褌と共に
1年半前、20数年間身につけ続けていたパンツを捨てた。
パンツに代わり、自作の褌を僕は身につけるようになった。
褌を腰に、僕は日本を飛び立ち、北米の荒野を旅した。
毎日毎日、偉大なる大河ユーコン川、雄大なる氷河の溶け水で褌を洗い、木の枝に吊るして乾かした。
ユーコンの魂を吸い込んだ褌が風に吹かれ、はためくその姿は生き物そのものであった。
褌は生きていた。
川を吸い、森にぶら下がり、風にゆらめく。
川の水も、森の木々も、吹く風も、この
世界は動きこそが生命であった。
一丁一丁の褌に、日々愛着が湧いていった。
天然素材で、自分の手で一針一針縫っていった褌。
地に両の足を着け、そんな褌をグッと締めたときの心の締まり具合はパンツなんかの100倍だ。
荒野から帰り、福島の山奥に引っ越し、この地に住むお婆ちゃんが僕に褌を8丁も作ってくれた。
ありがとう。
4丁しかなかった褌は10丁を越えた。
そんな褌達を、藍染めした。
藍色に染まり、朝風を吸い込んで揺れる綿と麻の褌。
布に加工される前の、陽を浴び、風に吹かれ、大地に生きていた頃を思い出していることだろう。
日本人の魂である褌を身にまとってから日々の出来事が変わっていった。
出会う人に、起こること、考え・・・
それは褌がもたらした心の変化であった。
これからも褌と共に締まって生きていこう!
音楽浄土
会津の象徴、磐梯山。
その麓に佇む猪苗代湖。
夕陽が空を、湖を、砕ける1つ1つの波を、波に撫でられる砂浜を燃やした。
森のなかで遊んでいた人々が、一人また一人と湖畔に自然と集まってきた。
これこそが人々誰しもが求めるもの。
夕陽が沈む。
辺りが暗くなる。
波の音に包まれる浜辺に僕らは座り、語り明かした。
この地球の神秘について
自然について
生命について
他の人の言葉でなく、実体験より成る自分達の言葉で。
地球も様々な声で語ってくる。
波の砕ける音で、地から膨れ上がる虫達の声で、星々の輝きで。
この世界は美しすぎる!!
一瞬たりとも絶つことなく、語りかけ続けてくる地球からのメッセージにもっと沢山の人々が耳を傾けますよーに!
自然を愛し、自分を生きる熱く格好良く素晴らしい男と女、仲間達と出会った2日間のお祭り、音楽浄土!
バイバイまた来年!!
スズメバチ
小さな小さな蜜蜂を捕まえに、毎日蜜蜂の巣箱に寄ってくる黄色雀蜂達。 雀蜂が近づく度に、蜜蜂達は固まり、その小さな体を震わせて抵抗する。 小さくて激しい生命の激突だ。 全身全霊全力で生きる眩しき命。 そんな雀蜂達を虫とり網で捕まえる。 箸ではさみ、蜂蜜に浸けると、蜂蜜のねっとりとした中で雀蜂はもがき、暴れまわる。 その姿からは苦しみしかない。 ただただ苦しみに満ち溢れている。 僕の出来ることは、一秒でもはやく息をひきとり、向こうの世界にかえっていけることを祈るだけだ…。 やがて雀蜂は動かなくなった。 森、山を飛び回り、多くの虫達をその顎で噛み殺し、毒とその姿は人間をも怖じ気づかせる、強烈な生命を持つ雀蜂! その生きる強さが少しずつ蜜に溶け込んでゆく。 自然の濃厚さそのものが溶け込む蜂蜜だ!!
斧の柄
何もかもが初心者な僕。
薪割りも当然下手くそだ。
薪割りを始めて間もなく、斧の柄を思い切り丸太に叩きつけてしまい、見後に柄を折ってしまった。
爺から受け継いだ大切な斧だ。
このままでは冬の命を繋ぐ暖、薪を作ることが出来ない。
早速、柄の取り替えにかかった。
斧の刃に取り付けられる様に、柄の先端を鉈で削ってゆく。
これも爺から受け継いだ鉈だ。
しかし長年眠っていた鉈は錆で覆われ、刃はボロボロ。
全然削れない。
鉈を砥石で研がなくてならない。
早速砥石で鉈を研いでいった。
シュッシュッシュッシュッ…刃が研がれていった。
長い時間をかけて刃を研ぎ終えた。
使った砥石を次もしっかり使える様に、砥石を砥石で研ぐ。
砥石も刃も研ぎ終え、ようやく柄に鉈の刃が入っていった。
細かい削りカスが散り、手を切って血が流れ、師に何から何まで教えて頂き、丸1日ががりで斧を直すことが出来た。
自然と共に、冬を生きる為には木を切らなくてならない。
それにはチェーンソーが必要で、使えなくてはならない。
チェーンソーの刃を研げなくてはならない。
切った丸太を運ぶ力も必要だ。
運んできた丸太を割らなくてはならず、斧が必要で、使えなくてはならない。
斧の刃を研げなくてはならない。
研ぐ砥石のことを知り、研げなくてはならない。
斧の柄が折れた時には直さなくてはならない。
柄を削る為に鉈が必要で、使えなくてはならない。
鉈の刃を研げなくてはならい。
そうやって割って出来た薪を乾かさなくてはならない。
たったひとつの薪作り、たったひとつの丸太を割る為に、チェーンソーも斧も鉈も砥石も使えなくてはならない。
体に叩き込まなくちゃならないことが山ほどだ!
いつの日か師が言った。
広く浅くでもない。
狭く深くでもない。
広く深く、何でも出来るようにならなくてはならない!
それを欲張りと、ある人は言った。
しかしそれは欲張りでも何でもない。
この地球で生きている僕らに必要な、真の生きる力である。
蜂に刺されて腫れ、草や木に引っ掛かれて擦り切れ、虻に刺されて痒くなり、鉈やチェーンソーの刃で手からは血が流れ、日々体は傷を負ってゆく。
負った傷の分、体は、手は、5体は大自然の中での生活を覚えてゆく。
世界は広くて深く、そんな世界で生きることの喜びはここにある!
白夜の荒野を下る
落ちかけた陽は空を染め上げ、それは一晩中消えることがなかった。
黒々としたスプルースの森を隔てて、空と川が向き合っていた。
涼しい風が静けさと共に流れてくる。
フクロウが鳴く森の中から、狼の遠吠えが響いてきた。
その震える声には一言では決して言い表せない、あらゆるものが乗っていた。
川岸で大きなムースが喉を潤していた。
岩の様に逞しい肉体に、輝く空を包んだ水が入っていっていた。
カヌーは漕がず、漕いでしまうのがもったいないほど世界は美しかった。
川の流れに身を任せ、人の手の届かぬ荒野をカヌーはゆっくり流れてゆく。
ずっと、ただひたすら目の前に広がる世界を見、聞き、感じた。
地球は神聖な世界だ。
僕らはその世界の一部であり、その世界で生きていること、何も持たず、無くともただそれだけで幸せだった。
旅した荒野は今でも消えることなく、体の中を流れている。
経験は消えることなく、どんどん大きな川と成してゆく。
若い命を持つものこそ、人に毒されていない原始から続く荒野を一度でいいからたった一人で旅して欲しい!!
生き方も、この地球で生きている意味も、命についても、あらゆることを地球が教えてくれる。
早朝の沼沢湖
早朝の沼沢湖。
打ち上がっている流木を拾いながら湖岸に歩いてゆく。
暫く歩いていると、気持ちが落ち着く場所を見つけた。
そこは森の木の葉に頭上を覆われ、湖面に森が写る静かな場所だった。
広いこの地で、自分が特に心地よいと感じる場所を見つけた時は嬉しいものである。
そこは大地も木も石も、他の地よりも身近に感じられる場所だ。
程よい石に腰掛け、静かな早朝の世界に入っていった。
湖面は凪ぎ、水面に浮かぶ森もまだ目覚めていないよう。
向こうで小魚が微かな音をたてて水面を飛びはねた。
薄い波紋が微かに滲み出てきた。
何の魚なのだうか。
でもそんなことはどうでも良く、魚がここに生き、目の前で飛びはねた現実こそが大切なものだった。
風もなく、夏の暑い陽もまだ無い、なんという気持ちの良い世界なのだろう。
突然草の影からサギが水面を散らして飛んでいった。
水面は波立ち、波紋がゆらゆらと広がりってくる。
水面に写る木は徐々に乱れ始めた。
その乱れはどんどん大きくなり、やがて木はその姿を変え、水面で踊った。
その水上で静かにたたずむ木と、水面で激しく踊る木。
暫くすると波は小さくなり、再び静かな湖面に戻っていった。
生き物は、生きてこそ回りのものに命を吹き込んでゆく。
僕は湖に泳ぎ出た。
そこは初めて泳ぐ場所で、今までで一番綺麗な景色が広がっていた。
この地に生き、1日1日と少しずつこの地を理解してゆく。
理解することは大切なこと。
理解が深まるにつれて、水が地に浸透するようにこの地に染み込んでいける。
そしてこの地がどんどん好きになってゆく!