旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

小川の昼寝

数ヶ月後に確実にやってくる冬。
そこを生きるために、薪割りを今日から始めた。
バリバリ割れる感触がたまらず、くさびをハンマーで、丸太に夢中になって打ち込んでゆく。
気づくと汗で全身びしょ濡れになり、体は焼石の様に熱かった。
脳裏に涼しい沼沢湖が広がった。
でも体は疲れて熱く、今すぐに水に入りたかった。
沼沢湖に行くのを止め、家の直ぐ近くにある、お気に入りの水浴び場に行くことにした。
沼沢湖を知ってからだいぶ足が遠退いていた場所だ。
木々の佇まい、川の形、岸辺の雰囲気、そこはやっぱり素晴らしい所だった。
水に浸かり、汗を流し、熱を冷まし、寝転がって上を見た。
葉が折り重なり、射し込む陽がまばらの世界を一匹の蝶々が風に乗っていた。
多くの人が暑い暑いと暑さに苦しむなか、蝶々はその暑さに逆らうことなく飛んでゆく。
優雅なやつである。
風に乗って飛ぶ世界ではどんな景色が広がり、風はどんな味がするのだろうか?
気が蝶にのり、空を流れるうちにうちうとうとしてきた。
絶えず切れずに流れる水音に、森を撫でる風音、あまりにも涼しかった。
目をつぶってそのまま眠ってしまった。
疲れがどっと押し寄せ、深い眠りに入った。
かゆい!!
目覚めると腕に足と至るところを虫に食われていた。
アブかな?
かゆいかゆい!
かゆいけど、この場所は特別だ!
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僕と梅干し

「昔はあったけどもういらないから切っちまった」
誰に聞いてもそんな話が多く、近くで中々見つからない梅の木。
それでもようやく1本、貴重な1本の木を見つけた。
近くの山に住む、梅干し仙人の木だった。
数日前、梅干し仙人の家に野菜を届けに行った時、仙人は丁度梅干しを作っている最中だった。
古い家屋の中、梅干し仙人は奥さんと2人で楽しそうに漬けていた。
それを見て僕はもう一度漬けたくなった。
「あの梅の木、まだまだ取り残しがあるから、後は好きなだけ採っていいよ」
それを聞いて心が踊った。
数日後早速、僕は木に登っていった。
手を伸ばして一個一個もぎ、枝を手繰り寄せてもぎ、棒で突っつき落とし、拾った。
形も色も模様も固さも全てが異なる梅の実だった。
それは一つ一つが個を生きている証だった。
一部が膿んでる実、真っ青な実、虫につつかれてる実・・・それぞれがそれぞれの生に流れ、様々な物語を積んでいっている。
そしてその異なるもの達が一緒くたに壺に収まり、自然が運んできた多様な物語の詰まった梅干しとなってゆく。
採った僕と自然だけが知っている面白い物語も秘めて。
365個は無く、1年を賄う程の量は作れそうにないけれど、美味く漬かりますよーに!
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自然英才教育

強烈な日差しに焼かれる暑い午後。
あまりにも暑く、体は熱を帯び、汗がびしゃびしゃと止まらなかった。
たまらず、近くの山の中に住む友達に電話をかけ、家を出た。
向かう先は山の中に横たわる、静かな湖・沼沢湖。
森の木々に隠れた人の誰もいない、誰からも見られない、秘密の場所がある。
細かく優しい砂浜、澄みきった水、陽が山影から差しこみ輝く湖面がそこにはあった。
奥さんがいたので気をつかい、水着を履いてきたのだが、ここではそれが邪魔だった。
「素っ裸でもいいですか?」
聞くと、「全然いいよ」
と、広大な心の返事がきた。
僕らはすっぽんぽんになり、ひたすら泳ぎまくった。
汗が一瞬にして湖に溶け、火照った体は冷えてくる。
夏を腹いっぱい吸い込んだ湖の中は素晴らしく気持ち良かった。
上がり、赤ちゃんと戯れ、砂浜に座ってぼけーと静かな夕焼けを楽しんだ。
再び湖に入り、泳ぎ、上がって砂浜に寝転ぶ。
その時、何もいらなかった。
何も求めず何もしない、それは贅沢な一時だ。
この湖の神秘を、地上に生まれたばかりの赤ちゃんに見せてあげたかった。
豊かな自然の中で、この広い世界を見て育つ天飛(赤ちゃんの名)。
この世界を、その純粋なすべてで思い切り感じたことだろう。
いつか話せるようになった時、自然を舞台に沢山の話をし、その素の感性に触れてみたい。
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朝の風と野草

ね山々の間を縫い、森を駆け巡り、朝の息を抱えて静かに吹いてくる朝の風。
虫や鳥の鳴き声、草木の香り、朝の涼しさを乗せた風に撫でられるヨモギドクダミ達。
早朝に摘んできた野の精達だ。
風に当たり、音を浴び、彼らと一緒になって涼をとりながら静かな朝を過ごす。
先ほど歩いた雫に濡れた野、森で見、感じ、出会ったもの達が出てくる。
この世界は美しいこと!

野の彼らは花を咲かせ、陽に向かって葉を広げ、上に上にと伸び、この地を浄化しながら力強く生きていた。
彼らはやがて枯れ、土に落ち、腐って大地を肥やし、また新たな生命に受け継いでゆく。
川の様に流れる生命の流れを流し、地球という1つの生命体を生かすことがこの世界の全ての生き物の根本を成す存在意義なのだろう。
それを根に自然を生き、森を歩き、日々を生きると様々なものが見えてくる。

前回外に干したものは見事にカビが生えてしまった。
家の中で陰干しにし、今回は絶対に作り上げるぞ!
冬に飲むハーブティー作り。
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夏のカボチャ畑

半年程前、気づいたら福島県の山奥の地、金山町に僕は引っ越していた。
それは暗くて寒い、初めての会津の冬だった。
数ヵ月間の荒野の旅で使いきり、空になっていたエネルギーを溜めながら、冬を静かに生きてきた。
そして春が来た!
春を迎えた!
今まで静まっていた心は踊り狂い、体は弾け、新緑に包まれる大地と共に歓喜した。
その喜びは毎日毎日消えることなく燃え続けた。
これほど春が力強く、嬉しいと感じたことは今までの人生で初めての事だった。
それはちょっと危険な冬からの、最っっ高の贈り物だった。
四季、天候、朝夕とうねる地球の流れに乗っかって毎日を生き、そこから得られる喜びは絶大なもの、それこそ心が求めていたものだった。

澄んだ音を奏でて雪が解け、春の陽に照らされ、地温が上がった頃、僕らは土を、畑を耕した。
そこへカボチャの苗を500本程植えた。
山に入り、ゼーゼー言いながら草を運び、畑に敷き詰め、陽にジリジリ焼かれながら次から次へと出続ける芽を毎日かき続けた。
雑にやり、師に怒られ、何本も何個も駄目にしてしまったが、それでもようやく・・・ようやく!赤カボチャが実り始めた。
カボチャのジャングルと化した畑にはコオロギや蜘蛛がそこらじゅう元気良く走り回り、バッタが跳び跳ね、鳥達がつつき回る。
汗が染み込み、生き物が踊るカボチャ畑。
歓喜の大収穫まであと少しだ!!
パンプキンスープに思い切り溺れよう🎃

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草むらの卵

3羽の鶏が家族入りしてからそろそろ1ヶ月位たつのかな?
玄関を出ると彼らはいつでも何処からかパタパタパターと元気よく駆けてきて、僕の足元に集まってくる。
畑を弄っているときも近くで草を、虫をついばみながら戯れ、何処にいくのにも必ず僕の後をついてくる。
その自由なる姿は愛くるしいものである。

生きることにおいて僕が大切にしていることの1つ、それは「自由」だ。
回りから絶えず押し寄せてくる巨大な波に飲まれても、決して折られず、揺らがない確固たる芯を持ち、その芯を軸に、自分自身の目で世界を見、判断し、心に従って真に生きていく。
その中にこそ自由があると思っている。
僕はこれからも自由を愛し、自由に生きていく。
だからこそ鶏達も縛られずに自由に生きてほしい。
なので、鶏は放し飼いだ。
自由気ままに家の回りを駆け回り、寝たい時に寝、雨が降れば柿の木の下や屋根の下、好きな所で雨宿り、好きな草を食み、虫を見つければ追いかける。
走り、寝、食し、鳴き、鶏達のその自由なる生命は輝きそのものである。

そんな鶏達と共に生きるようになり、僕の日々の仕事が1つ増えた。
毎朝の卵探しだ。
時に木の根元に産み、物影に産み、草むらに産む。
ここを定位置にしたかと思えば次の日にはそこには生まなくなり、毎日見つけられる時もあれば、卵を見つけられない日が何日も続くこともある。

ここ最近は卵を全然全然見つけられなくなった。
3羽いるのに、見つけられても1個だけ。
おかしい。最近やたらと多いカラスにでも食われているのかも・・・と思い始めた今日、草の影に11個の卵を見つけた!
それは草むらに眠る自由なる卵である。
自由なる生命を食べてもらたく、近所の方、いつもお世話になっている方々の元へと卵は散って行った。
食べた瞬間、卵はトロリと広がり、口の中を隅々まで行き届く。
きっと自由を感じるだろう!

明日も見つけられるといい。
朝という輝かしい世界の始まりに、卵探しという面白みが加わった。
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地球採取

日に数回、僕らが必ず行く場所がある。
桑の木の下だ。
見上げると、いつでもそこには熟し、黒々と輝く桑の実が実っている。
木の下は言うまでもなく涼しい。
生い茂る枝に葉が生きた傘となり、昼の強烈な陽射しを防いでくれる。
涼しいだけでなくそこは心身を和らげ、潤してくれる場でもある。
吹く風が木は揺すらし、実は静かに踊りだす。
陽光や雨の滴が実にまとい、天と地の恵みが織り混ざる。

視界には何十、何百という溢れる実が映る。
その内のたった一粒の元に手は伸びてゆく。
その行為は無意識のもの。
どの実を摘もうか等は考えることなく、感覚で摘み取ってゆく。
目を落とすと、地は紫色に染まっていた。
いくら美味しそうな実でも、動物や僕らにも食われずに落ちてゆくものもあるものだ。
枝に付いたまま乾燥し萎んでゆくものもある。
無数にある内のたった一粒の実の元に手が伸び、摘み採り、一つの体に入ってゆくことは、人と自然との小さな縁であり、奇跡でもあるのだろう。
それは毎日食べている全ての食事にも当てはまるもの。
日々食べている米の一粒一粒にも。

風がそよぎ、木々は心地よい音を奏で、鳥が鳴き、陽光が差し込む葉の葉脈が美しく、すぐ近くには蟻や亀虫、てんとう虫等の虫達がその命を全うしている。
心は自然の中に確実に溶け込んでゆく。
多くの生命を感じる中で食べる一粒の実。
その瞬間、魂は満たされる。
採集、それは地球の生命を感じ、自分自信と向き合える時間だ。
採集という行為は、文明の根が隅々まではびこり、感じることの難しい現代には、本当に必要な、人にとって大切な仕事なのだろう。

瓶に詰めて、初めての果実酒作り。
砂糖を入れた瓶
砂糖も何も入れない瓶
どっちが美味く出来るかな?
上手く出来るかどうか考える前にやりたいことにどんどん挑戦だ!
そして一人でも多くの人が自然と触れ、地球を感じ、この星の生命に愛を抱いてくれることを僕らは願う!!

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