旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

薪集め

丸太は重かった。
多くの命の積み重ねで出来ている大地。
そこに根を張り、何十年も生きてきた木々の命は重い。
重いはずである。
その重みで身体がきしんだ。
その重い丸太を1つ1つを持ち上げては山の斜面を転がし、落とし、持ち上げ、運んでトラックに積んでゆく。
春の涼しい昼下がりだった。
爽やかな風が木々の葉を揺らし、小鳥のさえずりが響き渡る中、全身泥にまみれ、汗が吹き出した。
用途無く放置されてしまう、それらは報われないスギの間伐材だった。
人のエゴにより植えられ、そして都合の悪くなったからと使われずに捨てられてしまう、可愛そうな木々の命。
でもそれらは次の冬の、雪に埋もれる極寒の冬の僕の燃料となるのだ。
これらの木々を燃やし、部屋を暖め、そのぬくもりによって僕は食事が出来、本を読め、創作が出来、生活をすることが出来るようになる。
僕はそれらの木々によって生かされてゆく。
それはつまり僕自身の命に直結するということ。
生きてるという強烈な実感を、丸太の重み、吹き出る汗、喉の渇き、身体の疲れ、その全てを通して覚えた。
それは強烈な生の実感だった!
身体、肉体の持てる力全てを総動員させる。
その境地に不純なもの、あれが欲しいこれが欲しいあそこに行きたい等の余計な欲望の入る余地など無い。
溢れる魂の満足感。
汗と共に全身から喜びがほとばしった。
これ以上の喜びはなかった。

「なにしてんだ??」
散歩していたお婆ちゃんが面白がって話しかけてきた。
会話は弾み、笑い声が響き渡り、僕らを取り巻き空間に心地よい雰囲気が流れていった。
それらが全て薪の奥深くに染み込んでゆく。
味の染み込んだ薪で焚くぬくもりはきっと格別なものなのだろう。

気が付けば日暮れだった。
源泉かけ流し温泉に浸かって汗を流し、今日という素晴らしき人生の1日を終えた。

若きエネルギーに満ちあふれる同世代達よ!大自然の中で自分自身の力を使って、どんどん生きていこーぜ!!!
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春の朝

目が覚めて歯を磨き、まだぼけーとしている頭を抱えたまま家を出た。
近くの泉で澄んだ水を身体に流し入れて朝を取り込み、まだ日の昇らない森の中へと入ってゆく。
積もった雪は早朝の寒さでカチカチに凍りつき、足を捕まれることなく何処へでも歩いて行ける。
日が出て暖かくなる頃には消えてしまう、それは雪と太陽とこの地の寒さが作り上げる、儚い雪の大地だった。
家を出る時に感じていた寒さ、まだ暖かい布団の中で寝てろ!と身体の何処からか訴えてくる貧弱な声は、歩いて身体が暖かくなってくるうちにどこかへ消えていった。
自身の身体、燃える肉体、それこそが何にも勝る暖房であった。
木々の間を歩くにつれて心が研ぎ澄まされていった。
お気に入りの小川にたどり着き、その流れ、弾ける音の中に入ってゆく。
水は渦をまき、うねって跳ねては下へ下へと流れて行き、やがて海までいくのだろう。
暗黒の深海に真っ青な大空、南極や北極、世界中何処までも散りゆく、水は偉大なる旅人だ。
心地良すぎる世界だった。
今日これから1日が素晴らしくなる予感がしてきた。
朝日が昇り、山々を照らし、オレンジ色に染めあげてゆく。
その美しい世界を目にし、先程の予感は確信へと変わっていった。
これから始まる1日は、最高のものなる!
いやいや、それは違う、‘’なる‘’のではなく‘’しよう‘’!!


帰り際、弁当のおかずにつくしとふきのとうを摘んだ。
ピッッチピチの山菜ライフの幕開けだ!!!
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3月の頭、僕らは嵐の中にいた。
雨の混じった風が唸りを上げて吹き荒れ、木々がゆっさゆさ揺さぶられていた。
そんな嵐に興奮し、声を高らかに天に向かって声援を飛ばしている初老がいた。
「いいねぇ!!どんどんどん吹き荒れろ!!」
ブルーノさんは少年の様にはしゃいでいた。
ブルーノさんは嵐が大好きだった。
天の偉大なる力を、肌身に感じられるからだという。

僕らは家の中にいた。
山形県の人里離れた林の中に立つ、石と木と土で出来た、ブルーノさんの手作りの家の中だ。
若き20代の時代、フランスから1人日本に移り住んで来たブルーノさんは、その土地にあるものを使って家を作っていった。
一階の壁は、石を積み上げて造られている。
このでかい石は持ち上げるのに苦労したな・・・それら1つ1つの石には、創造時の思い、情熱、汗・・・様々な物語が刻み込まれていた。
様々な物語が石に染み込み、それらが高く厚く積み重なっていた。
壁は膨大な物語の結晶そのものでもあった。
そんな家は、吹き荒れる嵐にびくともしなかった。

ブルーノさんは明るい照明を毛嫌っていた。
部屋の中は、窓から差し込む自然光が照らしていた。
早朝と共に家の中に光が入り、日没と共に光は薄れ、夜は真っ暗となる。
その時は日暮れだった。
日が沈む。
徐々に薄暗く、青みを増してゆく。
部屋は、地球と宇宙の躍動そのものを感じられる部屋であった。
嵐の中でもがんとして佇む家の中で、吹き荒れる世界を眺めるのはなかなか楽しいものであった。
娯楽は何もいらなかった。
テレビも新聞も何も・・・
回りを取り巻く世界そのものが娯楽だった。
留まることなく激しく変化する嵐の世界。
その激しい世界の波に乗って、浮いては沈み、うねる心そのものが娯楽であった。
世界の変化に身を委ね、溶け込ませているだけで心は満たされた。

嵐が吹き荒れるにつれて、僕らの会話は熱を帯びていった。
その時だった。雷が近くに落ちた。
瞬間に石で包まれる部屋の中、窓の外の雪原が、青白く照らされ、世界が光輝いた。
一瞬の間に出現し、一瞬の間に消えていった幻想的な世界に感動した。
美しいと思った。
雷が落ちて現れる世界がこんなに美しいと思ったことはなかった。
蛍光灯で包まれた部屋のなかでは決して見ることの無い世界だった。
感動に包まれるなか、一筋の稲妻は過去の記憶を呼び覚ました。
それは雷で死ぬ思いをした荒野の旅の記憶だった。

当時、僕はアラスカの荒野の中に一人でいた。
カヌーに揺られて川の上を漂っていた。
その時、前方の山々の影からどす黒い雲が現れた。
と思うと、唸る雷音と共に、黒雲はみるみるこちらに近づいてくるのだった。
強い風が吹き始め、雨がもうすぐ目の前に迫っていた。
ヤバい!!恐怖を感じ、僕はすぐ近くの砂地にカヌーをつけ、カヌーをひっくり返して荷物を下にしまい、大急ぎでテントを張り、穴に潜る砂蟹の如く潜り込んだ。

直ぐに大粒の雨粒がテントをぶん殴り、唸り狂う風がテントを揺さぶり始めた。
テントは傾き、雨に濡れて湿った冷たい布が体に付着する。
ドカドカと雷が容赦なく落ち、その度に恐ろしい音が天地に鳴り響いた。
まるで生きた心地がしなかった。
不運にもテントを張った中洲は、平べったく広い砂地だった。
その中にポツンと立つテント。
回りに高いものはなにもなく、僕が居るテントが一番高かった。
真っ黒い天から、稲妻の落とし場所を探す雷神様にどうぞここへ落としてください!と言っているようなものだった。
落ちるなら真っ先にテントに落ちる気がした。

僕は気を紛らす為に本を開いた。
読みかけの本だった。
‘’イントゥザワイルド‘’
文明に嫌気がさした青年クリスは、1人アラスカの荒野の中に分け行ってゆき、荒野の中で孤高に生き、最後、孤独にこの世を去る話である。
本の舞台はアラスカで、ここもアラスカだった。
クリスが死んだ歳は24歳で、僕も24歳で、同じ年だった。
クリスが旅に出た理由も、僕が旅に出た理由も、似ていた。
本はもうすぐ終わりに終わりに近づいていた。
クリスの体は毒にやられ、衰弱しきり、もう死の間際までいっていたのだ。
薄生地一枚で隔てられた外の世界では、雷が所構わず落ちまくっていた。
この時ほど本に引き込まれたことはなかった。
僕は、本の主人公であり死ぬ寸前のクリスにどっぷりと同調してしまっていた。
本が、クリスが、死神みたいにズルズルと死の世界に僕を引っ張りこんでいった。
僕もここで死ぬんだ、と思い始めた。
雷に打たれて死ぬんだなと。
いつか真っ黒焦げになった死体が発見される日が来るのだろうか・・・
遺書でも書いとこうか・・・等とあらぬことを考え始めた。
気分はどんどん落ち込んでゆき、生命力そのものが落ちていった。
僕の死に向かっている気持ちそのものが、雷を僕の元に導く気がしてならなかった。
そうやって人は自ら死の世界に入ってゆくのだろう。
まだまだ死にたくないと思った。
この広大無辺の大世界において、この豆の如く小さな体で、思う存分やりたいことにやるべきことが沢山残っていた。
まだ死にたくないと強く思った。
それは生への執着であった。
僕は本を閉じた。
このまま読み進めてクリスが死ぬと、確実に僕も引っ張られて死ぬと思ったのだ。
閉じたことで、本の中のクリスは死ななかった。
そして僕は違う本を取り出した。
オーヘンリの短編集だった。
笑みを誘う、実に愉快な本だった。
読み始めて間もなく僕はバカみたくゲラゲラと一人で笑い出した。
胸が晴れ上がった。
先程の死の思い等綺麗さっぱり頭から消え去っていた。
依然として雷は容赦なく落ちまくっていたが、もはや僕の元には落ちないという心強い確信を胸に抱いていた。
そして僕は、生きた。

ブルーノさんは落ちた稲妻を見て、眩しい光を浴び、さらに感情を高ぶらせた。
「この地には‘’雪おろし‘’という現象があるんだ。何本もの稲妻が雪の大地に落ちてゆくんだ。夜、その光は、真っ白い雪原を遠くまで何処までも見渡せるほどだ」
僕はそんな雪おろしをいつか見てみたいと思った。人生のささやかな望みである。

今落ちた雷に対して、荒野の中で抱いていた様な恐怖心を全く抱かなかった。
たとえ落ちてもびくともしない頑強な家、透き通った大きな窓、暗い部屋の中で見る雷は荒野の雷とはまるで違った。
荒野での体験がより一層、家、窓、蛍光灯の無い暗闇の有り難みを厚くした。
濡れる心配も、打たれて死ぬ心配もなかった。
身を置く環境、心の持ちよう一つでこの世界はどうにでも変化するのだろう。

※写真は1週間位雨に打たれ続け、それでも屈せず命を守ってくれたかけがえのない偉大なテント
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森のフクロウ

夕暮れ、タオルと着替えが入ったリュックを背負い、僕は家を出た。
向かう先は温泉。
徒歩20分位の共同浴場、八町温泉だった。
それは日々の日課だった。

暫くすると、前方の路上に何か落ちていた。
近づくと、それは泥にまみれたきったないお菓子のビニール袋だった。
誰かが投げ捨てたのだろう。
それを拾い、温泉に向けて僕は再び歩み始めた。
拾った瞬間、心が清んだ。何だか気持ちよかった。

前方に一台の軽トラがとまっていた。
その横を通りすぎた。
その瞬間、窓が開き、おじちゃんが顔をだした。
正則さんだった。
正則さんというおじちゃんだった。
「歩いてどこ行くんだ?」
「温泉です」
「歩いてか??か〰、考えらんねぇ!良くやるなぁ、家に風呂は無いのか?えぇ?」
正則さんは酸っぱい顔をする。温泉まで歩くんだと言うと、皆理解に苦しむようだ。
「家の風呂はぶっ壊れてるから使えないぞ!と家主さんに言われてるんです。どう壊れてるか分からないんですけどね。風呂は使えないんです。でも近くに温泉があるから、風呂なんて要らないんどすけどね!」
「か〰、で、その手に持ってるのはなんだ?」
「さっき拾ったゴミです、ゴミ」
「ゴミぃ??ちょっと貸しな!捨てといてやるから。ゴミを拾ったから、今日このあと良いことあるかも知れねーぞ!?」
良いことがある???
でも、そんなことはこれから起きようが起きまいがどーでも良かった。
良いことは、ゴミを拾った瞬間に既にもう起きていたからだ。
拾った瞬間に、心に覚えた、あの清々しさだった。

温泉は気持ちよかった。
一緒になった方々と話が盛り上がり、外に出るともう日が暮れていた。
真っ暗だった。
そんな夜道を家に向かって歩いてゆく。

ふと空を見上げた。
薄い雲を通して月あかりがぼんやりと見えた。
足を止め、僕は暫く夜空を見上げていた。
薄い雲は音もなく流れていた。
時たま出来る、僅かな雲の裂け目から月が顔を出した。
辺りは暗く、シンと静まり返っていた。
それでも空は眠っていなかった。
眠りに落ちた地上。その遥か上の世界では、風が踊り、雲が流れ、月が照っていた。
空は眠っていなかった。

何だかこのままこの世界の暗闇に、溶けていっても良いような心地になってきた。
心は不思議な満足感を覚えていた。
今の僕にはもうなにも要らなかった。
この瞬間で、もう十分だった。

その時、すぐ側の暗い森の中から、一筋のか細いフクロウの鳴き声が響いてきた。
小さな声だが、それは膨らみのある豊かな声だった。
この地に住みはじめて3ヶ月、それは初めて聞くフクロウの声だった。
姿は見えなかった。
フクロウから僕の姿は見えているのだろうか。
黒々とした森の中から声は響いてくる。
それは夜の森の声だった。
声に、森のあらゆるものがのっかているようだった。
枝にとまるフクロウの目に映る、景色。
月夜の暗闇に身を起き、感じているもの。
フクロウは何を見、何を感じ、何を考えて鳴いているのだろうか。
声は遠くまで響き渡り、山々を抜けてこだましていた。
今目に見えない、それでも確実に広がっている山々の存在が、こだまを介して僕の中に入ってきた。
それはフクロウの鳴き声が伝えてくれるこの地の広がりだった。

そこは毎日目にする、ただの森だった。
ただの森がフクロウが鳴くことによって、その存在を大きくした。
明日、僕はその森の前を通るだろう。
その時、フクロウの声を聞いたこの一夜のことを思い出すだろう。

車に乗って温泉に行っていたら確実に見れなかった世界だった。
歩くことで、ゆっくりと深みある時間がそこにあった。

福島県の山の奥の奥の奥の金山町。
この地に移り住んで3ヶ月。
今日ほんの少しだけこの地に深みを持てた。

田舎の醍醐味

「明後日13日(2月)は空いてる?」
それはお誘いだった。
13日は丁度仕事も何も予定はなかった。
どこに行くのか、誰と会うのか・・・何がなんだか詳しくよく分からなかったが、それは血沸く面白そうなお誘いだった。

12日の夕方、僕らは旅立った。
金山町から隣町の只見へ約30㌔。
吹雪で真っ白な世界の、それは大冒険だった。
「どこだここ?えぇ、今どこだここ?」
助手席に座る友人はそう叫び、僕は慎重にハンドルを握る。
雪にうもれた町は景色が分からず、ハラハラ迷子になりながら僕らはようやく到着した。
頭よりも高く雪が埋もった地に、重く佇む古民家「叶津番所」という所だった。
古びた窓からはオレンジ色の光がか細くこぼれていた。
それを見た瞬間、頭の中には「坊や➰」と昔話の歌が流れ、でんでん太鼓を持った赤ん坊が乗る龍が踊った。
小さい頃の記憶だった。
好奇心が爆発した。

壁に柱、床に茅葺き屋根、それらが包み込む空間は、洞窟の中にいるような、異様な重さだった。
築250年を越える老齢の古民家だった。
家の年齢。
それは切られる木の生きた年齢を考えれば400年は、500年は、600年はゆうに越えているだろう。
その木が根付いていた大地を考えると、もうその年ははるか昔にまでどこまでも遡ることだろう。
家は偉大なる大地だった。

薄暗い居間に、こたつを囲って4人の先人達が座っていた。
皆初対面だった。
皆、達人だった。
瞑想の達人、渓流釣りの達人、登山の達人、ヨガの達人・・・・
自然と口から出、輪の中に溶け込む会話は、普段話せなく聞けないような深いものばかりだった。
はるか昔から生きてきた古い家。
この家はこれまで一体どんな会話を聞いてきたのだろうか。
家が建つ以前、森の中で、孤高に生きていた木々達はどんな世界を見てきたのだろうか。
昔を生きた木々で出来た家、その中で生まれる、現代を生きる僕らの会話・・・
それは過去と現代という時を越え、時間を越えたたものであった。

その空間に漂う空気を吸い、窓から差し込む夜の光を浴び、流れゆくここでこその雰囲気の中、出てくる言葉や会話の数々。
それらはこの家が、その空間が導く言葉であり、会話であった。
ここを包み込む空間でこそ成り立つ会話や言葉であった。

侍がいたという部屋に布団が引かれ、眠った。
ぐっすり眠った。

もので溢れ、何でも簡単に手に入ってしまう今の世の中。
ここはそれら物質世界とは別の、高みある精神の世界だった。
それは田舎の醍醐味であった。
会津は最高だった。

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静寂

日が暮れた夜、僕は囲炉裏で小さな火を起こす。
暖かい炎を前にご飯を食べて生を受け、読書して世界中を命の危険も無しに思う存分旅し、時に夢想して色んな発見をし、1人を楽しむ。
ストーブとは違い、自然の発する音はなんと心地いいのだろう。
1日のこの時間が、僕は大好きだ。

田舎には何もないという言葉をどこかでいつか聞いたことがある。
後先を考えて、田舎に飛び込んで住んでみたけれど、決してそんなことはなかった。
田舎にあるものの1つ、それも雪の降る冬の田舎にこそあったものの1つが静寂だった。
深い深い深い深すぎる「静寂」だった。
(無音ではない。無音はこの世界にはないと思う)

外に出ると、珍しく月が照っていた。
降り積もった雪が一面、青白く光っていた。
少し深い雪の中は光がとおらず、真っ暗なのだろう。世界中を旅し続けている水が、この地で静かに休んでいた。お疲れ様。
遠くから小川の水の流れる音が微かに聞こえてきた。それは極寒の地で、清く流れる生命だった。
葉を落とした木々は死んだように佇んでいた。
あと少しで迎える春を月夜の中で辛抱強くじっと待っていた。
シンと静まりかえった世界だった。
その世界から色んなものが語りかけてくる。
縛られない心は自由自在。
どこまでもどこまでも広がってゆく。
静寂ほど心を豊かにしてくれるものはそうそうないんじゃないだろうか。

昔は、物を買い、何処かへ遊びにゆき、うまいものを食べ、お金を払って得られるもので心を満たそうとしていた。
でもそれで決して心は満たされることはなかった。
さらに欲望が燃え、乾くばかりだった。
お金を払って得られる幸福感よりも、この地で大自然の中で生きて得られる幸福感のほうが百万倍も大きかった。
壮大な大自然、その魂の幸福感は無限大だった。
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エッセイのささやかな全国デビュー

 

自由。
自由と聞いて、まず頭に思い浮かぶものがある。
自由研究だ。
小学生の夏休みの課題にあった、「自由研究」である。

当時まだ小さな小学生だった僕は、やるもやらないのも自由。それが自由研究だと思っていた。
だから僕は当然、やらなかった。

夏休み明け。
廊下の壁一面には、皆がそれぞれやってきた自由研究の画用紙が貼り付けられた。
それらを眺めながら僕は、「皆は偉いな―。何でやらなくてもいいものをやってくるんだろう・・・」と思い、感心していた。
それが約4年間続いた。

ある年の夏休み明けのこと。
僕は先生に呼び出され、怒られた。
「何で自由研究をやってこなかったんだ?」と。
‘’やるもやらないのも自由なのが自由研究ではない‘’ということをその時初めて知ったのだった。
小学4年生のことだった。
それのどこが自由なんだ!!!?という強烈な疑問の嵐が、頭の中に吹き荒れたことを今でも思い出す。
そうして、小学5年生の夏休み、僕は初めて自由研究をやった。研究したのは庭に沢山いた‘’ダンゴムシ‘’だった。

自由という言葉を聞いてまず思い浮かぶのは、そんな昔の思い出である。

話は変わり、

一般社団法人全国信用金庫協会」さんの、全国の銀行で毎月発行されてい小冊子、‘’楽しいわが家‘’に僕のエッセイの掲載が決まりました!
記念すべきささやかな全国デビューです。

きっかけは去年の東北の旅だった。
山形県大石田をふらふらと旅しているときに、僕はある畳屋さんに流れ着いた。
「柴田畳店」という畳屋だ。
店主の和徳さんはカヌーをやっており、ユーコン川を旅するのにも関わらず、カヌーのカの字も知らない僕に、カヌーの話を色々聞かせて頂いたのだ。
それがきっかけだった。

今回のテーマは自由。
何をどうかいても良し、自由。
何も縛りのない自由である!!

書くとしたら多分100%、自然に関することだろう。例外があるかもしれないけど。

そして原稿の締め切りまであと4ヶ月位ある。
毎日が変化に富んだ日々。
ここで4ヶ月生きていれば、何かしらたまげるような面白い事が起きるに違いない。
これからどんな面白い事が起きるのか、楽しみである!
せっかく書くのだからとんでもないぶっ飛んだものを世にぶっ放っそうと思います。
一人でも多くの人々に、大切なことを訴えます!

書く場を作って頂いた方々にこたえるため、全身全霊、魂を込めて書きます!

全国の店舗に発行されるのは8月だというので、是非皆さんふと思い出したら足を運んで見てみてください!

※画像は輝かしいアラスカの思い出の一枚です

 

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