薪
岩と松の呼び声
雪のちらつく峠を越え、沢沿いに車を走らせていると、大きな岩の上に座る、松の大木と出会った。
厚い雲に覆われる空に、薄暗く、寒々とした空気、冬の荒涼とした風景のなかで、その2つは異質な存在感を放ちながらじっとそこにいた。
土の無い岩の上に根をおろし、長い年月、命を燃やし続ける。
その中に宿る、命の強さに心を打たれた、
暫くの間、僕らはその場に引き留められた。
去り際、缶やらビニール袋のゴミが辺りに落ちているのが目についた。
こんな素晴らしい場に、こんな大きな命が生きる場で、何も感じず、平気でゴミを捨てていってしまった人達がいる。
彼らの暗く寂しい心と、その心が染み込んだゴミとが、この場の力を壊していた。
岩に木は動かず、ゴミを拾うことも動かすことも出来ない。
ただただ、待つしかない。
彼らに何故この場に引き留められたのか、彼らが僕らに何をしてほしかったのか、その理由の1つがそれだったのだろう。
会津のフリーペーパー‘’会津嶺‘’
以前僕が書いた詞が、会津のフリーペーパー‘’会津嶺‘’12月号に載りました!!
やったー!
Facebook等でちまちま発信するよりも、断然多くの方の目に留まることでしょう。
この短い詞を読んで、たった一人でも多くの人が、地球という僕らの星に意識を向けて、少しでも自らの生き方を見直して、心を、命というものを思って大切にしてくれたならめちゃめちゃ幸せで、動物も魚も虫も草木も大地も森も海も川も空も風も、地球は大喜びです!!
毎日毎日違和感なく使っている洗剤やありとあらゆる薬品類、物を買う度に付いてくるゴミ、毎日食べている食物、テレビに自動販売機…皆だれでも簡単に普段の生活のなかで、自分自身の為、家族や友達、大切な人達の為、他の国や地で暮らす人々の為、他の生き物達の為、この星の為に出来ることは限りになくあります!
そんな思いと意識を思い切り注ぎ込んで書いた詞です。
地球の為にこれからもめちゃめちゃ生きていきます!
皆、特に同世代の皆も一緒に力合わせて生きていこう!
雨の忘れ物
雨上がりの森を歩く。
雲が空を覆い、木々の葉はすっかり落ち、遠く連なる山々は茶色に染まり、灰色の空気が流れていた。
ほんの一瞬雲が切れ、その隙間から陽が顔を出した。
それはこの日初めて浴びる、陽の光だった。
その瞬間、森のあらゆるところがキラキラ輝いた。
枝に垂れる、雫が陽を浴びて輝いているのだ。
小さな一粒の雫。
その小さな雫の中には、大きな世界があった。
回りを取り囲む広大な山々が映りこみ、光をもたらしていた。
辺りを見渡すと、世界を宿し、輝くそんな雫がそこらじゅうにあった。
再び空は雲に覆われ、陽は消えて、森の輝きも無くなった。
その瞬間にしか見られない世界だった。
もし一日、一時間、一分でもずれていたら、この世界の中に入ることは出来なかっただろう。
ご飯を食べているとき、寝てるとき、本をよんでるとき、人と話していてる時、森では、山では、海のなかでは、この世界では一瞬一瞬命の物語が刻まれている。
梅干しの黒焼き
丸一日炭火の炎に焼かれ、出来上がった梅干しの黒焼き。
じりじりじりじり・・・熱せられ、命の炎、そのエネルギーを長い時を経て吸収した梅干し。
ただでさえ強烈なパワーを秘める梅干し。
婆ちゃんが数年前に作ったそんな梅干しが、今日この日、さらなるパワーを身につけて誕生した。
木にぶら下がっている頃、彼らはこんな姿に成るとは思いもしなかっただろう。
食べてみると、今まで体感したことのない、何か得体の知れない感動が込み上げてきた。
気分は一瞬にして上昇して天を突き破り、力がみなぎり、自信に満ちあふれた。
凄まじいエネルギーに満ちた塊だった。
こんなに陽性の食べ物を食べたことはない。
梅干し仙人が言っていた。
下痢なんかこれ少し食べれば一発で治るよ、と。
ここずっと下痢をしていないので、この機会に久しぶりにしてみたいな!
梅干しを育ててくれた太陽に大地、収穫して作った婆ちゃん、炎となって燃えていった木々達、限りない、沢山の尊い命が詰まったものたち。
大切に、日々、大切な命の糧にしていきます!
ランプ生活
長い間思いこがれていた、念願のランプ生活が昨日から始まった。
ランプに憧れを抱くきっかけとなったのは、一年前のユーコンの旅だった。
アラスカの荒野を旅しているとき、夏を迎えると、やがて荒野には太陽が沈まない白夜がやって来た。
白夜を迎えて初めの頃は、夜が来ない世界に新鮮さを覚え、興奮し、疲れるまで遊びまくっていた。
しかしその輝かしい思いは、数日で色褪せてしまった。
疲れがとれないのだ。
24時間、煌々と降り注ぐ陽が常に焼き付けてくる。
いくら森の中に入ってテントを張っても、木々を突き抜けて射す陽光は、眠ることを許さなかった。
テントはいつも明るく暑く、寝ようにも全然眠れず、疲れが日に日に溜まっていった。
頭はぼけーとし始め、感覚が鈍くなり、酷い倦怠感に包まれていった。
そんなあるとき、川に流されていると、本流に流れ込む支流の川岸にポツリと立つ、ボロボロの小さな小さな丸太小屋を見つけた。
扉を開けると、部屋は薄暗く、ひんやりとした空気が流れ出てきた。
もう誰も住んでいない小屋だった。
小さな窓ガラスから射し込む日差しが暗い部屋の中を線となって差し込み、舞った埃が踊っていた。
何だか安心し、暗い世界への懐かしさを覚えた。
窓には外から板を被せると、部屋の中を完全に真っ暗にすることが出来た。
僕は3つの窓全てを閉ざし、久しい暗闇の中で、死ぬように眠りに落ちた。
普段から時計を身につけないので何時間寝たか分からないが、目が覚めると、溜まりに溜まっていた寝不足に疲れが全て吹き飛んだ。
その場所が気に入り、僕は3日程、その小屋で過ごした。
小屋のすぐ目の前の川岸にはビーバーの巣があり、枝を運んで巣作りをする彼らを見ることが出来た。
カヌーを濃いで魚を釣り、タンポポやヤナギラン等の野草を摘んで食べ、水浴びをしては暗闇の中に潜り込んで眠った。
その小屋にはランプが1つあった。
僕は暗闇の中でランプを灯し、書き物をしたり本を読んだ。
優しい炎に、静かな空間。
その時僕は、例えようもない幸福感に満たされた。
陽から逃れて、暗闇を欲し、それでもランプの小さな光に癒されさているという、自分の中で渦巻く矛盾に面白さがった。
日本に帰ったらこの世界で生きみよう!!
そう思った。
ランプは良い。
薄暗い世界がいままで多くを占めていた視覚というものを狭め、その他のあらゆる感覚が感度を上げ、目覚め始める。
昼があって夜がある地球。
この星に生きる生き物として、大半の人間は、半日以上を明るい世界で生きることに適していないのだろう。
はるか昔からずっと、地球時間で生きてきた僕らは、目も脳も体も、その様に作られていないのが当たり前だ。
白夜を生き、それを身をもって思い、知った。
ランプの小さな炎が極上の一時を流してくれる。
何よりも消費するエネルギーが小さいのが良い。
そして暖かい。
夜はそもそもエネルギーを使わず、地球が休む時間。
本当は暗くなったら眠り、陽のでとともに起きるのが自然なのだろうが、そこは少しだけ甘えよう。
ランプと共にこれから素晴らしい夜の日々を作り上げていこう!