旅する蜂ブログ

奥会津の地球暮らし

~マタギの見習い~ 自然を愛し、地球の詩を書き、奥会津の山奥で素朴に暮らす

便所の中の戦い

 彼(以後K)がなんと言おうと、僕はそれに従うしかなかった。
その空間はKの支配下にあり、不動の権力を有する王の下、僕は小さな下人。
だからKの言いうことには決して逆らえないのであった。
そこはKのアパートであり、僕は彼に1晩泊まらせてもらっている身であったからだ。
そんなKに謝らなくてはならないことがある。
 
 その日東京に用があった僕は、夜遅くに満員電車の中帰るのが億劫だったので、その晩泊めてくれとKにお願いした。
Kは快く受け入れてくれた。
 その夜、そんなKが僕にある一冊の本を勧めてきた。
原田マハさんのスピーチライターを題材にした小説「本日は、お日柄もよく」だ。
なんだこれ?ほんとに面白いのか?手渡された瞬間に疑念が渦巻いた。
どうせまた教育関係の本だろう・・・学校の教員をしている彼が読む本はたいてい教育関係の本であり、それらの本は僕の興味を全く引かない。
それでも勧められたのだからとりあえず手に取ってみた。
じろじろと表紙を眺め訝しむ僕に、Kはこう言った。
「今まで読んできた本の中で、その本は10本指に入るよ!」
へぇそうなんか。その言葉に背中を押され、ようやくページをめくった。
テンポと切れが良い文体に、すらすらと活字が頭に入り込んでくきた。
教育関係の本では無く、読み始めて数分後、ユーモアあふれる文章にやられ、読む前に抱いていた疑心はすっかりと消え去り、気持ちはすっかり愉快になっていた。
次はどんな展開が来るんだろう!ようやく気分が弾んで来たと思ったその時、絶対的な権力が猛威を振るった。
Kはとろんとした目をしながら、夢中で読みふける僕にこう言ったのである。
「もう寝ようかな」
まだ読み始めて間もなく、20ページ程しか読めていなかった。まだあと350ページ程残っている。
自ら勧めといて、その直後褒美を取り上げるかのように、こんないい所で中断しろというのか?
その部屋の電気は天井に付いているそれのみで、卓上電気は無なかった。天井の電気を消したら部屋の中は真っ暗になるのである。
本など読めるわけがない。それでも彼に従うしかない。
蟻の様にちっちゃな身分の僕が、部屋の主であり絶対権力を持つ王であるKに逆らうことなど出来やしない。
僕はKに合わせ、電気を消し、読みたい気持ちを無理やり抑え込み、眠ったのである。
夜の10時半であった。

 なんの前触れもなくパッ目が開き、僕は目覚めた。
「あぁいつものあれか・・・」目覚めた瞬間僕は思った。
癖である。なにか面白い事があると興奮して夜な夜な目が覚めてしまう癖を僕は持っていた。
昨日読みかけていた本に共鳴してその癖が顔を出したのである。
しかし電気を点けられないので、読むことは出来ない。
時計を見るとまだ3時半にもなっていなかった。
おいおいなんて時間に目が覚めるんだと・・・その恐ろしい事実を知り、もう一度眠ろうと目を閉じるが、エンジンがかかって火照った心がそれを許さない。
この興奮を静める為には体を動かす他に方法は無い。
よしっ‼と意気込んで僕は再び目を開け、体を起こして部屋を見渡した。
暗くて殆ど何も見えない。近くでスース―とKの寝息が聞こえてくる。
Kを起こさぬようソロソロと部屋を抜け、僕は太陽がまだ眠る冷え切った外へ飛び出した。
何処かへ行く当ても無く、ふらふらと東京狛江市の住宅街を歩きだす。
街は寝静まり人っ子一人いない。道路の至る所にぼんやりと外灯が灯り、いくつか星が輝いている。
何処からかピューと寂しげな音が聞こえ、風が吹きつけて来ては鳥肌を立たせる。
この物静かな世界で、素っ頓狂な僕の興奮だけが猛っていた。
僕はとりあえず走った。走っては歩き、また走り出し、猛りを発散するしかなかった。
 そうして1時間程経った頃、ぼんやりと輝く外灯を見てある考えが頭をよぎった。
「この外灯の光で本を読めばいいんじゃねぇか!!」
画期的な発想に気持ちが弾み、僕は一目散にKの眠る家に帰った。
時間は4時半、Kが家を出る6時半まで2時間はある!
2時間で350ページ読めるだろうか・・・?いや流し読みしてでも読んでやる!
僕のエンジンはさらに熱くなっていった。
しかし本を持ち出して、部屋を出ようと廊下をソロソロと歩いている時だった。
さらに素晴らしい考えが閃いた。
「便所の中で読めばいいんだ!!」
外よりも暖かく、そして安心して座れる。今の状況でこれ以上の条件は無いであろう!
早速僕は便所に滑り込んで便器に座り、悔しくも昨日読めなかった本の続きを読み始めた。
あと1時間半、読め読め読みまくれ!!僕は全力で活字を頭に突っ込んでいった。

 30分程経った頃、僕は大学時代に友人から何気なく聞いたある言葉をふと思い出した。
「知ってたか?洋式の便器に長く座ると腸に負担がかかるんだってよ!」
なんでそんな言葉を思い出したのか・・・恐らく普段決してしない便器に長時間座るという珍奇な行為が、過去の苔むしたどうでも良い記憶を呼び起こしたのだろう。
僕は便器に座りながら心の中でこう呟いた。
腸耐えてくれ、あと1時間ほど。負担をかけちまうだろうけれど・・・我慢してくれ。
自らの腸にわびを入れ、再び気を取り直す。
普段の何倍もの速さで読むものだから、目は疲れ、頭がフラフラしてきた。
それでも負けじと活字をさばいていく。
あと180ページ・・・150ページ・・・100ページ・・・50・・・目が熱くなっていた。
鶏もまだ目をこする早朝から、便所と言う狭苦しい空間で僕は1人懸命に戦っていたのである。
 突然壁を通してやかましい機械音が鳴り響いてきた。
Kの目覚ましだった。気がつくと既に時間は6時を過ぎており、Kが起きた。
僕は負けた。残り40ページを残して本を読み切ることが出来なかった。
はぁ~とため息をついて目を本から離した。一気に力が抜け、痛快な脱力感が全身隅々まで染み渡る。
狭い便所から抜け出した時にはまたそれをさらに上回る快感が襲ってきた。
便所から出た僕は何事も無かったかのようにおっすと挨拶し、眠たそうにそれに答えるK。
外に出ると眩しい陽射しが降り注でいた。これから世界では新たな1日が始まろうとしている。
早朝から1人バカみたく熱くなって・・・なんだか得をしたような気分になっていた。
今日絶対に何かいいことがある!!そんな気がし、今日の僕の1日はすこぶる爽快に始まっていったのである。
 
 Kと別れるまで僕は言えなかった・・・からここで謝ろうと思う。
本を便所に持ち込んですまん。

雪山の毛虫

 その夜、空に雲は無く、近くに夜の輝きを霞ませる人工光も一切なかった。

透き通った空気の中、無数の星々が夜空一面をびっしりと覆い尽くしていた。

時々吹く微風が笹の葉をカサカサと揺らし、山の稜線の窪みに張られた小さなテントの中にスー…と入り込む。

ボーボーと音をたてて吹くバーナーの火がゆらりと微かに傾く。

バーナーの上にはコッフェルが置いてあり、キムチの香りを漂わせながらグツグツと具が煮えている。

僕らはそれを囲って箸で突きながら、静かで心地よい夜を堪能していた。

雪山の装備の点検と、雪山トレーニングでの谷川岳・西黒尾根のことだ。

 

「うちに来るなまはげは皆よぉ、足がフラフラしてて酔っ払ってんだ」

なまはげを一度も生で見たことの無い僕にとってその言葉はとても新鮮で、現地に生きた人だからこそ言える重みがあった。

へぇ―――・・・と相槌を打ちながら、僕は頭の中でべろんべろんに酔っ払っているなまはげを思い描いていた。

「何でなまはげが酔っ払うんですか?」

「それはな、なまはげは訪れる家々で酒を飲んでけと言われるんだ。だからよ、家を回るたんびになまはげって奴ぁは酒を飲んでんだ。酔っ払ってても小さかった頃の俺にとっては恐ろしかったがな」

なまはげだけでは無かった。貧乏だった青年時代、無賃乗車で必死に駅から脱走した話、雪山で一夜にして1mの大雪に降られ、山に3日間閉じ込められた話、蟹族と呼ばれていた話・・・刺激的で心を躍らす話が次から次へと火を噴いていた。

なんたって、僕以外の3人は皆もう60歳を超えており、僕の3倍近くも生きているのだから。人が生きてゆく中で他の人と同じ人生など1つもあり得ない。人が生きた数だけ、この世の中には多彩な人生があるのである。僕は3人の口から出てくる物語にジッと耳を傾けていた。

    そして数時間にも及ぶ会話が落ち着いた頃、テントの外に顔を出して、ふと上を見上げてみた。

暗闇の中ぼんやりと聳える谷川岳の背後から、夜空に弾ける様に星が散らばっていた。僕はしばらくの間、滅多に見られぬその星空に見入り、その後テントに戻って眠りについた。

 翌朝(今日12月4日)は晴れ渡った空から、さんさんと陽光が降り注いでいた。

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暖かい太陽に恵まれて意気揚々とテントを畳み、下山しようとしたその時である。

足元の真っ白く傷の無い雪面に、黒くて枝の様なものが目に入った。

黒糖かりんとうを持ってきていた僕は、初めそれを見た時、「かりんとうを落としたんかな」と思った。しかしそんな所でかりんとうを開け覚えも無く、ましてやそこでザックを広げてもいなかった。

一体何だろう、なにかのうんこかな?と顔を近づけて見てみると、その黒い物がウニリッと動いた、かと思うと、一うねり、二うねりとうねって雪面上を移動していくのである。

毛虫だった。真っ黒い毛虫が、冷たい雪の上を這っているのである。

毛虫??毛虫が・・・こいつはなんでここにいるんだ・・・?

そう疑問が浮かんだ瞬間、僕の頭の中で想像が四方八方に弾け飛んでいった。

 

 毛虫は繭を作ってサナギで越冬し、次の年に成虫の蝶となって空を飛び回る。それが定められた毛虫の運命である(※全部が全部ではないが)。しかしそいつはそんな決められた運命に逆らい、蝶になる事を捨ててまで大冒険に出たのである。何百といる兄弟の中でまだ誰も行ったことない、足を踏み入れたことも無い谷川岳の頂だ。食べる葉も無く、大雪が降り積もる中で越冬する事など不可能である。そこへ行くことは毛虫にとってはつまり死を意味する。それでもそいつはありきたりの運命に逆らって命を捨ててまで冒険に出たのである。まだ見たことの無い世界に対する強く熱い念望に動かされて。秋、そいつは繭になることはせず、ずっと機会をうかがっていた。誰かが自分の傍に腰を下ろすのをジッと待っていた。しかし時は流れ、冷たい雨が降り、その機会は一向に現れず、刻一刻と寒くなる空気の中、柔らかく黒い身を丸めて震わせて、自らの命の限界が近づいていることをひしひしと感じていた。今日明日、もう来なかったら死んでしまうだろう・・・そう思った時、僕らの誰かがそいつの傍に腰を下ろしたのだ。そいつは“今だ!”と意気込んではっしとザックの布にしがみ付き、僕らと一緒に山の上へ上へと登っていったのである。今まで見慣れた生い茂る草木の景色は変わってゆき、ついには白銀の世界が辺り一面に広がったのである。

 

 どこへ向かっているのやら、ウネリウネリと小さな体をうねらせて、そいつは僕の足元の冷たい雪面を這っていた。僕はそいつをそのままいじくらずにそっとし、山を降りて行った。いじくることも何もできなかった。そいつの思うがままにしてやろうと。決まりきった運命を変えてまで冒険したのかもしれない、そいつに何だか親近感が湧いてしまったのだ。

そいつは恐らくもう間もなく死んでしまうことだろう。そして虫社会では今頃、山の頂へ旅立った、ある若い一匹の毛虫の話題で持ちきりだ。

 

※毛虫の物語は四方に飛び散った妄想の一欠けらである

 

北米の広大な荒野へ行こう!!

 静まり返った真っ暗な部屋の中、暖かく心地の良い布団にくるまれながらも僕はなかなか寝付くことが出来ずにいた。噴火する山の如く、マグマの様に心の奥底から興奮がゴボボコと湧き出てくる。

こういう日が何日も何日も続いている。

自由のききにくく重たい体は狭苦しい小さな東京にあっても、身軽でどこまでも好きな所へ行ける心は、東京から遠く離れた広大な北米の大自然の中を、ふらふらと漂っていた。僕は頭の中で荒野を1人、カヌーで川を下っているのである。

 

  今からおよそ100年前、アメリカから10万を超える人々が北米の荒野にやってきたという。目的は金だ。カナダ・ユーコン準州のドーソンで金が発見され、それを聞きつけた人々が一攫千金を夢見たのである。しかし、夢はそれ程までに甘いものではなく、大自然の猛威に晒されて、何人もの人々が命を落としたという。まさに命がけの金堀だ。

僕は毎夜布団に潜り込んでは自分自身に問いかけていた。もし仮にその当時のアメリカに僕が生まれていたのならば、彼らと同じように金に惹かれて北を目指していただろううか・・・?と。出る答えはいつでもこうである。行っちまっていた!たとえ周りから猛反対を受けてもそれらを押し切ってでも行っちまっていた。

そしてゴールドラッシュから100年経った今現在、僕はまさにその北米の地に向かおうとしている!目的は金でない。金なんて無い貧乏な僕ではあるが、金が欲しくて行くのではない。北米の大自然が僕を呼んでいるのである!

 

そういうわけで、長くなったが来る2017年、カナダ・アラスカの地に僕は行ってくる!カナダ・ホワイトホースを出発し、アラスカを抜けてベーリング海を目指して3、000kmをカヌーで下るのだ。荒野の中で一体人々がどんな生活を営んでいるのか・・・。木々に動物達、川に山々が一体どんな姿を見せてくれるのか・・・。それらをじっくりと記録しながら、ゆっくりとカヌーで下るのである!

 

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赤線:カヌー

黄線:陸路(たぶんバス)

黒線:海路(おそらく飛行機)

あぁ、あと残り数か月・・・寝付けぬ夜はまだまだ続きそうである・・・。

 

あ、北米に行く前に日本でまずやりたいことがあった!

それは・・・「雪かき東北縦断の旅」である。  

引っ越し

  幽霊が出ないこと、そして窓は南向き、この2つが何よりも大事であった。その2つに的を絞って借りるアパートを探していたのが今から1年9ヶ月前である。幽霊は大の苦手である。やつらは過去数度にやたり僕の心臓を干し柿の様に縮み上がらせたものだ。あの恐怖といったらもうたまったものじゃない。今思い出してもゾクリと全身を震わせる。幽霊が苦手である僕はそういう訳で、幽霊が出ないことがまずなによりも大前提であり、それと布団が干せる南向きの窓があるならばもうアパートなんてなんでも良かったのである。たとえトイレと風呂が一緒だろうが、共同だろうが、公園のものだろうが、あらゆることは問題でもなんでもなかった。そんな適当さ加減で部屋を探していたものだから、いざ部屋が決まった時に不動屋さんがこう言ったものだ。「いやぁもうほんとにありがとうございます。こんなに簡単に部屋が決まるなんて初めてですよ!」幽霊は出ないし布団は干せる、1年と9ヶ月間このアパートは十分満足のゆくものであった。しかしこのアパートとももう直ぐお別れである。退職を機にアパートを引き払うのだ。そういう訳で僕は今日、部屋の中を整理した。

 

養命酒

「友磨お前・・・その年でもう養命酒なんて飲んでるのか?」1年9ヶ月前、引っ越して直ぐに、部屋に来た親父が台所に置いてあるゴツイ1ℓ瓶の瓶養命酒を見てゲラゲラと笑った。

「いや、それ地元に帰る友達がくれたんだ。荷物を軽くしたいからいらねぇって言うから!俺はまだ飲んだことないけど、欲しいならあげようか?」

弱っている体を元気にさせてくれる養命酒。僕の持っているイメージでは年寄りが飲むものだったのだが、そのイメージは見事にひっくり返された。まさか同期のK(当時22歳)が飲んでいるとは驚いたものである。Kはそんなに疲れていたのだろうか?養命酒に頼らざるを得ない程、体が衰弱してしまっていたのだろうか?23歳という若さで?それらの疑問は今だに晴らせずにいる。あれから1年9ヶ月、結局僕は一滴も飲まなかった。今日まで存在すら忘れていた。引っ越すにあたり、ゴツい1ℓ瓶の養命酒は重い荷物である。誰か欲しい人は居ないのだろうか・・・。今ではKの気持ちが良く分かる。もしかしたらKも知人友人の誰かが引っ越す時に貰ったのかもしれない、そしてその知人友人も誰かから貰ったのかもしれない、その誰かも・・・そうやって巡りめぐって今僕の手元にあるのかもしれない。

 

トイレのスッポン

 あれは引っ越してまだ間もない時のことであった。春の涼しい夜風を部屋に招き入れながらのんびりと本を読んでリラックスしていると、突然玄関がドンドン音をたてて激しく叩かれた。せっかく自分の世界を作り上げていたというのに、夜中にそれも玄関を思い切りぶっ叩く正体不明の人間に少しの不快感を覚えて僕は立ち上がった。玄関を開けると若い男女が2人、額に汗を垂らしながら立っている。男は2つ隣に住む大学生であった。

「トイレのスッポンありますか?今トイレが詰まっちゃってて大変なんです!」それが男の第一声であった。

「いやスッポンは持ってねぇな・・・すまねぇ」僕はスッポンを持っていなかった。

「ちょっとトイレ見ていいですか?」

「いいけど本当にねぇよスッポンは」

そう言って彼らは部屋にズカズカ上がり込みトイレを覗いてきた。こんな図々しい奴は初めてだった。

「あ、これ使えるんじゃないですか?」男はパイプクリーナーを手に取って目を輝かせた。

「いや、どうかなぁ・・・それか隣のAさんに聞いてみれば?優しいからもし持ってたら貸してくれるんじゃねぇかな」

「ほんとですか?!聞いてみます!」

「あぁ、行ってみな。玄関明けたら先ず“こんばんは”は言えよな!」

そう言って彼らはドカドカと僕の家から出て行った。玄関がガチャリと閉まり、再び部屋には静寂が舞い戻った。

 

 トイレと風呂場を覗き、ふとあの訳の分からない一件を思い出した。

 

足の折れたテレビ

 夜中、玄関を叩くのは何もその大学生だけではなかった。NHKの集金と名乗る彼らは諦めずに蛇のようにしつこく攻めてきた。だが、僕は鋼鉄よりも固い決意を持っていたものだから、たとえ法律を出されようと決して怯まなかった。ピクリとも動かぬ僕を前に、彼らは段々と熱を帯びてゆき、声に力が入り、募るイライラが目に見えてくる。テレビを持っているならば払う必要がある!彼らはいつもそう言う。しかし僕は断固として引かない。そうしていつも10分程戦いが続き、いつでも彼らは敗れ、背中に悔しさを滲ませてとぼとぼと帰ってゆくのである。

 たしかにテレビは持っている。しかし立たないのだ。テレビの足が折れていて壁に立て掛けないと立たないのである。テレビも友人Iから譲り受けたものだった。そして、最初から足が折れていた。今思えばなんでそんなテレビを貰ってしまったのか・・・理解に苦しむのだが、当時の僕は貰ってしまったのだ。そんな足が折れていて不安定極まりないテレビは引っ越して早々物置の中に入ってしまった。それからかれこれもうずっと物置の中に眠っている。元々テレビを見ないので苦にもならないがもう何ヶ月テレビを見ていないのだろうか・・・。テレビは僕の部屋からその存在を完全に消し、今までずっと物置で息を潜めていた。そして今日物置を整理している時に、そのテレビは僕に静かに牙を剥いた。足の折れて横たえるテレビは僕にどう処分しようかと悩ませたのである。

 

 まだまだある。上の3つはほんの一部であり、整理すればするほどこの部屋での思い出がボロボロと出てきた。東京での生活は1年9ヶ月と非常に短いもので終わった。今までの人生を思い切りぶっ壊し、これから僕は山に川に荒野に・・・世界中の自然を舞台に活動していきます!!詳しくはまた後ほど

越後三山縦走 ~所長からの選別~

 その日、東京都世田谷区のある建物の中は普段よりも荒れ狂っていた。電話は止むことなく鳴り響き、FAXに印刷機は休むことなく次から次へと紙を吐き出し、社員は皆PCの画面を凝視しながらカタカタと絶え間なくキーボードを打ち鳴らして、舞い込んでくる仕事を処理している。そうこの日11月4日は、昨日の文化の日・祝日明けともあって仕事がいつもより溜まっており、社内は普段よりも目まぐるしく動いていた。そんな中、僕の机はすっとぼけたようにガランとしている。トイレだろうか・・・?5分程待ってみる。だが、僕は現れない。買い出しだろうか・・・?30分程待ってみる。だが僕は現れない。外出しているのだろうか・・・?3時間程待ってみる。あぁやっぱり現れない。営業が休む時や外出する時、出張する時にその旨を書かなくてはならないホワイトボードが壁にぶら下がっている。そのホワイトボードの僕の欄には何も書かれていない。はっちゃん・・・一体はっちゃんはどこへ行っちまったんだ?僕の隣の席の常井さんは、いつまでも現れない僕の行方を疑問に思っていた。常井さんの斜め前には久末所長が険しい顔でPCを睨んでいる。180㎝を裕に越える背丈に、ライザップで鍛え上げられた筋肉を全身に身に纏った、仁王様の様な久末所長がPCを睨むその姿は気迫に満ち溢れている。常井さんはその巨大な背中を椅子の背にググッと寄りかながら眼鏡を上げて、いつもののほほんとした調子で尋ねた。

「所長、あれ、はっちゃんは・・・?はっちゃんは今日、休みですか?」

「八須?あぁあいつは今山、山に登ってるよ!」所長は顔を一瞬だけ緩ませてPCから離し、再び険しい顔に戻してPCに向き直った。

「山ぁ・・・山かぁ」常井さんはそう呟いた。

そう僕は会社から200㌔以上も離れた新潟県の山の中に居た。

 

 その一週間前の週に、僕は、断られるだろうな~・・・無理かな~・・・そう心の中で呟きながら、玉砕覚悟で久末所長に11月4日を有給休暇にして貰えるよう申請した。

「まじか・・・おいおい4日かぁ・・・」所長はそう呟き、眉間に皺を寄せて悩んだ。その間、僕はやや下を見ながらジッと動かず、所長の頭に念を送っていた。許してくれますように、許してくれますようにと。その甲斐あってか返事は予想外に早かった。数秒後、所長は顔を上げて、明るい声で僕に言った。

「山だろ?行ってこい!!行ってこい!!!」

それを聞いて僕の気持ちは飛び上がり、満面の笑顔でお礼を言った。

選別だった。それは所長からもうじき会社を去る僕への選別だった。物欲の全く無い僕にとってそれは金や物よりも遥かに価値のある選別であった。所長の大きな懐によって、僕は11月3,4,5,6日と4連休をとれ、その連休で越後三山(越後駒ケ岳、中ノ岳、八海山)の縦走に晴れて挑むことが出来るようになったのである。そうして僕はホワイトボードに有給と書くこともすっかりと忘れ、2日の夜に4人の仲間と共に東京を出て新潟県中越地方へ向かったのだった。

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 11月4日、越後駒ケ岳から中ノ岳に向かう道にも、中ノ岳から八海山に向かう道にも、どこにも僕の姿は無かった。従来の計画ではその日、越後駒ケ岳にある駒の小屋を早朝に発って、中ノ岳に向かっている筈であった。しかし、その道筋のどこをどう探しても僕の姿は無かった。岩の下に隠れているのだろうか・・・?だがいくら岩の下を覗いたところで僕は隠れて居ない。木影で休んでいるのだろうか・・・?しかしいくら木を切り倒して探そうと僕は居ない。それもそのはず、11月4日丸々1日24時間、僕は越後駒ケ岳に留まっていたのだから。天気が予想以上に荒れに荒れ狂ったのである。朝から晩まで大量の雪を伴った風がごうごうと怒り狂った様に唸りをあげて、止まることなく吹き荒れていた。濃いガスが辺り一面を覆い尽くし、何も見えない。雪はどんどん降り積もり、終いには山の上をすっかり雪景色に変えてしまった。本格的な雪山装備で来なかった僕らは、危険だと判断して先に進むことを諦め、穴に身を隠すネズミの様に駒の小屋に引きこもったのである。

 

 小屋の中は僕ら以外に誰も居ない。冬を前に管理人は小屋を去り、世間では平日ともあって無人と化した小屋には人の気配は全くなかった。広間の壁に付いている3つの窓の内、2つは木の板で塞がれて、唯一残る1つの窓から洩れる細々とした光が、暗い小屋内にもれてくる。外は猛然と吹雪いており、差し込む光も貧相極まりない。頼りなくポッポ燃える蝋燭の小さな火を囲って、色彩に富む様々な話がやたらめったら交差する。

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しかし、その蝋燭を囲む人の輪の中に僕の姿は無かった。便所に行っているのだろうか・・・?便所を覗いてみるが僕は居ない。吹き荒れる雪の中、雪だるまでも作っているのだろうか・・・?小屋の周りを見渡すが僕は居ない。遭難してしまったのだろうか・・・?30分程待ってみる。すると、ガチャリと戸が開き、冷たい風と踊り狂う細かな雪と共に、僕は小屋に現れた!両手には水の入った容器が大量に抱えられている。

「汲んできましたよ、水!」

そう僕は、水場で水を汲んでいたのである。

 

 水場は小屋から5分程斜面を下った所にあった。昨日の夕方に小屋に到着した時、雪はまだ降り積もっておらず、難なくその水場を見つけることが出来た。一本のホースからチョロチョロと音を出して湧き出ているのである。しかしこの日、ひざ下まで降り積もった雪が、水場もろとも地を覆い隠してしまったものだから、どこに水があるのか手で足で必死に雪をかいて探さねばならなかった。僕はケージーさん(東京都小平市に住む会社員)と共に、飯を探す野良犬の様に懸命に雪をかいた。ここだったかもしれない・・・そういって雪をかくも現れるのは、黒々とした岩。いやこっちだったかもしれない・・・そういってまたしても現れるのは、ゴツイ岩。いやこっちに違いない・・・そういってもやっぱり現れるのは、憎たらしい岩なのである。吹き荒れる雪が顔を打ち、靴の中に雪が入り、手がかじかんでくる。あぁ一体どこに水があるんだ!水など諦めて小屋に今すぐにでも逃げ込みたいが、水が切れた今、どうしても水が必要なのである。もういっそのこと雪を溶かして作りたかったが、限られた燃料を節約する為に水が必要であったのだ。僕とケージーさんは死に物狂いで雪をかいてかいてかきまくった。“努力はいつか報われる”そんな言葉を今までに何度も聞いたことがある。そして努力は報われた。ついに水場を掘り当てたのだ。辺りを見回すと、その場はまるで堀り荒らされた金鉱の様であった。ほんの小さな水場を探す為に、僕らは力の限りその何十倍もの面積を無茶苦茶に掘り返したのである。そうやって苦労した水を小屋に持ち帰り、コッフェルに入れてバーナーにかけた。

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冷え切った体を温めようとボーと激しく燃える炎を見つめる。コッフェルの底は燃える炎に炙られていた。しばらくしてふたを開けてみると、小さな泡粒がぷくぷくと底の方に出来始めていた。蓋を元に戻し、再び炎に目を戻す。炎はコッフェルの底に激しく燃えたかっている。直ぐに蓋の隙間から湯気が薄く立ちのってきた。我慢して蓋を開けずにしばらく待つ。湯気はパタパタと音をたてて蓋を揺らした。出来た!!僕はそう声をあげて、バーナーの火を消す。その瞬間に炎の音が消えてシンと辺りが静まり返る。カップの中にインスタントコーヒーをばらばらと入れた。コーヒーの薄い香りがほんのりと漂ってくる。湯をカップの中に注ぎ込むと、じゅうと音をたてた。先程とは比べ物にならぬほどの強いコーヒーの香りが一気に鼻をついてきた。唇をカップのふちに触れさせて傾ける。ズズッと音をたてて熱いコーヒーを少量口に流し込んだ。はぁ一息ついて、僕は思った。久末所長、どうもありがとうございます!!所長の大きな懐から生まれた4連休、越後三山縦走は叶わなかったけれど・・・このコーヒーはその無念を埋めるほどめちゃくちゃ美味しいです!!

ありがとうございます久末所長。

斎藤健太の幸せの1週間③

 2014年4月~2015年1月までの期間、僕は日本に居なかった。日本から遥か遠く離れた地、ブラジル・アマゾン地域のある農場で、カカオやバナナをはじめ、熱帯の果物の収穫を毎日の生活の主にして生きていた。その農場というのがまた広大な森の深緑に囲まれた場所にあり、電波の通じない場所であった。だが不便と思うことは全くなく、今まで携帯という魔物に多くの時間を縛られていた僕はむしろそんな携帯の使えない生活にのびのびと解放感や充実感を覚えていた。

 それでも月に数回、人が集う街に行く機会があった。そこで今まですっかり干からびていた携帯に、電波という飲み水をくれてやるのである。するとどうだろう、携帯は跳ね起きたかのように命を吹き返し、何週間溜まりに溜まっていた友・知人からの連絡を怒涛の如くドカドカと一挙にかき集めるのである。サークルや研究室に関する通知に、状況を尋ねる質問がどっさり溜まっており一つ一つに軽く目を通してゆく。そんな中、1通のラインを目にし、僕はぎょっとした。ラインは斎藤からのものであり、送られてきてからもう大分日数が経ってしまっていた。

「出発する前にロードバイクが盗まれちまったよ」

その短い一言からは尋常ならぬ悲哀と怒りの念が伝わって来た。カメレオンを失い、強烈な痛手を負っていた斎藤がまたしても、不運に見舞われてしまった・・・。一体どれ程の悪事を働けばこれ程の仕打ちに見回れるのだろうか。この男は何をしたんだ?一体どんな酷い悪事を働いたというのだろうか。いや、多分そんな悪いことはしていないはず・・・それでもこういう事態に陥ってしまう斎藤という男がただ哀れに思えて仕方なかったが、僕に出来ることは何もなかった。ただ慰めの言葉を送って祈ること以外に出来ることは何もなかった。

 僕がブラジルに旅立つ前、斎藤はある旅に出ることを決し、その概要や魅力を生き生きと僕に語ってきた。その旅は以下のようなものであった。まずロードバイクを持ってイタリアのローマに降り立ち、そこから400㌔程ペダルを漕いでアドリア海に面する都市・バーリへ行き、船に乗ってアドリア海を横切り、クロアチアの都市・ドブロブニクに行く、そんなシンプルな旅であった。「途中で野宿をし、釣りをし、のんびりとロードバイクで田舎を走って行くんだ!斎藤は目を輝かせながら熱く語ってくる。その雄弁に呼応して、僕は想像の中であたかも自分がその旅を行っているかのように楽しませてもらったものだ。

カメレオンの1件で6万円程の大金がドブに流れてしまったにもかかわらず、斎藤はその旅の為に出発数か月前に10万円程の大金をはたいてロードバイクを購入した。そしてあとは出発を待つだけという幸せに満ち溢れた生活を送っていたのだ。

斎藤の旅は7月で、僕のブラジル行は4月であった。

「じゃ、ロードバイクの旅楽しんで!俺が帰ったら話を聞かせてくれよ!じゃ!!」

4月、そう言って僕はブラジルに一足先に旅発った。そして7月、それに続いて斎藤が飛び発とうとしたその矢先である。事件が起きたのである。駐輪場に置いておいた、旅に無くてはならない大事なロードバイクが盗まれてしまった・・・人の心を持たぬとんでもない何者かにロードバイクが盗まれてしまったのだった。不運とはこんなにも立て続けに起こるものなのだろうか・・・。もしかしたら、どこかの駐輪場に置いてあるかもしれない・・・そんな淡い希望を胸に斎藤は夜遅くまで血眼になって、息を切らせて全身に汗を吹き出させながら、思いつく限りの駐輪場を片っ端から走り回った。高架下の狭い駐輪場にぎっしりと並ぶ自転車が、古い外灯からたれる乏しい光にぼんやりと照らされていた。「ない、ないないない!!」怒りと焦りが入り混じった声を漏らしながら、斎藤はロードバイクを必死に探し回った。しかし、どこにもない。いくら探しても見つからなかった。しまいには巡回していた警察に捕まり、「何してんのそんな所で!!免許証みせて免許証!!」と職務質問を受けたほどである。駐輪場の中を徘徊し一台一台入念に探していたものだから、泥棒だと勘違いされてしまったのである。

 カメレオンといい、ロードバイクといい、あいつは何故こうも残酷な事件に巻き込まれるのだろうか・・・。送られてきた1通のラインを見て僕は思いに耽った。斎藤はそもそも旅に出る様な奴では無かった。釣りをこよなく愛し、暇があれば釣りに出かけてしまう。僕の目には釣りさえ出来ればそれでもう人生に満足するような人間に見えていた。そんな斎藤は高校を卒業した後就職を選び、僕は大学へ進んでいった。真面目に毎日日々働く斎藤に対して僕はマレーシアにインドネシア、カナダにイタリア等へ一人旅に夢中になっていく。そして時たま会う斎藤に海外へ出る素晴らしさとその魅力を熱く語っていたのである。その話が、斎藤の中に眠る冒険心に火を点けてしまったらしい・・・。斎藤は思った。「釣りだけじゃねぇんだ。世の中釣りだけじゃねぇ!俺も自由に旅してぇ・・・」そして2年間務めた仕事場を去り、針灸専門の短大へと自ら道を逸らしたしたのである。そして短大へ通う傍ら、アメリカや中東へと旅をするようになっていった。

 ロードバイクが盗まれたとラインが送られてきた時、僕は思い返してみた。そしてこの一件も何だか僕に原因がある様に思えてならなかった。もし、斎藤に旅の魅力やすばらしさなんかを熱く語ることなどしなかったならば、仕事を止めて、旅に目覚めてロードバイクを買うことも無かったのだろう。釣りだけにとどまらず、良くも悪くも斎藤の人生に変化をもたらした原因は僕にある。そんな斎藤は何を思っているのだろう・・・僕は気が気でなかった。

 

 そしてつい2週間前の事である。僕は新宿のマクドナルドのカウンター席に座り、飲み物に入っていた氷をガリガリと噛み砕きながら、ガラス一枚を隔てて広がる夜の世界を眺めていた。ひしめく建物から放たれるネオンが夜の街を照らし、人々がその中を忙しなく動き回っている。明るい店内は人で溢れかえり何十もの声が飛び交っていた。僕の隣には斎藤が肘をつきながらコーヒーを啜り、同じように外を眺めている。

「あのロードバイクの件覚えているか?」僕は斎藤に尋ねた。

「あぁあれ、忘れるわけねぇって」

「そうだよな・・・」

「当時は地獄だったけど、でもな今思えばロードバイクが盗まれてよかったよ!何故かって?そのお蔭で大幅に旅を変更してクロアチアを中心に旅をすることになったんだけど、そこで釣りも存分に出来て、何よりも面白い出会いに恵まれたんだ!あのじーさん・・・クロアチアの釣具屋で出会ったじーさんなんだけど、またこれが適当でなぁ―…」

そう言って斎藤はケラケラと笑いながら満面の笑みで語り始めたのである。僕の心はその一言でなんだが軽くなった。

 なんだか人生にちょこちょことちょっかいを出されている斎藤、そんな斎藤が2018年の夏にロバかウマかどちらかを引き連れてモンゴルを横断してチベットやウィグル地区を回らないかと誘ってきた。本気かどうかは定かではないが、もし本気であるならばその計画に乗るつもりだ。舞い込んでくる不運も含め、一体どんな世界が広がっているのか、想像すると楽しみである。

 

 

斎藤健太の幸せな一週間②

   訳が分からなかった。一体何があったというのだろうか・・・全く訳が分からなかった。斎藤はそんな奴ではない。ゴキブリを大量に飼うような奴ではないことは言われなくとも分かっている。ゴキブリ好きだなんて聞いたことも無いし、ましてや飼うなんてことはもってのほかである。部屋の中に現れようものなら殺してしまうような奴、それが斎藤である。そんな斎藤がゴキブリ飼いだと疑われてしまったのだ。一体何故、そんな風に疑われてしまったのか・・・訳が分からなかった。

「ゴキブリ?なんでそんな状況になっちまったんだ?」僕は斎藤に尋ねた。

「あぁそれがよ、聞いてくれよ・・・ちきしょう・・こんな馬鹿なことはねぇって・・・」

「あぁ聞くよ、何が起こったのか話してくれ」

「今日俺さペットショップでコオロギを100匹買ったんだ。10匹とかだと直ぐに無くなっちゃうし、ちまちま買いに行くのが面倒だからさ、100匹まとめて買ったんだ。そいつらを虫かごに入れて家に持って帰ったんだけど、家の前で偶然ばったり会っちまったんだ。下の住人に・・・」

「下の住人?下の住人って、あの床をぶっ叩いてくる下の住人か?」

「あぁそうだ、その下の住人だ。普段は滅多に会うことがねぇってのに今日に限って運よく鉢合っちまったんだ・・・ちきしょう・・・」

 下の住人・・・以前斎藤から聞いたことがある。夜遅くにシャワーを浴びると、排水管を流れ落ちる水の音が不快なのか、うるさいと言わんばかりに棒か何かでドンドンと天井を激しく叩いてくるという。

「下の住人は固まっちまったよ、俺の手に抱えられている虫かごを見て、固まっちまった。えぇぇっ?!て声をあげてさ、後ずさって、そして部屋の中に戻っていっちまったよ。あの時の驚いた顔は忘れられねぇよ」

「もしかして・・・お前斎藤、コオロギがうじゃうじゃ入った虫かごを、袋かなんかで隠さずにそのままペットショップから持って帰ったのか?」

「そうなんだ」斎藤の声はどんどん沈んでいく。

「うっわっ・・それじゃあおい、コオロギが丸見えじゃねぇかよ」僕は斎藤のその話を聞いて全てを理解した。そして呆れてしまった。

「でも、それどころじゃなかったんだ。カメレオンにコオロギを与えることを考えると楽しみで仕方無くなっちまって、頭ん中がカメレオンで一杯になっちまったんだ。そんな簡単な事にも注意が向かなかったんだよ。ちきしょう」

斎藤の気持ちは分からなくも無かった。僕も夢中になるともうそのことしか考えられなくなり、そうなってしまうからだ。

 下の住人にコオロギを見られた瞬間にもう全ては終わっていた。結末はどれも悲惨なものであり、もうどうにも救いようのないものであった。

 下の住人に見られたその数分後、斎藤の家の電話が鳴り響いた。斎藤はまさかと思い電話に出ると、まさにそのまさかであった。それは大家からの電話であった。斎藤が部屋の中で大量のゴキブリを飼っていると下の住人から聞き、今から行くという電話であった。それを聞いて斎藤は弾かれた様に虫かごを持って外へ飛び出し、近所の草むらへ100匹のコオロギを解き放った。黒い塊は外へ放りだされた瞬間、四方八方へ一斉に散らばって、生い茂る草むらの中へ消えて行ってしまった。

 部屋に戻って間もなくベルが鳴り、大家が現れた。その表情は厳しく、嘘など簡単に見通す力が目にみなぎっていた。斎藤は大家のその姿に恐れおののき、カメレオンの事、コオロギの事、何もかも全てバカ正直に答えた。ゴキブリじゃなく、コオロギだと弁解しても無駄であった。下の住人がゴキブリだろうとコオロギだろうと同じアパートで飼われていること自体が耐えられないというのだ。そして大家は斎藤に苦渋の選択を与えた。部屋を出ていくか、もしくはカメレオンを手放すか・・・。斎藤はそれを聞いて悲しみに打ちのめされた。どちらも選び難いそれらの選択に迫られて苦しんだ。斎藤は悩みに悩み、頭を抱えて苦しんだ。そしてついに決断し、斎藤は部屋をとったのだ。一目ぼれして買ったカメレオン、毎日毎日眺めるのが幸せで仕方なかった。それがほんの一瞬の内に崩れ去ってしまった。それはカメレオンを飼い始めてからまだ1週間も経っていなかった。

 翌日、斎藤の部屋の中に、あのきょろきょろと小さな丸い目を動かし、細い足の指で枝に捕まるカメレオンの姿は無かった。そして財布にはペットショップから受け取った薄っぺらい5,000円札が入っていた。

 

 斎藤がこんなにも不幸に陥ってしまった原因を考えて辿ると、どうもその源は僕に辿り着く。もしイモリの写真を何枚も斎藤に送らなければ、斎藤の生き物を愛する心に火をつけることは無かったであろう。カメレオンを飼うことも、下の住人に不快な思いをさせることも、辛い選択に頭を悩ませる事も無かったのだ・・・

 

 その数か月後、斎藤から再び暗い連絡が一通入って来た。

ロードバイクが盗まれちまったよ・・・」

話しを聞き終えて振り返ると、それは僕のせいだったのかもしれない。斎藤が不幸になってしまったのは、元を辿ればまたしても僕のせいである気がしてならなかった・・・。