけて作ったという超濃厚エキス、ヨーグルト・・・他にも掘れば掘るだけ色んな所から出てくる発酵食品。話を聞けば聞くほど、発酵って興味深いなぁと、僕はどんどん発酵のその深みにはまっていぅった。僕は発酵に、生まれて初めてここまで興味を抱いた。カズエさんのこのお宅に来なければ、ここまで発酵について興味を抱くことはなかったろう。これから発酵もやっていこうと思う。
発酵とは逆にカズエさんはアウトドアに全く無縁の方だった。僕のこれまでの旅の話を興味津々に聞いてくれる。原始人の様な僕が来なければ、アウトドアへの関心は抱かなかったそうだ。
話は戻るが、アンカレッジに着いて空港内に居た僕は空いた時間の暇つぶしに、町とその周囲の地図をざっと見た。ふと目が、ある名前に止まった。
”イーグルリバー”
アンカレッジ郊外に位置する川であった。なんというか、名前の響きが僕の心を瞬時に捉えてしまった。聞くとトレッキングも出来るそうで、もし可能であれば、他は行けなくてもいいけど、ここだけは是非行ってみたいな・・・と心の中で思った。
そして空港を出、カズエさんご夫婦と会った時に、ご夫婦が僕に言った。
「今日か明日イーグルリバーに行くんだけど、いいかな?」
僕は即答した。「はい!!!!勿論!!!!」顔はめちゃくちゃ輝いていたと思う。
なんでも1週間前、カズエさんはスマートフォンの使い方講座に行ってきたそうで、写真の機能の段になった時に、絶好の被写体がイーグルリバーにはある、と講師の人に言われたのだそうだ。それで今週そのイーグルリバーに行くことになったそうだ。
この時、”巡り合わせ”というものを僕は強く感じた。
また、カズエさんはその講習でカメラに興味を抱いたらしく、カメラをもう少し知りたいと思ったそうだ。そこへカメラを持った僕が、荒野の奥底から、何処からともなく現れたのだ。巡り合わせだ。全ては巡り合わせ。
紅葉に染まった森に、氷河を抱く壮大な山々を眺めながら車を走らせる。しばらくして僕達はイーグルリバー・ネイチャーセンターに到着した。ここを起点にトレイルを歩くことが出来る。
僕はサンダルを脱ぎ、白樺の森の中へと続くトレイルを、時間もペースも距離も何も気にせず、何もかも置き去りにし、1人歩き始めた(ご夫婦は僕を置いて一旦帰宅、夕方ごろ再び来てくれた)。持ち物はカメラと水とベアスプレーだけだった。食料は無し。
地面は腐葉土でふかふかだ。黄色い紅葉の葉が地面に一面に敷き詰められている。豊富にある赤く熟したバラの実やクランベリーを摘まみながら犬の様にふらふらと道草を食い、歩くこと3時間ほど。森を抜けて、眼前に涼しい音をたてて流れる川が現れた。氷河が作り出す清涼なイーグルリバーだ。僕は川岸に腰を下ろして暫くその場を取り巻く自然を思い切り吸った。地球は神聖で、とても美しかった。
生活道具全てをカヌーに詰め込んで、数か月の川下りは、素晴らしい体験を僕に与えてくれた。そしてトレッキングもまたいいな・・・!!!と改めて思った。
月曜日、空港へ行って入国審査室へ行った。そこでこう言われた。
「あなた、今日の12時までにアラスカを出ないともうここへ来れなくなるわよ・・・12時を越したら不法滞在よ不法滞在・・・。アラスカに入ってから今日がその丁度90日なのよ・・・飛行機のチケットを早くとって出た方が良いわ!!!それに一日1本しか便はないわ、席も空いてるか分からない。早く行きなさい!!!!!」
それを聞いてカズエさんと僕は縮み上がった。もう僕は腹を括った。もしこれで不法滞在扱いになったらアラスカに拒否されているということだ、これ以降もう一生アラスカには戻らないようにしよう、と。でももしアラスカを無事出ることが出来たならば、その時はいつの日かまた戻ってこよう、と。
ヒッチハイクでのんびりカナダに帰ろうと思っていたのだが、その計画などもう実行不可能。僕は急いでバカ高いチケットを買い、カナダへと帰っていった。
※ユーコンへ長期間行こうと考えている方へ!
アメリカのEstaという観光ビザで滞在できるのは3か月ではなくて「90日」です!!それと月によって29日とか31日とか凸凹しているので、入った日から90日後をカレンダーをしっかり見て正確に計算してください!僕の様にがさつにやるとえらい目にあいます。でも時間の流れを感じさせない荒野の大自然にいると、そういうこともなんかどうでもよくなってしまうのも事実。もし行く人が居れば、十分気を付けてくださいね!
何だかパッとしない終わり方だが、ユーコン川の旅ブログは終わりにします♪
これを読んで、一人でも多くの方が今以上に自然に興味を抱き、地球について考え、触れる機会が増えれば、僕は幸せです!
また今回の旅の体験を元に現在本を執筆しており、これから自費出版します!
内容は地球からのメッセージです。
出来ましたらここで連絡いたします。
また今回の旅において、応援してくださった”株式会社モンベル”さん、本当にありがとうございました。
これまで出会った全ての人、人に限らず全てのものに感謝いたします!!!!
どうもありがとうございました!
これ以降のカナダのヒッチハイクの旅や湖の湖畔の丸太小屋での1週間の滞在記など、もし気が向いたら書きます。
では!!
イーグルリバー
裸足が一番いい!!
ユーコン川・荒野の旅 ~マーシャル村に捕まる~
ツンドラの茶を飲みながら沈む夕日を家の前で眺める。
ブルーベリー摘みの歴史が刻まれた手
村の近くの湖で釣った夕食の魚、パイク
ツンドラの丘を背に建つマーシャル村
丘は1000メートル程、5度程山頂を目指すも、情けなくも1度も登れたためしがない。
~アラスカ・マーシャル村の朝~
マーシャル村での僕の1日は、水から始まる。
全ての生物の命の源であり、それ自体が生命である水。まだ村が寝静まっている早朝、水タンクをつめ込んだ巨大なじゃが芋みたいな軍用ザックを背に、村の外れにある森の中へ1人静かに入ってゆき、湧き水を汲む。
雨の日も晴れの日も霧の日も、水を汲む。辺りに気を配りながら。ムースや熊が朝、頻繁に出ると村人が言うのである。
同じ道ではあるが、毎日毎日違った世界を見せてくれる!!そして自分自身も毎日変わって行く。昨日は目につかなかった草が今日見えたり、聞こえていた音が聞こえなかったり、森の中へと続く獣道に不思議と引き寄せられる日など・・・。水を汲んで顔を洗い、倒木に腰掛け、動かず辺りを包む空間に溶け込むの。すると頭は冴え、感覚がどんどん研ぎ澄まされて行く。全てのもの、風、石、水、草木、陽光、自分自身・・・全てが生きていると悟る。朝のこの1時間半程?2時間程?の時間が、僕の最も大好きな時間である。
生命の源であるように、これから始まる1日の源である朝も、水から始まる‼
~マーシャル村での1日の終わり~
マーシャル村での1日の終わりは森の中で過ごす。
日が傾き空気が冷え込んで来る頃、針葉樹の森でトウヒの木々から葉を、ツンドラの野で草の葉を、川岸で一夜を共にしたいと思う流木を幾つか摘み、拾わせてもらう。
森の彼方へ消え行く太陽を、空にほとばしる優雅な夕日を眺め、やがて世界は暗闇に包まれる。僕は小屋に入り、ツンドラで摘み取った葉でお茶を作り、それを飲みながらゆらゆらと燃える炎を眺める。薪ストーブはゆっくりと部屋を温め、ストーブの上に置かれたトウヒの葉は焦げてゆき、やがてほんのりと香りを漂わす。
部屋の中、僕の体の中も森となる。
流木や木々、草のこれまでの過去に、そしてこれからの未来に思いを馳せ、感謝し、極上の空間が、森が出来上がる。
その心地よい温もりのある森の中で、本を読んでもいいし創作活動をしてもいい。考えに耽ったり、何も考えず、その森の空間を楽しんでもいい。何をするにも、森と過ごす空間は最高である!森と、地球の恵みと共に!!!
自然との対話は僕にとってどんな遊びよりも楽しく、そして飽くことがない。心を空に純粋な気持ちのみで思想や知識、哲学、金も何も要らない。難しい事は何もなく、誰にでも簡単に出来る!そして日を重ねるごとに自然の奥深さが見に染み、染みれば染みるほど、楽しくなる!!!山登りやスポーツは体の老化と共に錆びて行くが、自然との対話は年を重ねるごとに錆びることなく、研がれて行く。10年、20年、30年後はどんな感性で自然の中で過ごしているのか・・・楽しみである!
PS
気がつけばマーシャル村で、もう1週間以上も時が過ぎていた。それほどこの村が気に入ってしまった。居候させてもらっているマービンおじさんの家での僕の仕事は、主に薪集めに水汲み、料理(もっぱら米料理、時たま虎フグの様な凄まじいブルーベリーパンケーキをこしらえる)である。
日を重ねるごとに色んな物が見えてくる。
自然を思いきり楽しむ僕に村人は、村の娘と結婚してここに住めと言う・・・今まで長く滞在した幾つかの村々で言われ続けた言葉・・・日本でやりたいことがあるのだが、日を過ごすうちに何だかそれもいい気がしてくるのである。若気のいたりである。
ユーコン川・荒野の旅 ~孤独への渇望~
鶏が、けたたましい一声を早朝の冷えきった大気の中にとき放ち、僕は目覚めた。久しぶりだった。鶏の鳴き声で目覚めるのは久しぶりのことだった。目覚めると共に、はるか昔の記憶が芽を覗かせた。幼い頃、祭りのクジを引いたときに鶏のヒナが当たったことがあった。そいつを育て、自由に成長した雌鳥と共に数年間生きた頃の、数々の記憶がバカバカと飛び出てきた。夜明け前の外へ出ると小屋の周囲に広がるツンドラの広大な野を、何匹もの鶏がはりつめた霜をものともせず歩き回り、コッコと草かなにかをついばんでいた。実に良い。実に喉かな朝である。
僕は今、マーシャル村、ツンドラの丘の麓に建つ小さなイヌイットの村にいます。海から400キロ程の距離だろうか。
1ヶ月前、リュービー村を出てから僕は孤独を欲した。誰にも会いたくなく誰とも話したくなくなってしまった。人の姿も声も気配も無い、静かな途方もない孤独を猛烈に欲した。そんな孤独への渇望に、嫌悪感を抱くことなどない。孤独を欲する心をそのままに、それに従って生き、どこへ導かれるのか、何を感じ何を思うのか、孤独にすごし、その先にあるであろうそれがもたらす未知なるものが楽しみであった。孤独への渇望からは冒険の匂いがぷんぷんと匂ってきた。僕はブレーキのぶっ飛んだ特急列車の様に、数々の村を留まることなくすっ飛ばしていった。村に少しだけ足を踏み入れる。すると直ちに、村中を土埃を散らして走る車や4輪バキー、犬の吠え声、そこいらに落ちているゴミが耳に目に入ってきた。あらゆるものが不自然でやかましく鬱陶しく思えた。すると直ぐに僕はカヌーに飛び乗り、静かな川の上へ逃れていった。
それでも特急列車は、時に停車するものである。アンビックという村がそれであった。支流・アンビック川沿いに建つこの小さな村には、他の村々と違って、圧倒的に木々が多かった。村の家々は森の中にポツポツと離れて点在していた。木々の間を飛び回る小鳥たちの姿と声、木々の香りが村に漂い、それらは心と体に心地よく響き渡った。
長い間孤独に身を置くことは良かった。 すぐ目の前に座って見つめてくる一匹の狐と過ごした雨の降る薄暗い森の中。森を抜けて出た広大な湿原で巨大な雄のムースに追い立てられ、逃げ、急いでテントを撤収してカヌー乗った直後、グリズリーの親子に出くわした。すぐ近くに危険があったことをムースに教えられた。フクロウの鳴き声に包まれる満点の星の下、ビーバーの木を削る音と自分の心音を聞きながら過ごした静かな湖畔での一夜。沢の水、木の実やベリー、草の葉を飲み食べ、体の隅々までがすっかり森になった。そんな中で長い間、じっくりとゆっくり思索にふけった。地球について、これからの自身の未来についてあれこれ考えを巡らした。世に溢れるどーでもいい、知る必要も意味もない負のエネルギーで満ちた情報共から隔絶された、静かな世界で考え作った未来には汚れたものも不安も何もなかった。自然と共に生きる未来はただただ楽しく輝いていた。雨に陽射しに風に寒さに・・・荒野に揉まれながらもその中で過ごした孤独の時は実に素晴らしかった!自然の中で生きることへの大いなる喜びを、与えてくれた!
※孤独孤独孤独と連発してはいるが、実際は孤独ではない。なんという言葉が適しているのか分からないが、それに近い言葉の気がするので孤独と言っている。
今はマーシャル村。2日前に着いたときに愉快で陽気なおじさん家族に捕まり、ツンドラの中へ連れていかれ、鶏と共にもっぱらブルーベリーと湧き水 を食べ飲んで生きている。
もう少ししたらUSのビサが切れてしまう。そろそろ荒野を出なければならない。大きな文明へと戻るときがもう近く迫っている。
夕暮れ、炊き上がるのを待つ間の読書
すっ裸で川岸のクランベリー摘み、そのあとは川の中へ
写真のために服を着ている
3時間に及ぶサウナ
この間に体の水分が殆ど入れ替わった気がした
アンビック村でインディアンと共に大鹿ハンティング
人に悲しみと喜びを与える死とを見た
マーシャル村
25年の人生で食べた以上のブルーベリーをこの日集めた
それほどブルーベリーとは縁がなかったこれまでの人生
だがブルーベリーを食べなくても全く問題なく生きてきた
必要としなかったし食いたいとも思わなかった
美容・健康等といって空気と水等を汚しながら世界中から引っ張ってくる食物に溢れている日本、日本に限らず他国も同じ・・・
が、それらは本当に健康なんだろうか、必要なのだろうか・・・地球にとってはどうなんだろうか?地球を汚してまで自分の健康の為と食べるとは・・・地球は生みの尊い親であり、そして自分自身でもある
欲にのまれて外に外にと目を向けずもっと足元をみれば、身近にもっと良い食べ物は沢山あるだろう
地球はその地に生きる生き物たちに必要なもの最も有益なものを提供してくれているはずだ
それはでも・・・旅をしている自分にも当てはまった
自分にも言えることであった
様々な感情と思いがブルーベリーを食べて、頭のなかで弾けとんだ
動物の足跡は美しいといつも思っていたが、人の足跡も負けてなかった
グリズリーと僕の足跡
月に映え月に吠えるカヌー
月夜をゆく
地に生きる鮭